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「当時は許されませんでした」81歳の現役女医が切り開いた、育児と仕事を両立する術とは?

  • 2025.12.10

「当時は許されませんでした」81歳の現役女医が切り開いた、育児と仕事を両立する術とは?

80歳を超えてなお現役の医師を続ける天野惠子さん。女性外来で週2回、診療に当たる天野さんが話題です。今すぐマネしたくなる、今知っておきたい健康の話が満載の著書『81歳、現役女医の転ばぬ先の知恵』から、一部抜粋して、4回に分けてご紹介します。第2回は、ストレスをしなやかにかわす方法について。

ストレスには抵抗しないで〝鈍感力〞で上手にスルー

そもそも、私は子どものころから「わが道を行く」タイプだったかもしれません。小中学校時代のあだ名は、〝蛍光灯〞。

当時の蛍光灯は、スイッチを入れてもすぐには明かりがつきませんでした。つまり、ちょっとずれているというか、鈍いというか、今でいう「天然」でしょうか。

今でもそうですが、嫌なことをいわれても、「ん? 自分がいわれているのな?」という感じ。悪口などどこ吹く風、どこか抜けているところがあるんですね(笑)。

でも、だからこそ、必要以上にストレスをためることなく、メンタル的にいつもフラット。激昂したり落ち込んだりといった気分のアップダウンも少なく、精神的にいつもとても安定しています。

それは、生来の〝鈍感力〞によるものではないかと思います。

結婚したとき、義母から次のように告げられました。
「子どもが生まれたらお仕事はお休みしてくださいね」

夫は一人っ子の長男でしたし、当時の「イエ意識」はすさまじく、夫の実家からの
過干渉は相当なものでした。

「休むって、いつまでですか」
私が問い返すと、義母は次のようにいい放ちました。
「子どもが20歳になるまでね」

私はびっくりはしましたが、何のリアクションもしませんでした(笑)。そのときはかばってくれた夫とは、仮面夫婦の期間も含め30年以上連れ添いましたが、63歳のときに離婚しました。

婚姻中は家庭内ではいろいろあり、義母ともさまざまな確執がありました。しかし、離婚後、病を得て、年老いた義母は、私が働く病院に入院し、結局最期は私が看取りました。

親しい人からは「お人好しね」などといわれたりもしましたが、病気になった弱者を前にしたら、私は一人の医師としてフラットに接するだけ。それができたのも、私の鈍感力のせいかもしれません。

鈍感力とは、ストレスの原因を真正面から受け止めるのではなく、上手にかわしたり、適当に受け流したりするスキルのこと。他人と接していればさまざまな〝雑音〞も耳に入ってきますし、トラブルも避けられないでしょう。

そのことにいちいち立ち向かっていては、精神的にハードです。雑音や逆風は「どこ吹く風」とスルーするのがいちばん。悪口をいれたら、聞こえないふり。ぜひ、この〝鈍感力〞を養ってみてください。

人はそうそう変わるものではありませんし、変えることはできません。他人と過去は変えられず、変えられるのは、自分と未来だけ。

私は「いろいろな人がいる」と思うと同時に、「人を変えることはできない」と割り切っていますから、人間関係で必要以上にストレスがたまることはありません。

「先生は本当に怒りませんよね」「いつも感情が安定していまね」と、周りの人からもよくいわれます。年齢を重ねて丸くなったということもありますが、声を荒らげて怒ったところで状況が好転することはほとんどないでしょう。さっさと気持ちを切り替えることでストレスも軽減します。

まずは一人の味方を作って周りを巻き込む

男性社会の医学界でしたが、必死で頑張っていると、正当に評価してくださり、応援してくださる方が現れます。私も東京大学第二内科に所属していた当時は、研究室の長であった坂本二哉先生が奥様ともども陰になり日向になり助けてくださったおかげで、のびのびと働くことができました。

子どもが水疱瘡になり、保育園に預けられず困っていたとき、職場に連れていって遊ばせることができたのも、坂本先生の口添えがあったからにほかなりません。

また、地方で行われる泊まりがけの学会にも、子どもが小学生になるまで連れていくことができました。坂本先生は奥様ご同伴でその学会に出向かれており、学会中、奥様が子どもの面倒を見てくださったこともありました。子どもを職場に連れていったり、子連れで学会に出向いたりすることなど、当時は許される時代ではありませんでした。坂本先生と奥様には本当に助けていただき、感謝しかありません。

育児と仕事の間でいっぱいいっぱいになり、ストレスフルな状態になったことも数知れずありますが、そのようなときに自分を俯瞰して見てみると、ストレスの元になっていることは、自分を取り巻く事象や人のうちのほんの一部であることがわかります。

周りを見渡すと、よくしてくれる人や協力してくれる人が必ずいるはず。まずは一人の味方を作りましょう。

子どもが成長し、だんだん手が離れるようになると、さらに仕事に集中して取り組めるようになりました。

わき目もふらずがむしゃらに仕事をしていると、次第に成果を出せるようになり、手ごたえを感じるとともに周りからの評価も高まっていき、さまざまなタイミングで取り立ててもらえるようになりました。

口だけでなく、行動を伴ってこそ周りを巻き込むことができ、少しずつ評価され、 協力してくださる方々がふえていったように感じています。結局のところどんな組織 でも、上司に恵まれないと職場でじゅうぶんに活躍することはできないと思います。

※この記事は『81歳、現役女医の転ばぬ先の知恵』天野惠子著(世界文化社)の内容をWEB掲載のため再編集しています。

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