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Netflixで配信開始! 「ショーン・コムズ: 裁きの時」で、新たにわかった8つの衝撃的事実

  • 2025.12.8
NBC / Getty Images

2025年、組織犯罪や人身売買などの容疑で起訴されたディディことショーン・コムズ。売春目的で州をまたがって女性や少女を移送した2件の罪で有罪になり、禁錮4年2か月の判決を下された。ショービズ界でスターダムを駆け上がりながら、裏では多くの人を搾取し傷つけていたディディ。彼が犯した罪を追ったドキュメンタリー「ショーン・コムズ: 裁きの時」全4話の配信が、12月2日よりNetflixで始まった。彼を知る、多くの人たちの証言からわかったディディの真実の姿、そしてその背景を辿る。

【本文には作品の内容が紹介されています。また、暴力に関する記述が含まれています。】

L. Busacca / Getty Images

2パックの殺害を指示したのはディディだった

1996年9月にラスベガスで銃撃され死去したラッパーの2パック。以前からディディの関与が疑われていたが、番組の中で彼の元側近、2パックの関係者、元ギャングのメンバー、元刑事らがディディが首謀者であることを証言している。

発端となったのはディディが見出したラッパーのノトーリアス・B.I.G.(以下、ビギー)と2パックの関係。2パックがビギーをツアーの前座に起用するなど、2人の友情、そして2パックに嫉妬していたディディ。2パックは映画スターとして、ラッパーとして多くの人を魅了していた。対するディディは音楽の才能よりも、売れるものを嗅ぎ取る感覚と人を操る力でのし上がった人物(実際、ラッパーのマーク・カリーやアル・B・シュア!は「ディディにラッパーとしての才能はない」と一刀両断している)。2パックを羨むと同時に恐れていたという。

Jeff Kravitz / Getty Images

1994年、その2パックがマンハッタンのスタジオで銃撃されるという事件が起きた。金目当ての強盗がやったことだという見方もあったが、その場にディディとビギーがいたこと、つけていたロレックスを犯人が奪っていかなかったことから2パックは当時からディディの関与を疑っていた。

その後、レコード会社「デス・ロウ・レコード」の共同設立者で西海岸のラップ界を牛耳っていたシュグ・ナイト(写真右)が2パックの味方につく。そんなシュグの連れがディディ一味と見られる人物に銃撃される事件が起こるなど、東西抗争はヒートアップしていく。

New York Daily News Archive / Getty Images

そして1996年9月に悲劇が起きる。ラスベガスで行われたマイク・タイソンの試合会場で、2パックはロサンゼルスを拠点にするストリートギャング、サウスサイド・クリップスのメンバー、オーランド・アンダーソンを目撃する。アンダーソンは以前、ロサンゼルスのモールでデス・ロウ・レコードのメンバーを襲った犯人。それをシュグから聞いた2パックは、ボクシングの試合の興奮も手伝い、アンダーソンに襲いかかる。そのあとシュグと2パックは車で会場からクラブに向かうが、その途中で横付けしてきた車から銃撃されるのである。銃弾を受けた2パックは6日後に死亡した。シュグは一命を取り留めた。

Robert Mora / Getty Images

2023年、ラスベガスの警察はサウスサイド・クリップスのメンバー、キーフィー・Dから、この銃撃事件について証言を得た。キーフィーはディディが以前からクリップスのメンバーたちと知り合いだったこと、シュグや2パックへの報復を口にしていたことを明かした。またハーレムを支配するギャング、エリック・ボン・ジップから2パックとシュグの殺害を100万ドルで依頼されていたことも。その100万ドルをエリックに支払っていたのがディディだったことを暴露、本当の依頼主がディディだったことも示唆している。エリックはディディの父と知り合いで、ディディはエリックを親のように慕っていたという。ちなみにシュグ殺害には失敗したため、キーフィーには半額の50万ドルだけが支払われる予定だったが、キーフィーは受け取っていないという。

ジップはすでに死亡していて、真相を語ることはできない。ディディは一貫して2パックの銃撃への関与を否定している。キーフィーはその後「この証言は警察に強制されたものだ」と否定している。

バッド・ボーイに所属していたラッパーのブラック・ロブは2000年にアルバム『Life Story』をリリースしている。収録曲「Muscle Game」の前半でディディは「俺に手を出したら100万ドルでお前と家族を消してやる」と歌っている。これが2パックに関する事実だった可能性が高い。

Jim Smeal / Getty Images

ビギーの死にもディディが関与していた

2パックの死と並ぶ、もう1つの悲劇がビギーに対する銃撃事件だ。2パックの銃撃事件から半年後、ロサンゼルスでソウル・トレイン・ミュージック・アワードが開催される。2パックの死で東西抗争はますます激化しており、「ロサンゼルスには行くな」とアドバイスするものも多かったが、ディディは聞かなかった。ビギーのニューアルバムをPRするために彼とロサンゼルスに飛び、授賞式に出席。ビギーは行くのを最後まで嫌がっていたという。会場は案の定、ブーイングの嵐だった。

Nitro / Getty Images

授賞式の後、ディディとビギーは同じくアルバムのPRのためにロンドンに行く予定だった。しかしディディは突然キャンセル、ビギーと共にロサンゼルスに残ると宣言。ディディの側近だったカーク・バロウズは「敵地でパーティーを開くためだった」「ビギーは怖がっていた」と証言している。ビギーはそのパーティー会場から車で帰る途中で銃撃を受け、帰らぬ人となった。本作では、これまで公開されていなかった銃撃時の映像も使われている。捜査を担当した元刑事によると、ディディはこの銃撃事件の捜査に非協力的だった。この事件の真相を追求すれば、2パックの銃撃事件にも捜査の手が及ぶからだと元刑事は見ている。ビギーの母はディディとシュグの戦いのせいで、ビギーが死んだとコメント、ビギーの死の責任はディディにあると示唆している。

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アーティストたちを搾取していた

バロウズによるとビギーには亡くなる前、雑誌『ローリング・ストーンズ』の表紙を飾る話がきていたという。しかしディディはそれを横取り。自分が表紙を飾った。またビギーはバッド・ボーイと待遇について交渉し、ビギー自身に対してより良い条件が提示された契約書にサインをしていた。しかしビギーが亡くなると、ディディはこれを自分に有利なように書き換えろとバロウズに指示。バロウズがそれに反対すると、解雇した。

ディディはビギーの死を受け、追悼メッセージを発表。「ニューヨークで一番大きな葬儀を出して」彼を弔うと発言した。しかしその費用が多額なものになることに気がつくと、こっそりビギーの売上から支払った。

Raymond Boyd / Getty Images

搾取されていたアーティストはビギーだけではなく、ディディに関わったほぼすべてのアーティストたちが同じ目にあっていた。バロウズによると、彼は「利益の流れを隠して、正当な印税を支払っていなかった」。ラッパーのクレイグ・マック(写真)の妻は当時を振り返り、「グラミー賞の候補になっても金はなかった」と語る。彼女が父親に経済的な援助を求めなくてはならないほど、困窮していたという。あるときマックがディディに借金を申し込むと、ディディはポケットから100ドル札の札束を出し、その中の1枚だけをマックに渡したとも。

Dave Benett / Getty Images

バロウズ本人もディディに搾取されていた。彼はバッド・ボーイの共同設立者で当初、株式の25%を持っていた(ちなみに75%はディディの母が持っていた。会社設立前に死傷事故を起こしていたディディは、自分が株式を持つと遺族から損害賠償を求められる事態を想定していたという)。あるときディディは野球バットを持ってバロウズのオフィスに入ってくると、「今すぐ株を返せ」と脅した。バロウズは株をディディに譲る契約にサインをしたが、その対価が払われることはなかった。2003年にバロウズはディディを提訴するも訴えは棄却され、業界からも追放される。彼は今住むところも失い、シェルターで暮らしている。

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愛人への性的虐待は8年以上続いた

本作は、ディディの女性たちに対する暴行や虐待についても追求している。セックスワーカーの派遣サイトに登録していたある男性は週に2、3回、8年以上にわたってホテルに呼び出され、ディディにサービスを提供していたことを告白している。男性によると、彼はホテルで当時ディディの愛人だったシンガーのキャシーと性行為をするように求められた。顔を隠し、偽名を名乗り部屋に入ってきたディディは、それを眺め、2人に動きを事細かに命令。最初はキャシーと男性の性行為を見るだけだったが、ある時点からディディ自身も加わるようになり、3人のパーティーは1日半も続くことがあったと明かしている。ちなみにディディは行為中に2パックの曲が流れると「変えろ」と指示していたという。

Jamie McCarthy / Getty Images

ディディの行為に耐えかね、キャシーがホテルの部屋から逃げ出すこともあった。するとディディはキャシーを連れ戻し、2人きりで部屋にこもったという。部屋の中で何が行われていたのか、男性は明かしていないが、代わりに男性は性行為の最中にディディがキャシーに暴力を振るっていたことを暴露。部屋の中でも暴力行為が行われていたことを匂わせている。ディディがキャシーの胸を殴り、「彼女が部屋の端まで吹っ飛んだ」こともあったと語る。2024年5月にCNNはディディとキャシーが宿泊していたホテルの廊下の監視カメラの映像を入手、ディディが部屋から逃げ出したキャシーに殴る蹴るの暴行を加え、引きずって部屋まで連れ帰る様子を放送した。本作でも、この男性の証言を裏付けるものとしてこの映像が使われている。

Nitro / Getty Images

ディディの虐待の犠牲になった女性は、もちろんキャシーだけではない。ディディは音楽業界に入って間もない時期、パーティーのプロモーターのバイトをしていた。彼がPRするパーティーに出席した女子大学生、ジョイ・ディッカーソン・ニールは、薬を盛られてディディからレイプされたこと、ディディがその様子を撮影し、パーティー会場の大画面で流していたことを明かしている。彼女は2023年にディディを提訴した。

本作の中では、彼がレコード会社のインターン時代に付き合っていたスタイリストのミサ・ヒルトンのことを街中でも平気で殴っていたこと、妻のキム・ポーターに誰もいないところで暴力をふるっていたことも関係者が証言。シンガーのオーブリー・オデイをレイプした疑惑も取り上げられている。

Michael Loccisano / Getty Images

オーブリーはディディがプロデュースするオーディション番組で勝ち残り、ガールズグループ「ダニティ・ケイン」でデビュー。彼女は当時を振り返り、「彼の女になると、グルーミングされ、彼に利用されるようになる」と証言している。カラコンやエクステをつけるときも彼の指示に従っていたという。そしてそのうちに彼から性的なテキストが送られてくるようになり、ディディの要求に応じなかった彼女は、半年後にグループから解雇されている。

Michael M. Santiago / Getty Images

性的虐待を受けたのは女性だけではなかった

ディディは男性もグルーミングし、虐待した。バロウズは、ディディが彼を自分のオフィスにわざわざ呼び出して性行為を見せつけてきたと話している。またリル・ロッド(写真)は2022年9月、ディディのアルバム『The Love Album: Off the Grid』のレコーディングに参加したときの体験を告白。ディディが高額のギャラや家をオファーして手なづけようとしてきたこと、彼から性的に不適切な行為を受けたことを明かしている。パーティーで記憶を失い、目が覚めると「体が痛かった」ことを明かし、薬を盛られ性的暴行を受けていたと主張。またそういったパーティーに、ディディの息子ジャスティンも参加していたことを仄めかしている。リル・ロッドは2024年に性的暴行とギャラの未払いでディディを提訴。ちなみにこのアルバムでディディはグラミー賞にノミネートされている。

Jason Kempin / Getty Images

母親から虐待を受けていた

ディディの幼馴染で、同じように音楽業界に進んだティム・パターソンは少年時代のディディについて語っている。ディディの母ジャニスは仕事を掛け持ちしてディディを育てたと、シングルママとしての苦労を強調しているが、事実は少し違うよう。ディディの父メルヴィン・コムズは裕福な麻薬密売人。ディディが幼い頃に殺害され、母一人子一人になるが、メルヴィンの残した金で比較的恵まれた生活を送っていたという。

Michael Tran / Getty Images

母に大切に育てられたコムズは、「王子さまのよう」だったとパターソンは振り返る。学校ではいじめられていたという。母はディディが強い男に育つことを望み、「冗談では済まされない」ほどディディを殴り、暴力を振るわれたらやり返すように教えた。その結果、彼は「相手の耳を齧り、首を切り裂くような」ケンカをするようになったとパターソンは明かす。ジャニスはディディに対する虐待疑惑についてコメントしていない。

Logan Fazio / Getty Images

ディディは黒人が嫌い

ディディは2024年9月、人身売買の容疑などで逮捕される数日前、取り巻きたちと出身地であるニューヨークのハーレム地区を訪問。地元が生んだスターのカムバックに住民たちは大喜び。彼に握手やセルフィーを求めた。ディディもそれに笑顔で応じ、ある女性には「いい匂いがするな」と声をかけていた。しかし車に戻ると態度が一転。「手を消毒したい」「風呂に入りたい」とたった今まで笑顔で接していた黒人住民たちをディスった。ディディの元ボディガードはこう証言している。「ディディは黒人といるのが好きじゃない」「彼は自分のカルチャーを利用する。自分に必要なときだけ」。逮捕が近いことを察していたディディは、地元、特に同じ黒人たちの声を利用しようとしてハーレムを訪ねただけだった。

John Lamparski / Getty Images

SNSを使って陪審員をコントロール

ディディは「自分で物語を支配しないと、誰かに操られる」とコメント。自分が作ったラップグループ「ディディ-ダーティ・マネー」の女性メンバーが彼を性的虐待で訴えたことを知ると、彼女が自分についてポジティブなコメントを述べている動画を集めるように指示を出した。その動画をSNSで拡散し、性的虐待に関する主張の信憑性を失墜させようという策略だ。

ディディはこの手法を裁判でも駆使。彼のPRチームは裁判の傍聴にやってきたインフルエンサーたちに「毎日裁判記録のハイライトを送る」「仲間とシェアして」とオファーしていた。あるインフルエンサーが証言している(ちなみにこの人物は断った)。「ランチタイムに大勢のインフルエンサーと一緒にいた」「彼らはディディに都合のいい話をSNSで拡散していた」。今回の裁判の陪審員たちは裁判中、隔離されず、毎日帰宅できた。SNSも見られたと陪審員は証言している。SNSにはPRチームが望んだように「キャシーが首謀者」「説明責任を果たしていない」という声が溢れていた。陪審員たちの出した判決がそれに左右された可能性を、陪審員の1人が示唆している。

Samir Hussein / Getty Images

裁きの時は来るのか。

ディディのアシスタントだったカプリコーン・クラークはディディのことを「心理戦が上手。人をイラつかせ、弱みに漬け込み、報復するのが上手」だと話す。側近のカーク・バロウズもディディを「彼は自分が受けた拒絶や侮辱を忘れない」「彼はずる賢く、計算高い。人を操る天才だ」と描写「ある意味魂がない」と語る。ラッパーのマーク・カリーは「いつか罰が下る」とコメント、ディディの虐待のサバイバーたちにとって禁錮4年2か月という判決があまりにも軽いと涙を流す。彼らが、真にディディが裁かれたと思える時がいつか来るのだろうか。

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