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『エディントンへようこそ』アリ・アスター監督×ホラー作家・背筋が対談!SNS考察文化への考えや“一筋縄ではいかない物語”創造の舞台裏を語る

  • 2025.12.5

『ヘレディタリー/継承』(18)で注目を集めて以来、単なるホラー作品には終わらない意欲的な作品を次々と放ち続けているアリ・アスター監督。そんな彼が、最新作『エディントンへようこそ』(12月12日公開)を引っさげて来日を果たした。コロナ禍と政治運動に揺れるアメリカの田舎町を舞台に、市長選挙の予想外の顛末を描いた本作。そこには、アスター監督らしいシニカルかつスリリングな視線が宿っている。そんな彼を、「近畿地方のある場所について」などで知られる人気ホラー作家、背筋が直撃。新作に込めた想いについて、話を訊いた。

【写真を見る】アリ・アスター監督、ホラー作家・背筋…日米気鋭のクリエイターがリアル対面!

【写真を見る】アリ・アスター監督、ホラー作家・背筋…日米気鋭のクリエイターがリアル対面! 撮影/黒羽政士
【写真を見る】アリ・アスター監督、ホラー作家・背筋…日米気鋭のクリエイターがリアル対面! 撮影/黒羽政士

物語の舞台は2020年、ニューメキシコ州の小さな町エディントン。コロナ禍で町はロックダウンされ、息苦しい隔離生活のなか、住民たちの不満と不安は爆発寸前。保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)は、野心家の市長テッド(ペロド・パスカル)とマスクをするしないの小競り合いから対立し「俺が市長になる!」と突如、市長選に立候補する。ジョーとテッドのいさかいの火は周囲に広がっていき、SNSはフェイクニュースと憎悪で大炎上。さらに、ジョーの妻ルイーズ(エマ・ストーン)は、カルト集団の教祖ヴァーノン(オースティン・バトラー)の扇動動画に心を奪われ、陰謀論にハマっていく…。

「この映画では、すべてがきれいに解決して、きっちりまとまるような印象を与えないことが重要でした」(アリ・アスター)

背筋「お会いできて光栄です。以前から監督のファンでした。『エディントンへようこそ』、楽しく拝見しました。これまでの監督の作品に通じる部分もあり、また新しい側面も発見できる新鮮な体験でした。作家としても、監督の作品にはつねに魅力を感じています」

アリ・アスター(以下、アスター)「ありがとうございます。こちらこそ名誉なことです。あなたの作品もぜひ読んでみたいです」

今年映画化も果たした「近畿地方のある場所について」など話題作を手掛けるホラー作家、背筋 撮影/黒羽政士
今年映画化も果たした「近畿地方のある場所について」など話題作を手掛けるホラー作家、背筋 撮影/黒羽政士

背筋「今回の作品はSNSが大きなテーマとして扱われている印象を受けました。監督の作品は、多くを語らないという特徴もありますが、SNS上で考察が頻繁になされています。このように作品がご自身の手を離れてSNSで考察されていく文化をどう捉えていますか?」

アスター「作品を世に送りだすことは、いつも大変なことです。あなたもそうだと思いますが、制作の段階では、自分と作品との間に強い関係があります。作品は自分のものであり、自分にとって意味のあるものなのですが、それを世に出すと突然観客のものになり、観客はそれぞれの映像体験をして、それぞれの結論に達します。

『エディントンへようこそ』には政治の要素や、現実に起こった事件についての逸話も含んでいます。そういう点では、誤解されるリスクもあり、見解の衝突が起こる可能性もあると思います。なかには悪意を持ってわざと誤解する人もいますからね。こういう時期を過ごすのは私にとって厳しいことで、葛藤したり防御的になったりします。こういった状況から抜け出す唯一の方法は、次のプロジェクト、次の作品に取りかかることだと考えています」

アリ・アスター監督最新作『エディントンへようこそ』は12月12日(金)公開 [c]2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.
アリ・アスター監督最新作『エディントンへようこそ』は12月12日(金)公開 [c]2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

背筋「なるほど。また、作中に出てくるキャラクターは各々の主義主張を持っていながらも裏側では極私的な思惑や葛藤を抱えていて、シニカルに切り取られてはいるものの、一面的に描いていないという部分に感銘を受けました。多くのキャラクターが複雑な内面を持っているうえに、行動や動機がバラバラで動いていくのがおもしろかった、と感じました。物語を単純化するならば、役割を分けることもできたと思いますが、あえてそれをしなかった理由や意図があったのでしょうか?」

アスター「そうです。この作品はインターネット上に生息している人々の物語です。彼らはそれぞれのサイロに閉じこもり、互いに遮断し合っている。お互いを見ようとしないし、その結果、見られもしない。周囲から無視されているとか、取り残されているとか、そんなふうに感じてしまうのです。一方で、インターネットを通じて彼らに届く情報の多くは、人間性を失うほど単純化されているじゃないですか。しかし結局のところ、私たちは皆、非常に複雑で、なにもかも単純なわけではありません。だからこそ、この映画では、すべてがきれいに解決して、きっちりまとまるような印象を与えないことが重要でした。人々の分断が細分化されている世の中ですから。

意欲作を世に送り出し続ける映画作家、アリ・アスター監督 撮影/黒羽政士
意欲作を世に送り出し続ける映画作家、アリ・アスター監督 撮影/黒羽政士

いま、この瞬間でさえ私たちはそれぞれあらゆる方向に進みうる道筋をたどっているのに、決まった答えを提示するのは皆がレンガの壁に向かって突進しているようなものだと感じています。なので、すべてをクリーンにして映画を終えるのは、間違っていると感じました。キャラクターがひと言では表現できない生き物であるという、ご指摘は本当にうれしいです」

「登場人物がワン・オブ・ゼムとして描かれている点が、これまでの作品とは毛色が違うと感じました」(背筋)

背筋「ありがとうございます。この作品に限らず、ほかの作品でもキャラクターの内面は複雑ですね。我々観客に共感できるところがあったとしても、それは一部分で、それを含む複雑さをそのまま表現するところに、私は魅力を強く感じています。ただ、『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』『ボーはおそれている』は個の内省的な話という印象がありました。その点、『エディントンへようこそ』は引いた視点で、主人公にしても社会の一部、SNSのなかのワン・オブ・ゼムとして描かれている。その点がこれまでの作品とは毛色が違うと個人的に感じました」

ジョーの妻ルイーズは過去にトラウマを抱えており、ネットでカルト集団の動画を観ることを心の支えにしている [c]2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.
ジョーの妻ルイーズは過去にトラウマを抱えており、ネットでカルト集団の動画を観ることを心の支えにしている [c]2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

アスター「そうです。つまり、すべてのキャラクターに内面的な生き様があると感じてほしいんです。しかし、それはなかなか難しいかもしれない。例えばエマ・ストーン演じるルイーズ。彼女は非常に痛ましいトラウマを抱えており、母親にも夫にも理解されていないと感じていて、実際どちらからも理解されていません。しかし観客はホアキン・フェニックス演じる夫・ジョーの視点に寄り添い、彼が見ているものを見ることになるのではないでしょうか。だから観客はジョーが許す範囲でしか、彼女という人間の本質に近づけない。そういう意味では、私のほかの作品と同様の方法で、観客は主人公であるジョーに近づいていると感じるでしょう。

しかし違いは、ジョーが観客によっては、ある種の不安定な感情を抱かせるキャラクターであることです。物語が進んでいくに従って、その感覚はさらに変化していくでしょう。そういう意味では、この映画は観客を裏切るように仕組まれています。とはいえ、先ほどあなたが指摘されたように、本作には風刺があります。これまでの私の作品のなかでも、もっとも風刺が強い。登場人物の大半は批判されるべき人間ですから。そしてご指摘のとおり、私が本作で重視したのは、可能な限り距離を置いて世界を広くとらえ、物語を損なうことなく、雑音の中にできる限り多くの声を織り込むことだったのです」

物語は誰も予想だにしない展開へ… [c]2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.
物語は誰も予想だにしない展開へ… [c]2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

背筋「ありがとうございます。それでは、質問の毛色が変わりますが、日本ではストーリーテリングや描写に関して“恐怖と笑いは紙一重”と言われることがあります。その根底には観客の感情を揺さぶるための意外性や、突拍子のなさが、恐怖でも笑いでも共通しているということがあると思います。監督の作品を拝見していても、その場で観た時はすごく怖いと感じても、見方によっては笑える場面が多いですよね。なんというか、一律に感情を規定できないような、そういう感覚に襲われることが多いと感じています。今回の映画でもそういう要素はありましたが、恐怖と笑いについてどう考えているかお聞かせください」

アスター「コメディとホラーをつなぐものは、“驚き”ではないでしょぅか。驚いた時、人はしばしば笑ってしまうことがありますよね?映画の観客は、あることを期待しているのに、横からなにかが飛び込んできて驚かされる。そこに錬金術的ななにかがあると思います。期待と転覆、ですね。期待を裏切るということは、そもそも効果的な物語作りに、本質的に備わっている要素だと思います。有名な本や戯曲、映画を観ればわかるように、それらは程度の差こそあれ劇的なアイロニーに依存しているのです。シェイクスピアは偉大なアイロニストでした。期待を覆しつつ、驚きと必然性を同時に実現させたのですから」

背筋「いろいろお話できて、作品の裏側の想いも知ることがでました。この映画も2度、3度と観返してみようと思います。ありがとうございました」

アスター「こちらこそ。お会いできてよかったです!」

構成・文/相馬学

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