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【考察】北村匠海の中にある、人が生きていくことへの力強い肯定 『ちょっとだけエスパー』第8話

  • 2025.12.11

『トロッコ問題』と呼ばれるよく知られた思考実験がある。

簡潔に言えば、暴走するトロッコがこのままでは5人を轢いてしまうが、スイッチでレールを操作すれば5人は助かる。

しかし、変更したレールの先にいる1人は死んでしまう。

もしもその状況に直面したとして、どう考えてどちらを選択するかという倫理観を問う問題だが、これが正しいという答えはない。

トロッコの先に作為を介入させるべきか、命を数として天秤にかけるべきでないのか、考えた人それぞれの答えがある。

『ちょっとだけエスパー』(テレビ朝日系)8話のラスト、兆(岡田将生)と市松(北村匠海)の緊迫したやりとりを見て、そのトロッコ問題のことを思い出した。

横領で会社をクビになり、家族も財産も失った文太(大泉洋)は、薬を飲んでエスパーになることを条件に、ノナマーレという謎の会社にスカウトされる。

仲間のエスパーたちや、「文太の妻」と言い張る四季(宮﨑あおい)と出会い、平穏な日々を過ごしていたが、敵対するエスパーが現れ、かつ四季の記憶が混乱しはじめたことで文太の運命は暗転していく。

前回のラストで四季が文太を選んだ時、兆は不快そうな表情を見せたが、そこに激しい怒りはなかったように思う。

文太が四季と心を通わせているということは、裏返せば四季を救いたいと心の底から願って動いてくれる忠実な『手足』を得たということであり、不愉快さと同じくらい兆は内心では安堵したのではないか。

兆の思惑通りに、江ノ島のデートは切なくて美しかった。

未来の記憶と現在、1人の女の中に同時に存在する二つの愛情を、宮﨑あおいは一切の矛盾なく表現し、大泉洋はその二つの愛情をまるごと受け止めざるをえない男の悲哀を包みこむように表現していた。

だからこそ、最後に突き放すように四季に薬を飲むように念を押しながら、結局飲むところまで確かめなかったことの意味を考えてしまう。

単に何もかも中途半端に生きてきた男の詰めの甘さだったのか、それとも自分を忘れて他人になってしまう四季を見たくなかったのか。

いずれにしても、文太のその小さな意地あるいは選択が、激しく未来を揺さぶろうとしている。

今週は市松を演じる北村匠海の魅力が強く印象に残った。

個人的に、初めて北村匠海の名前をしっかりと覚えたのは2018年の『隣の家族は青く見える』(フジテレビ系)だった。

コーポラティブハウスに住む恋人のもとに転がり込んでくる同性愛者の青年を生き生きと演じていた。

その演技が、ある意味年齢不詳なほど老成していて上手かった。

調べてみて、20歳になったばかりの若い俳優だと知って驚いたのを覚えている。

そして子役の頃から芸能界にいてキャリアが長いこと、音楽活動も同時進行していると知って、「なるほど」と納得した。

その後、才能に見合う驚異的なスピードでキャリアを駆け上がっていく中で、インタビューやトーク番組で見る機会も増えたが、北村は常に穏やかで人当たりよく応じる中で、ここから先は他人には容易には立ち入らせないという一線を強く守っているように見える。

それは幼い頃から芸能界にいるからこそ身につけた『盾』であり、浮き沈みの激しいエンタメの世界で自分を保つための技術の一つなのだろう。

しかし、そんな冷静さや客観性のさらに奥、北村匠海の中には人が生きていくことへの力強い肯定が息づいている。

その肯定は『DISH//』のボーカルとしての彼の歌声に満ちあふれているし、連続テレビ小説『あんぱん』(NHK)で卵を殻ごと食べ尽くした演技の情熱にもにじみ出ていると思う。

今回のラストで、兆から持ちかけられた黙認しろという取引を市松は即座に断ってしまう。

兆が望む、1人が死なない世界と1千万人が死ぬ世界。暴走するトロッコのスイッチをどうすべきか、誰にとっても100%正しい答えなど存在しない。

けれども、苦しみ悩み抜いて選んだ自分の答えを引き受ける覚悟を市松は持っている。

その覚悟の表現が、まさかの『手汗で一生べしょべしょ』だということに心が震えた。

AIの答えや薄っぺらい議論の中にはない、強烈な生身の身体性が、手汗という言葉には詰まっている。

その言葉を、いずれこの国のエンタテインメントを背負っていくだろう北村匠海の渾身のセリフとして聞けたことに、いま大きな拍手を送りたい。

[文/かな 構成/grape編集部]

かな

SNSを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。

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