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ラマヌジャンのπ公式は数学的に「ブラックホール語」だった

  • 2025.12.9
ラマヌジャンのπ公式は数学的に「ブラックホール語」だった
ラマヌジャンのπ公式は数学的に「ブラックホール語」だった / Credit:Canva

インドのインド科学研究所(IISc)で行われた研究によって、1914年に天才数学者ラマヌジャンが発表した円周率π(パイ)の公式が、現代のブラックホールなどを扱う理論モデルの数式の中で、よく似た骨組みの数学構造として現れることがわかりました。

100年前の純粋数学が、ある意味で “ブラックホールの言語” として通じていたのです。

この発見により、ブラックホールの理論計算の一部がこれまでより効率的に行える可能性が示されています。

100年前に紙と鉛筆だけで書かれた数式が、なぜ今になってブラックホールや乱流の計算に役立つのでしょうか。

研究内容の詳細は2025年12月2日に『Physical Review Letters』にて発表されました。

目次

  • 『ただの計算道具』で終わらなかったラマヌジャンのπ公式
  • ブラックホールに関わる理論に、ラマヌジャンのレシピがそのまま現れていた
  • 専門家向けの解説

『ただの計算道具』で終わらなかったラマヌジャンのπ公式

『ただの計算道具』で終わらなかったラマヌジャンのπ公式
『ただの計算道具』で終わらなかったラマヌジャンのπ公式 / Credit:Canva

数学の公式がブラックホールの「言語」を話していたら――そんな奇想天外な話が実際に起きました。

円周率π(パイ)は学校で3.14…と習う不思議な数字ですが、これと黒い天体であるブラックホールを結びつけて考えることは普通ありません。

しかし今から約100年前、このπにまつわる驚くべき発見がなされていました。

1914年、インドの天才数学者シュリニバーサ・ラマヌジャンは、円周率の逆数1/πを高速に計算できる17個の無限級数の公式を発表しました。

わずかな項で多くの桁を正しく計算できることから、これらは「魔法の級数」として知られています。

驚異的な公式を生み出したラマヌジャン本人は「頭の中に突如として公式が現れた」と伝えられており、当時応用方法までのアイディアがあったわけではありません。

ただその後の研究で、この系統の公式は非常に効率的で、現在ではスーパーコンピュータによる円周率計算(ラマヌジャン型の級数に基づくチュドノフスキー算法)にも応用され、πを300兆桁まで求めた記録も報告されています。

しかしこのような強力な公式はただのツールに過ぎないのでしょうか?

数学の産物である公式が、自然界の原理に“偶然にも”根ざしているとしたらどうなるのでしょうか。

そこで今回研究チームは「ラマヌジャンの公式はどこか物理の世界に自然に現れるのではないか?」という大胆な問いを立て、それを確かめることにしました。

ブラックホールに関わる理論に、ラマヌジャンのレシピがそのまま現れていた

ブラックホールに関わる理論に、ラマヌジャンのレシピがそのまま現れていた
ブラックホールに関わる理論に、ラマヌジャンのレシピがそのまま現れていた / Credit:Canva

ラマヌジャンの魔法のような公式は、物理学とどのように関係しているのでしょうか。

研究チームはまず、「物理の世界に自然な形でこの公式が現れているかもしれない」という興味深い仮説を立てました。

そこで調査の対象として選ばれたのが、「対数共形場理論」というやや難解な理論です。

この対数共形場理論は、物理学者がさまざまな自然現象を説明するときに利用する数学的な枠組みのひとつです。

また近年、この対数共形場理論は、「ホログラフィー」と呼ばれる非常にユニークな物理学の考え方を通して、「ブラックホールの数学的なモデル」としても注目されています。

ホログラフィック原理というのは、「もしかすると宇宙そのものが、ホログラムのように振る舞っているかもしれない」という大胆なアイデアです。

もう少し丁寧に言うと、「ある空間の中で起こりうるすべての物理的な情報は、その空間の“中身”ではなく、“外側の表面”に書き込めるかもしれない」という主張です。

たとえばブラックホールでいうと、穴の中(三次元)にどんなものがどれだけ入っていても、その「情報の量」はブラックホールの表面(二次元)に書き込めてしまうという考えです。

これを宇宙全体に広げて想像すると、「もし宇宙を取り囲む二次元の膜のようなものがあるとしたら、三次元の宇宙の中で起きていることは、原理的にはその膜(二次元)の上に情報として書き込むことできるかもしれない」というイメージの理論だと言えます。

この理論において外側の表面部分を担当する理論(共形場理論や対数共形場理論)が登場するのですが、驚くべきことに、ラマヌジャンの公式の骨格とこれらの理論で現れる境界(外側の面)側の数式パターンが、非常によく似ていることが発見されたのです。

つまり、ラマヌジャンが紙の上に書いた1/πのレシピは、数学的には「ブラックホールを覆う表面部分に書かれた情報の書式」とほぼ同じ型の表現として通用する形になっていたわけです。

ある意味で100年前に作られたラマヌジャンの公式が「ブラックホール語」として当てはまったようなものです。

もしラマヌジャンが生きていたら、きっとビックリしたことでしょう。

さらにこの発見をもとに、研究者たちは物理側の計算手法を新しい形で構築しました。

対数共形場理論における相関関数を計算するために、ラマヌジャンの級数から着想を得た新しい展開式(シリーズ展開)を構築したのです。

その結果、ラマヌジャンの公式を理解して最適な形に並べ直すことは、「表面の理論をとても効率よく書き下すこと」になり、その効率のよさがそのままホログラフィック原理を使ったブラックホール計算などにも利いてくる可能性があります。

さらに驚くべきことに、研究チームは「ある微分演算」を新たな展開式に施しました。

ざっくり言うと、数式にフィルターをかけるような操作です。

すると、もともとはたくさんの項が入り乱れていた計算が、一気に整理されました。

その結果、ある条件のもとでは、「ログ恒等演算子」と呼ばれる、その理論の中でいちばん基本的なパーツひとつだけの働きで、1/πの値がほとんど全部説明できてしまったのです。

言い換えれば、見かけ上は無数にあった項のほとんどが不要で、ほんの一握りの本質的な項だけで1/πを表現できることが数学的に示されたのです。

これは対数共形場理論という理論に内在する普遍的な性質を示唆しており、ブラックホール模型を含む複雑系の計算に新たな光を当てる成果と言えるでしょう。

そして何より象徴的なのは、この結果が示すストーリーです。

100年前にラマヌジャンが発表した純粋数学の公式は、実は当人の知らないところでブラックホールや乱流を扱う理論研究に貢献していたとみなすこともできます。

筆頭著者のバット氏は「ラマヌジャンの動機は非常に数学的なものだったかもしれませんが、彼は知らないうちにブラックホールや乱流、浸透といったあらゆる現象をも研究していたのです」と述べています。

ラマヌジャンの残した公式の多くは現代数学の力を得て解読が進んでいますが、それでもいくつかにおいては不明部分が多く未だにその全容が掴めていません。

100年前の青年の勘に人類科学が追い付くのはいつになるのでしょうか?

専門家向けの解説

本論文で「ブラックホール」が顔を出すのは、ラマヌジャンのπの逆数級数と、2次元の対数共形場理論(LCFT:相関関数に対数が現れる共形場理論)の対応を、ホログラフィー(重力の時空と境界の場の理論を対応させる考え方)として読み替える局面です。

著者らは本編の結論としてホログラフィー的な解釈を議論すると明記しており、LCFTが「ホログラフィーにも現れる」と位置づけています。

中心になるのは付録で提示される「ルジャンドル関係式のホログラフィー解釈」です。

そこで扱うのは、漸近的に反ド・ジッター(AdS:負の曲率をもつ重力時空の標準模型)に近いシュワルツシルト型のブラックブレーン背景(ブラックホールの“平面版”に相当する模型)中のスカラー場です。

さらに質量をブライテンローナー–フリードマン境界(BF bound:AdSでの安定性の下限)ちょうどに調整すると、このスカラーのバルク–バルクGreen関数(時空内部の2点応答に相当)の構造が、LCFTの相関関数の骨格と一致すると述べます。

特に、周波数と運動量をゼロにした静的成分(ゼロモード)が物理的に重要であり、そのラジアル方程式には「境界で正則な解」と「地平線で正則な解」という自然な2つの基底が現れます。

境界で正則な解は地平線側で対数的特異性を持ち、地平線で正則な解は境界側で対数的特異性を持つ、という“ログ”の性格が、重力側では「どこで正則性を課すか」という境界条件の違いとして具現化されます。

そしてGreen関数は、ソース点を境にこれら2解の積を貼り合わせた形で書け、結果としてLCFT相関関数と同型の構造になる、とまとめています。

この同型性を“ただの似姿”で終わらせず、ブラックブレーン物理に結びつける鍵が、ルジャンドル関係式をワロンシアン(Wronskian:2つの独立解から作る保存量)として読む視点です。

著者らは、ここでのルジャンドル関係式がラジアル方程式のワロンシアンそのものになっており、したがってラジアル方向に保存する「シンプレクティック流束(symplectic flux:解の組が運ぶ保存フラックス)」を意味すると述べます。

の保存則は、Green関数の全体の規格化が「どの半径で評価しても同じ」ように固定されることを保証し、さらに境界理論側の量へ直結します。

境界の言葉に直すと、静的感受率(static susceptibility:外場のソースに対する応答の比例係数)は赤外(IR:地平線側の物理)だけで決まり、地平線での正則性と保存ワロンシアンが、境界での「ソース係数と応答係数の比」を固定する、という主張になります。

著者らはこれを、地平線データが境界のゼロ周波数応答を支配するという“radial Gauss law”のロジック、すなわち膜パラダイム(membrane paradigm:地平線を有効膜として扱う輸送公式の背後にある考え方)の静的スカラー極限だと位置づけています。

さらにブラックブレーンらしい解釈として、数学側で出てくる「モジュラー方程式の次数」を、ブラックブレーンの熱円周(ユークリッド時間の周期)に対するn重被覆として読む、という幾何学的見立てが提示されます。

著者らの説明では、モジュラー・スライス上ではこの被覆によって「境界正則基底」と「地平線正則基底」が代数的因子を除いて同値になり、特異値で両者が整列するため、混合チャンネルの表現が単一チャンネルへ“崩壊”します。

その操作が、本編で強調される「収束がパラメトリックに速くなる」理由であり、被覆空間では各項がn回分の巻き上げ(windings)をまとめて数えるためだ、と述べられています。

ここで重要なのは、速収束という計算上の利得が、熱円周の多重構造というブラックブレーンの熱幾何と結びつけて語られている点です。

最後に、論文の分散表現(dispersive formula:不連続性やスペクトル密度から関数を再構成する表現)の“ホログラフィー意味”として、静的バルク–バルクGreen関数を「地平線に対応するブランチカット上のデータ」からスペクトル再構成する見方が提示されます。

積分変数は地平線を貫くブランチカットに沿って走り、境界正則解を地平線越しに別の解析枝(第二リーマンシート)へ移したものが現れるのは、紫外(UV:境界側)ブロックのカットが赤外(IR:地平線側)ブロックに比例するという構造の反映だと説明されます。

カットが供給するのはスペクトル密度で、これは地平線での流入条件(ingoing condition:地平線へ落ち込む境界条件)で決まり、保存フラックスが静的な規格化を固定することで、物理的なGreen関数が再現される、という整理です。

さらに、分散表現に入るパラメータ(本文ではラムダ)は同じGreen関数を表す“表現の自由度”に過ぎず、重みを2つのラジアルチャンネル間で付け替えるだけで不変であること、変化分は同次解の付け足しとして解釈できるが、地平線流入条件とワロンシアン規格化で係数がゼロに固定されるため新しい物理は含まれない、つまり「分散のゲージ選択」だと明言されています。

要するに本論文がブラックホール(ブラックブレーン)について与えているのは、「特定の質量に調整したスカラーの静的Green関数」を媒介に、LCFT相関関数のログ構造と、地平線正則性・保存フラックス・熱円周の多重被覆・地平線カットからの再構成という、ブラックブレーン側の標準的構造が、数学的恒等式や速収束展開の“物理的な中身”として読み替えられる、という一貫した意味づけです。

元論文

Ramanujan’s 1/𝜋 Series and Conformal Field Theories
https://doi.org/10.1103/c38g-fd2v

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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