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一緒に生きるって、簡単じゃない。映画『佐藤さんと佐藤さん』岸井ゆきの×宮沢氷魚インタビュー

  • 2025.12.1

人は、ある朝ふと目を覚ますと、自分の人生の湿度が変わっていることに気づく。コーヒーの湯気が、昨日よりゆっくりと立ちのぼる。隣にいる人の呼吸のリズムが、少しだけ違う。その変化を愛と呼ぶか、孤独と呼ぶかは、その日によって違うのかもしれない。映画『佐藤さんと佐藤さん』は、そんな「変化の音」を丁寧にすくいあげた作品だ。活発でまっすぐなサチ(岸井ゆきの)と、誠実で不器用なタモツ(宮沢氷魚)。大学で出会い、同棲を経て、やがて夫婦となったふたりは、時間の流れとともに、互いの中に別々の孤独を見つけていく。司法試験合格を目指していたタモツは落ち、支える側のサチが合格する。その瞬間、ふたりの重力がほんの少しずれていく――。
 

けれど、それは愛が壊れていく音ではなく、愛がかたちを変えていく静かな瞬間の記録のように感じられる。監督は『ミセス・ノイズィ』の天野千尋。脚本は熊谷まどかと天野の共作。ヒリヒリするほどリアルで、どこまでも優しいこの作品について、佐藤サチを演じた岸井ゆきのさんと、佐藤タモツを演じた宮沢氷魚さんに話を聞いた。

この静けさの中に、夫婦の真実がある

映画を観たあと、心の中にしばらく“沈黙”が残る。それは不快ではなく、むしろ、誰かと生きるということをもう一度ゆっくり考えさせる沈黙だ。

――最初にオファーを受けたとき、どう感じたのだろうか。
宮沢氷魚さんは静かに語る。「2人の日常を15年にわたって描いていくところに惹かれました。読みながらも観客のような気持ちで、2人のこれからの時間を想像してしまったんです」。そして岸井ゆきのさんも付け加える。「喧嘩も多い脚本で、最初は“そんなに言い合う?”と思いました。でも監督に“これはリアルなんだよ”と言われ、その言葉で作品の見え方が変わりました。今回のようなリアルなお芝居が生まれるっていうのはとても面白いなと思っています。人は、愛しているからこそぶつかるんだ、と」

この映画で描かれる「結婚」とは、日常のくり返しの中で「他者と生きる」という永遠の練習を続けることかもしれない。映画『佐藤さんと佐藤さん』は、そんなふたりの時間を15年の歳月で描く物語だ。

“喧嘩すること”のリアリティ

ほんの少しの間と抑揚が、何年分もの誤解を連れてくる。映画はそこで大声を上げない。呼吸の起伏で物語る。この映画の見どころのひとつは、ふたりの衝突のシーンだ。

夜の郵便局に向かうサチ、試験の願書をめぐる言い争い。宮沢さんが印象に残った場面として挙げる。「“なんで” “なんで”ってつづくセリフ。言葉に出していない“なんで”が心の中で溜まっていく。あの場面はタモツの弱さがあらわになっていて、自分を追い込む象徴的なシーンだと思いました」
 
岸井さんは相槌を打つようにうなずく。「“そんなこと言ってないじゃん”っていうセリフ、あれがサチの心そのものかもしれません。言葉が届かないって、あんなにも切ないんだって思いました」。そして岸井さんは続ける。「喧嘩のシーンは、痛みというより、ちゃんと生きている証のように感じます」
 
映画の中のふたりは、すれ違いながらも歩みを止めない。それはまるで、曇り空の下を進む影ふたつのように、静かで、確かに寄り添っている。

一人で生きても一人にはなれない

『佐藤さんと佐藤さん』というタイトルには、夫婦という関係の中に“二人の個”が併存しているという確かな手触りがある。どちらも佐藤であり、どちらも別の人間だ。その当たり前の距離が、物語の芯になっている。この映画は、愛の形を美化しない。けれど、それゆえに“愛が息をしている”と感じられる。

観終わったあと、あなたの隣にいる人を、少しだけ違う目で見つめたくなる。あるいは、いまはまだ隣にいない誰かを、思い出のなかからそっと呼び戻したくなる。そんな映画だ。では、現実に隣にいる人をさけ、ひとりで生きることと、誰かと生きることの違いとは何か――。
 
岸井さんは少し言葉を探してから答えた。「ひとりで生きても、ほんとうの意味ではひとりになれないと思うんです。どこかで誰かと関わっているし、生活をするってことは、誰かと繋がるってことだから」。宮沢さんはこう答えた。「誰かと過ごす時間って、見える景色が倍になる気がするんです。自分とは違う感性を持った人の見ている世界を、少しだけ覗ける。それが、誰かと生きることの醍醐味、自分の“好き”とか“苦手”の輪郭がはっきりするんだと思います」
 
ふたりの言葉の中に、映画のテーマが凝縮されているようだった。“ふたりでいることは、世界を広げること”――それは、この作品の根っこにあるメッセージのようにも思える。

ふたりの素顔に少しだけ触れる

映画についてひととおり話したあと、部屋の空気がふっとやわらぐ瞬間があった。窓の外に午後の光が斜めに入り、テーブルの上の水がかすかに光る。暮らしの呼吸を確かめるような時間になった。
 
「最近、おうち時間でハマっていることは?」岸井さんは少し考えて、「本を読んでます」と短く答えた。その言葉の背後には、静かなページをめくる音と、誰にも邪魔されない夜の匂いがあるように感じられた。
 
「好きな朝ごはんメニューは?」「おにぎりです。具は鮭」。言葉の響きは素朴だが、まるでその中に朝の光景がすべて詰まっているようだった。
 
「ちょっとした幸せを感じる瞬間は?」「うちの植物が元気なとき。主にフィカスです。フィカスとパキラ……サンスベリアも。朝、霧吹きを一個ずつ」。その声のトーンには、朝の光のような穏やかさがあった。植物に霧を吹きかける時間。岸井さんのそれは、世界と自分をつなぎ直すささやかな儀式なのかもしれない。

宮沢さんは「リラックスタイムは?」との問いに少しの間があって、「銭湯に行きます」と言った。その言葉に、湯気のむこうで誰かと並んでいる風景が浮かぶ。「気づかれないんですか?」と聞くと、笑いながら「気づかれないんですよ」と答えてくれた。
 
「よく使うスマホアプリは?」「ゴミ収集アプリです。収集日や分別のガイドがあって、今日は“燃えるゴミ”って知らせてくれますよ」。几帳面さと、日々の整頓を好む性格が透けて見える。

「ちょっとだけテンションが上がる瞬間は?」「天気予報で雨か曇りなのに、朝起きたら晴れてるときです」。言葉は軽やかで、どれも派手さがない。だが、こういう断片のなかにこそ、宮沢さんならではの“静かな幸福”の素敵な座標があるのだろう。幸せとは大きな出来事ではなく、たいていは何気ない朝の光や、植物の葉を撫でる霧の粒の中にあるのかもしれない。

愛がかたちを変える瞬間を、私たちは見ている

『佐藤さんと佐藤さん』という映画は、愛を“きれいごと”としてではなく、“生活の現場”として描く。だからこそ、観る人の胸に現実の温度で触れてくる。観終えたあと、ふと冷蔵庫の明かりの下で立ち尽くしたくなるかもしれない。買い忘れた牛乳や、言いそびれた「ごめんね」を思い出しながら。あるいは、誰かの寝息の音を聞きながら、“この静けさも愛なんだ”と気づくかもしれない。 “夫婦”という形に限らず、誰かと生きることの豊かさと不器用さ――その両方を、そっと抱きしめたくなる。
 
日々の生活のなかに、まだ見ぬ優しさを見つけにいく。この映画は、そういう“余白”を信じている。激しさではなく、時間の流れそのものが、愛のかたちを変えていく。観客はその変化の中に、自分の過去や未来の影を見つけるだろう。その瞬間、世界は昨日よりも少しやさしい場所に見えるはずだ。
 
佐藤サチ(岸井ゆきのさん)のまなざしは、「誰かを理解したい」という願いのように透明で、佐藤タモツ(宮沢氷魚さん)の声は、「まだ終わっていない時間」を優しく包みこむ。
 
――この映画を観るということは、もう一度、自分の生活を抱きしめ直すことに似ている。

ふたりで歩くと、景色は少しだけ広くなる。

宮沢さんは最後にこう語ってくれた。
 
「15年のふたりの物語を2時間の映画にしているから、“こういうときの、この言い方はダメだな”ってすごく分かりやすいんです。でも、実際の生活の中ではそういう瞬間なんてなかなか見つけづらい。振り返っても“何がしこりだったんだろう”ってはっきりしないことも多いですよね。だけど確実に、誰にでもそういうものはある。この映画を通して、今まで“まあ大丈夫だろう”と流してきたことを、ちょっと立ち止まって“本当にこれでいいのかな”って考え直すきっかけが、観ていただいた人には生まれるかもしれません」
 
人生には、ゆっくりと温度が変わる朝がある。コーヒーが冷める手前のぬるさみたいな、名前のつけにくい時間。ふたりで暮らすというのは、たぶんそういう時間をいくつも通り抜けることだ。すれ違いは静かで、愛は頑固で、この映画にはどちらも大切に描かれている。

【映画情報】
監督:天野千尋(「ミセス・ノイズィ」ほか) 脚本:熊谷まどか、天野千尋
出演:岸井ゆきの 宮沢氷魚 ほか
製作幹事 : メ~テレ/murmur/ポニーキャニオン 制作プロダクション:ダブ
配給:ポニーキャニオン
©2025『佐藤さんと佐藤さん』製作委員会
 

photograph:SHUYA NAKANO

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