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「親に捨てられた」92歳の祖母が語った過酷すぎる半生と“日本一幸せなおばあちゃん”になるまでの道のり【作者に聞く】

  • 2025.12.6
祖母の壮絶な半生が次々と明らかになる… (C)ゆっぺ/KADOKAWA
祖母の壮絶な半生が次々と明らかになる… (C)ゆっぺ/KADOKAWA

Instagramやライブドアブログで実話エッセイを描く漫画家・ゆっぺさん。2021年にはブログが月間3000万PVに到達し、ライブドアブログ OF THE YEAR2021で最優秀グランプリを受賞した。

代表作の1つ「親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話」は、92歳の祖母・キヨさんの半生を綴ったものだ。幼少期から続いた“家庭内いじめ”のような扱い、戦前の厳しい暮らし、そしてそこから始まる長い人生。その壮絶さに、ゆっぺさん自身も「想像できないほどの物語だった」と語る。

作品誕生は、何気なく聞いた祖母の昔話から

『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』1-1 (C)ゆっぺ/KADOKAWA
『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』1-1 (C)ゆっぺ/KADOKAWA
『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』1-3 (C)ゆっぺ/KADOKAWA
『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』1-3 (C)ゆっぺ/KADOKAWA
『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』1-6 (C)ゆっぺ/KADOKAWA
『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』1-6 (C)ゆっぺ/KADOKAWA

コロナ禍の外出自粛期、家族でお茶を飲んでいたときのこと。ゆっぺさんが何気なく「おばあちゃんって昔、養女だったんだよね?」と聞いたことから、思いがけない話が始まったという。「最初は日常の延長だったのに、気づけば引き込まれていた」と振り返る。語られる内容は深く、止め処なくあふれたという。キヨさんは「誰にも話したことがない」と前置きし、幼少期の記憶を語り始めた。

ゆっぺさんが驚いたのは、「おしんと全く同じだった」という祖母の言葉だった。「養女」という言葉の印象とは異なり、実際は奉公人のような扱いで、—家族ではなかった—と祖母は静かに言った。朗らかで明るい祖母からは想像できない過去に、ゆっぺさんは「これはただの家族の昔話ではない」と感じたという。

知られざる壮絶な幼少期、それでも折れない心

キヨさんは周囲が驚くほど前向きで、忍耐強い人だ。92歳になった今も畑に出たがり、—「木に登って枝を切るつもりだった」—と笑うほど元気だという。ある日、腰にヒモを巻いていたので理由を尋ねると、落下防止の“命綱”代わりに結んでいたのだとか。数年前、実際にリンゴの木から落ちて骨折したこともあり、家族が慌てて止めたという。入院中も足の指でお手玉をつまんで動かすなど、熱心なリハビリで驚異的な回復力を見せた。

そんな姿からは“家庭内いじめ”の経験など少しも感じられない。「泣いたり怒ったりしたところを見たことがない」ほど穏やかな性格で、人を恨むような気配さえ見せない。ゆっぺさんは「その強さがどこから来たのかを知りたかった」と語る。

家族にすら語られなかった記憶が、漫画として形になるまで

語られたエピソードは膨大で、どれも胸を締め付ける内容だった。血縁の家族から“いないもの”のように扱われた幼少期、奉公同然の暮らし、そして自力で人生を切り開いていった長い道のり。「こんな話があったなんて」と家族全員が驚いたという。キヨさんは語り終えた後「誰かに話せてよかった」と言ったそうだ。

漫画化を決めたゆっぺさんは、—「祖母が歩いてきた道を、ひとつずつ形にしたい」—と考えた。作品は広く読まれ、大きな反響が寄せられた。最終話では500件以上のコメントが届き、「強さに励まされた」「泣きながら読んだ」など共感の声が相次いだ。壮絶な過去とそこから導かれる“幸せ”の物語が、多くの読者が胸を打たれたからに違いない。

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