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豪華すぎる!2010年W杯で日本と対戦したオランダ代表、先発メンバー11名はこれだった

  • 2025.12.11

先日行われた抽選会において、2026年ワールドカップの対戦相手が決定した日本代表。オランダ、チュニジア、そしてヨーロッパのプレーオフを勝ち上がったチームと決勝トーナメント行きを賭けて戦うことになった。

このグループで本命と目されるオランダは、日本代表にとっては2010年大会で対戦した因縁の相手でもある。今回はその2010年において日本と対戦したオランダのメンバーを振り返る。

GK:マールテン・スケテレンブルク

画像1: (C)Getty Images
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当時の所属クラブ:アヤックス

プロデビューしたアヤックスで長く守護神を務めていたスケテレンブルク。ファン・デル・サールが代表引退したため、この大会からゴールマウスを守ることになった。

2011年からはローマやフラム、モナコ、サウサンプトンなど様々なクラブでプレーし、2020年にアヤックスへと復帰。怪我の影響により2023年に引退している。

DF:グレゴリー・ファン・デル・ヴィール

画像2: (C)Getty Images
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当時の所属クラブ:アヤックス

2009年にオランダ代表したばかりだった当時22歳のファン・デル・ヴィール。攻撃的な右サイドバックとしてレギュラーを掴んだ。イエローカード累積で準決勝を欠場することになったが、スペインとの決勝戦では延長を含めて120分フルでプレーしている。

2012年にアヤックスを離れてからはパリ・サンジェルマン、フェネルバフチェ、カリアリ、そしてトロントFCでプレーしで31歳で引退。一時期はRKCの練習に参加していた、再び2021年に引退を発表している。パリ・サンジェルマン時代から不安障害を持っていたと告白しており、現在はUAEのドバイに移住しているそう。

CB:ヨニー・ハイティンハ

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当時の所属クラブ:エヴァートン

アヤックスでデビューし、長くトップチームの中心的な役割を果たしたDF。サイドバックやボランチもこなすユーティリティ性と知性を備えており、180cmと決して大柄ではない体格で数々のストライカーと渡り合った。この2010年大会では全試合に出場するなどキープレーヤーの一人だった。

アトレティコ・マドリー、エヴァートン、フラム、ヘルタ・ベルリンでプレーしたあと、古巣のアヤックスに戻って2016年に引退。すぐに同クラブのアカデミーで指導者となった。今季は自身2回目となるアヤックスのトップチーム監督を務めたが、成績不振のために11月に解任されている。

CB:ヨリス・マタイセン

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当時の所属クラブ:ハンブルガーSV

ヴィレムIIやAZアルクマールで活躍し、ドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVで長くプレーしたことで知られるセンターバック。ワールドカップには2006年大会に続いての参加で、このチームを率いたベルト・ファン・マルヴァイク監督にはとても重用された。

ハンブルガーSVを離れてからはマラガとフェイエノールトでプレーし、2015年に現役引退。その後はフロント業を主に務めており、古巣ヴィレムIIとADOデン・ハーグでテクニカルディレクターを歴任した。

左SB:ジョヴァンニ・ファン・ブロンクホルスト

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当時の所属クラブ:フェイエノールト

このワールドカップ予選から本大会までキャプテンを務めたベテランサイドバック。グループステージ第1節のデンマーク戦でオランダ代表100試合出場の記録を達成したほか、大会後の現役引退を表明していたにもかかわらず全試合で先発出場した。ウルグアイ戦でのスーパーゴールも記憶に新しい。

宣言通りワールドカップ終了後にスパイクを脱いで指導者に転身。フェイエノールトで各カテゴリのコーチを歴任し、2015年には監督に就任。数多くのタイトルを獲得して2019年に退任したあとは広州富力、レンジャース、ベシクタシュを指揮し、現在はリヴァプールのアシスタントコーチを務める。

DMF:マルク・ファン・ボメル

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当時の所属クラブ:バイエルン・ミュンヘン

世界屈指の「クラッシャー」として知られていた恐怖の守備的MFファン・ボメル。マルコ・ファン・バステン監督時代には代表に呼ばれなかったが、義父であるベルト・ファン・マルヴァイク氏が監督になったことで復帰。この2010年大会でも主力を担った。

EURO2012を終えたあとに代表を離れ、2013年に現役を引退。その後は指導者として活動し、2015年からは再びベルト・ファン・マルヴァイク氏の下でアシスタントとしてサウジアラビア代表やオーストラリア代表を指導した。その後PSVアイントホーフェン、ヴォルフスブルク、アントワープで監督を務めている。

DMF:ナイジェル・デ・ヨング

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当時の所属クラブ:マンチェスター・シティ

マルク・ファン・ボメルに負けず劣らず、2000年代初頭のサッカーにおける「最恐のクラッシャー」といえるナイジェル・デ・ヨング。恐れも躊躇も知らないタックルで数多くのアタッカーを恐怖に陥れた。

当時はマンチェスター・シティでプレーしていたが、その後ミラン、LAギャラクシー、ガラタサライ、マインツ、アル・アハリ、アル・シャハニヤーと様々な国のクラブを渡り歩き、現役引退。2023年からはオランダサッカー協会のテクニカルディレクターを務める。

右WG:ディルク・カイト

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当時の所属クラブ:リヴァプール

フェイエノールトでエースストライカーとして活躍したあと、リヴァプールで献身的なユーティリティプレーヤーとして違った形でのブレイクを果たしたディルク・カイト。圧倒的な運動量を武器に信頼を勝ち取り、この2010年大会では7試合全てに出場。開幕戦となったデンマークとの試合でワールドカップでの自身初ゴールも決めた。

2017年に現役引退してからは指導者としての活動をスタートさせ、2022年にはADOデン・ハーグで監督に就任。その際には半年で解任されたものの、その後ベールスホットを2部から1部へと昇格させることに成功(※ただし1年で降格)。今季はオランダ2部のドルトレヒトで監督を務めている。

OMF:ウェスレイ・スナイデル

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当時の所属クラブ:インテル

レアル・マドリーからインテルに移籍して1年目を終えたスナイデル。イタリアで中心選手として活躍し、セリエA5連覇に貢献したほか、チャンピオンズリーグとカップ戦も制覇。ワールドカップ2010でも主力としてオランダ代表を牽引し、決勝進出を成し遂げた。そのためバロンドールの最有力候補の一人とされたが、最終候補にも入ることができず、「幻の受賞者」と言われている。

この日本戦でも決勝点を決めたほか、決勝トーナメントでは3試合連続ゴールを叩き込むなど大活躍。ディエゴ・フォルラン、トーマス・ミュラー、ダビド・ビジャと並んで共同得点王に輝いた。

左WG:ラファエル・ファン・デル・ファールト

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当時の所属クラブ:レアル・マドリー(※大会後にトッテナムへ移籍)

アヤックスで若くして中心選手となり、スナイデルやイブラヒモヴィッチらとともに大活躍を見せた天才ゲームメイカー。2008年に加入したレアル・マドリーではなかなかコンスタントに出場機会を得られずに苦しんでいたが、オランダ代表では常に信頼を受けていた。

この大会ではグループステージで活躍したものの、決勝トーナメントではアリエン・ロッベンにポジションを奪われた格好になり、スペイン代表と戦ったファイナルでも終盤からの途中出場であった。

FW:ロビン・ファン・ペルシー

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当時の所属クラブ:アーセナル

小野伸二が所属していたころのフェイエノールトでデビューしたことで知られるファン・ペルシー。わがままなウインガーとして知られていたが、イングランドに渡ってからストライカーにコンバートされて得点能力が開花し、アーセナルで大ブレイクを果たした。

この大会は2006年に続いて2回目の出場であったが、ファン・ペルシー自身はカメルーン戦での1ゴールのみに終わり、チームの躍進とは裏腹に存在感は大きくなかった。その悔しさをバネに、次の2014年大会では6試合に出場して4ゴールを決めている。

引退後は指導者として古巣フェイエノールトのアカデミーで育成に従事していたが、2024年にはヘーレンフェーンで監督に就任。さらに2025年2月にはフェイエノールトの指揮官となり、すぐにクラブをチャンピオンズリーグ予選出場権獲得に導いた。現在も上田綺世や渡辺剛を指導している。

※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。

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