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君と私と旅と。世界一周の果てで出会った“命の終わりと始まり”

  • 2025.11.29

生きているものには、いつか必ず“死”が訪れる。それは普遍的で、絶対に覆ることがない事象だけど。

慌ただしい毎日のなかで、意識することもなければ、むしろ月曜がきたら、「早く金曜にならないかな」なんて生き急ぐことも多い。

ただ、そのなかで"節目"というものがあり、とくに「誰かの死」というのは生きる意味を強く感じるきっかけのひとつではないだろうか。読者のなかには、大切な誰かを亡くした人もいるかもしれないし、たとえ生きていたとしても、もう会えない人がいるかもしれない。

それは人間だけではなく、動物の死であっても同じはず。だからこそ、私たちはいつかくる”終わり”に向かって、一日一日を大切に生きようと思える。

私の場合は、2年半前――2023年の5月に亡くなったモカ(猫)だ。

世界一周を達成したあと、まるで私の帰りを待っていたかのように息を引き取った。私にとって、彼女は“ただの猫”ではなかった。きっと、ペットを飼っている人なら誰もがそう感じるだろう。

モカは、私が小学生のときに生まれた猫だった。あれから20年。いろんなことがあって、たくさんのときを一緒に過ごしてきた。大きな病気もしなかったので、これからもずっと、同じ時間を生きていけると思っていた。

だが、もちろんそんなことはない。ニュートンの法則のように、地球上では、上に投げたボールはどれだけ高く投げようとも必ず下に落ちる。命も同じだ。

それでも今、モカは私のそばにいる。2年前、腕に抱えるくらいあった彼女は、今は手のひらサイズの猫のマスコットになった。メモリアルグッズとして形を変え、新しい“旅の相棒”になったのだ。そして今、私と世界中を旅している。

序章:プロローグ

私の世界一周が終わる……はずだった

空港は夢の入り口であり、現実の出口。photo by Risa Yamada

私が世界一周をしたのは、2023年5月のGW。

コロナも少しずつ落ち着き、ずっと押さえてきた旅への欲求がついに爆発したときだった。行き先はハワイ、ロサンゼルス、ニューヨーク、そして最後にロンドン。会社員だった私は、休みをかき集めて、1週間で世界一周、いや、地球一周をするという少し無謀な旅に出た。

その旅が終わり、無事に羽田空港に到着した私は、達成感と高揚感に包まれていた。疲労はあったけれど、それ以上に「やりきった」という気持ちが勝っていた。「世界一周最高!自分最高!」そんな誇らしさと自信に満ち溢れていた。

これで私の世界一周の旅が完結した……はずだった。「姉ちゃん、帰国した?今、電話できる?」という弟からのLINEを見るまでは。電話の向こうから聞こえた言葉で、さっきまでの雑踏が、すっと消えていた。

第1章:ロサンゼルス編

Day1|ロサンゼルスに降り立つ——君が亡くなる10日前

まるで主演女優になった気分 ハリウッドにて photo by Risa Yamada

5月1日。私はロサンゼルスにいた。

ショッピングモールから見えるハリウッドの看板。星型プレートにはマイケル・ジャクソンやマリリン・モンロー、トム・クルーズなど、そうそうたるメンバーの名前が刻まれている。

実際の映画で使われていたこともあり、まるで「自分が主演女優になった」みたいだと思わせる街だった。ここでは誰もが主人公で、どんな日常も“大ヒット作品”に変えられる気がする。

私は、二階建てツアーバスの一番前に乗り込み、サングラスをかけ、コーヒーを片手に街を一周した。

ツアーバスに乗って、ロスの街を一周 photo by Risa Yamada

街を駆け抜けるバス。イヤホンから流れてくるガイドを日本語に設定し、建物や場所にまつわるエピソードを聞きながら、そのスピードと爽快感を堪能する。日常で抱えていたストレスもどこ吹く風。そんなものはすべて青空の向こうに飛んでいくようだった。ツアーバスは、気になる通りや観光スポットで自由に乗り降りができる。

もう名前も忘れてしまったけれど、華やかな街角で降りて、街の鼓動を体全体で感じた。カリフォルニアの陽気な人々から、活気とエネルギーをもらう。みんなそれぞれ好きな服を着て、カフェでおしゃべりに花を咲かせている。私も久しぶりに、呼吸ができる感覚があった。

会話に花が咲くロスのカフェ photo by Risa Yamada

Day2|ドラマのようなことが起こる不思議

旅に出ると、普段は起きないドラマのようなことが起こる。

たとえば、Uberタクシーにて。私はギャンブルはしないが、カジノは見てみたいと思った。それに「だいたいカジノがあるところが街の中心だろう」と安易に考えていたからだ。行き先を告げ、降ろされたのは、日本でいうパチンコ屋のような場所だった。運転手が「ニューヨークより、ロスがいいよ!Have a nice day!」と明るく声をかけてくれたが、そのときばかりは、全然ナイスじゃなかった。

深夜便の飛行機 photo by Unsplash

そんなロサンゼルスの旅を終え、次の目的地・ニューヨークへ向かう深夜の機内。眠っていたら、突然「バターン!」という音とともに、前方の座席の男性が倒れた。客室の明かりがぱっと点き、天井を照らす。「このなかに、医療従事者の方はいませんか?」という英語のアナウンスに、機内がざわめいた。

偶然にも、私の前の席の夫婦が医師だった。薬剤師である私も、息を呑んでその光景を見つめながら「助かってほしい」と祈る。幸い、男性は意識を取り戻した。旅は非日常だが、生と死はどんな場所にも同じようにある。午前3時。緑の非常灯が、薄暗い機内をぼんやりと照らしていた。

第2章:ニューヨーク編

Day3|煌びやかな世界一の街角で——君が亡くなる7日前

夢と希望に溢れるニューヨークの街中 タイムズスクエアにて photo by Risa Yamada

5月3日。ついに憧れの地・ニューヨークへ。

眠れなかったせいか、空港の朝日がやけに眩しく感じる。街への移動手段は地下鉄を選んだ。後ろから押される転落事故が多いと聞いていたので、私は壁にぴったりと背中をくっつけた。アコーディオンを弾くおじさんの音色が、暗い構内に響く。少し危機感を感じながらも地下鉄に乗り、都心へと向かった。

地上に出ると、巨大なビルがそびえ立っている。ニューヨークの街は、それはそれは煌びやかだった。カウントダウンで有名なタイムズスクエアへ向かう道。マンホールから噴き出すガスの匂いと、合法化されたマリファナの香りが混ざり合い、漂っていた。大道芸をする人、写真を撮り合う若者たちの笑顔。街全体が夢と希望で輝いていた。

ロサンゼルスと同じく、二階建てのツアーバスに乗り込む。窓の外には、行き交うイエローキャブやウォール・ストリートのビル群が見えた。メトロポリタン美術館ではメットガラのイベントが開催されていて、華やかな空気に包まれている。憧れていた映画『プラダを着た悪魔』や『オーシャンズ8』の世界そのものだと感じた。

洗練されたおしゃれな街:ニューヨーク photo by Risa Yamada

すべてが夢のようで、私はiPhoneのカメラを起動したまま、街を歩く。

ときどきLINE通話で母に、街の風景を見せてあげる。一人旅のときは、母に電話をかけることも多い。よく母が「お母さんの夢も一緒に乗せてね」と話していたからだ。

私「みてみて!ニューヨークすごいやろ!」 母「大都会やね!お母さんも行きたいわ」。

そんな会話をしているとき、たまたまカメラの端に、モカの後ろ姿が映った。

私「ところで、モカちゃんは元気?」 母「うん、元気だよ……」

そんなやりとりをしていたが、ときどき頬をなでるような冷たい風が吹いた。もう5月だというのに、カナダが近いせいか、どこか肌寒い。私は雨の降るセントラルパークを抜け、5番街を歩いた。高級ブティックの前には工事用の屋根が続いていて、雨を避けながら、その下を通り抜けていく。

Day4|憧れと胸騒ぎのあいだで

雨が降るセントラルパークにて photo by Risa Yamada

ふとタクシー運転手の「ニューヨークより、ロスがいいよ」という言葉を思い出した。たしかにこの街には、キラキラとした憧れが詰まっている。だが、ロサンゼルスに比べると、どこか無機質で、人々の表情にも時折冷たさを感じたのだ。

私はなぜか今住んでいる東京を思い出す。憧れて上京した街。これが本当に、自分が生きたかった人生なのだろうか……。いやいや、考えるのはやめよう。田舎者の私が、今夢のような生活や旅をしている。「私はずっとこの街に恋焦がれていた。だから、夢は叶ったんだ」そう自分に言い聞かせた。だけど胸の奥に、かすかなざわつきを感じる。その嫌な予感が、まさか的中することになるとは——このときはまだ知る由もなかった。

その後、私はロンドンへと降り立つ。その旅も無事に終え、日本へと帰国する。君が亡くなる、わずか3日前のことだった。

第3章:熊本編

地球の裏側で起こっていた本当のこと

夕方の羽田空港 photo by Risa Yamada

そんなドタバタの旅も終え、私は無事に日本へ帰国した。しかし同時に、それは――夢から醒める瞬間でもあった。

羽田空港に降り立った直後、弟から一通のLINEが届く。「姉ちゃん、帰国した? 今、電話できる?」弟がそんな連絡をしてくるなんて、嫌な予感しかしなかった。私はすぐに電話をかけ直した。

「……もう、モカが亡くなりそう」

一瞬、何が起きたのかわからなかった。周囲の雑踏がすっと遠のき、耳の奥でキーンという音だけが響く。

私が世界を旅していた頃、熊本の実家ではモカの容体が徐々に悪化していた。亡くなる10日前から体温は下がり、ほとんど食事をとっていなかったという。両親も弟も旅を止めたくなくて、最後まで黙っていた。もし知っていたら、すぐに帰っていたからだ。「家族みんな私の旅を邪魔したくなかった」って。そんなに応援されていたなんて、少しも気づいていなかった。

君の影を探す photo by unsplash

自分の鼓動がドクドクと速くなるのを感じたが、頭のなかだけが、いやに冷静だった。だから、次の瞬間、空港のカウンターに向かい、熊本行きのチケットをとった。君に会いにいく“最期”の旅。まさかこんな形で今回の旅が終わるとは思わなかったし、現実はどこまでも残酷だった。

そうして、実家にたどりついたのは5月7日。モカはもう私の声に反応もせず、手足も冷たくなっていた。変わり果てた姿に、私は言葉を失った。次の日は仕事があり、東京へ戻らなければならない。胸が張り裂けそうな想いでモカを残し、再び飛行機に乗った。

Day9|運命の日——君が亡くなった日。

5月9日。君が亡くなった日。

翌日、再び休暇をとり、熊本へ向かった。しかし、私が実家に着いたときには、すでにモカが息を引き取ったあとだった。「間に合わなかった……。大好きなモカの死に目に会えなかった」その現実を受け止めきれず、私は両親を、そして自分を責めた。

事実を知らせなかった理由は、旅を止めたくなかったからだけではない。元気な姿しか知らない私に、弱っていくモカの姿を見せたくなかったのだ。「あんたじゃ、きっと耐えられなかったと思うから」と、母はそういった。

亡くなってしまった大好きな君 photo by Risa Yamada

「猫一匹で大袈裟な」と思うかもしれない。けれど、当たり前の存在がそばにいることが、どれほど幸せなことかを知る。それは彼女が大事な家族の一員だからだ。

辛いとか、しんどいとか、そんな言葉では言い尽くせない。虚無感や寂しさ、悲しみ。そんなものを全部まとめたような感情。”喪失”をそんなふうに感じた。

君は、私の人生に彩りを与えてくれた。私は君に、いったい何をしてあげられたのだろう。こんなに飛行機に乗っているなら、もっと頻繁に帰って会っておけばよかった。「なぜ、なぜ……」と、自分を責めつづけた。大好きな旅さえも「しなければよかった」と思うほどに。

君はいつも私の帰りを待っていてくれた。私の旅を見届けるように。君のお腹に手を当てる。ほんの少しだけ、ぬくもりを感じる気がした。けれど、その亡骸にさえ“サヨナラ”を告げる時間が、刻一刻と迫っている。このまま離れたくない。

Day10|君を送る最後の日。

君の体を包んだたくさんの花 photo by Unsplash

5月10日。君のお葬式の日。

神奈川にいる弟も熊本に帰ってきた。それぞれの想いを胸に、久しぶりに家族4人がそろう。たくさんの花が君の体を包んだ。みんなで火葬スイッチを押す。君を送るとき、母が膝から崩れて号泣していた。そんな母の背中を、私もとても切ない気持ちでさすった。

でも、君の遺体はたしかにここにあったのに、私はなぜかもう魂はいないような気がした。自由な君のことだから、すでにどこか遠くへ旅立ってしまっているように感じたからだ。

火葬場で、君の生き抜いた命の証が煙とともに空に舞う。そんなとき、スタッフの方が温かいアップルティーを差し出してくれた。その甘い香りと優しい心遣いにとても救われたことを覚えている。車で泣き腫らした母にもティーカップを渡す。そのときに母から病気のことを聞き、私はときの流れの残酷さを知った。そして、いつのまにか自分が”いい大人”になったことを実感する。

スタッフの方が、遺骨を小瓶に集めてネックレスにできると教えてくれた。今は「お別れのメモリアルグッズ」といって、想いを形に残す人も多いという。だから、母と一緒にクッションやマスコットを作ろうと決めた。記憶の中で思い出になった君と、もう一度会える。絶望のなかに、一筋の希望が見えた。

空に舞った君の生き抜いた命の証 photo by Risa Yamada

After Days|思い出になった君——それでも募る想い

メモリアルグッズになって、また戻ってきてくれた君。手のひらに収まるその小さな姿は、たしかに「そばにいる」と感じさせてくれる。

それでも、2年半以上経った今でも、私は本物の君が恋しい。ずっと君に会いたい。

いつも君が日向ぼっこをしていた実家の縁側が、今はとても静か。太陽の下で、君の背中が熱を吸収して、グングンと体温が上がっていく。月の明かりのもとで、君はギラギラと光る瞳で外敵をとらえていた。

君は太陽、君は月。 君は希望であり、君は絶望でもある。 君は私に、たくさんの思い出をくれたね。 言葉は話さなかったけれど、その小さな体で家族を守ってくれていた。

猫は死ぬ姿を見せたがらないという。都合がいいけれど、だから最期に間に合わなかったのかもしれない。そんなことを考えると、目頭が熱くなった。もしも次の人生があるなら——生まれ変わっても、また君と同じ時間を生きたい。

実家の縁側で日向ぼっこをする君 photo by Risa Yamada

ときどき、東京の街中や旅の途中で、君に似た猫を見かける。そんなときには思わず、「モカ!」とよんでしまいそうになる。

だって、自由気ままな君のことだから、今も世界のどこかでのんびりと散歩でもしてるんじゃないかって。本当は、まだ君は生きていて、あのできごとが全部嘘で、夢だったのではないかと。

それは残された者のささやかな願いと幻想でもある。だから、いつも無意識のうちに君の影を探してしまう。癖や習慣のように。まるで君の面影を探し続け、さまよう旅人のように。

終章:エピローグ

Day……|君の時間は止まったままだ。でも、私のなかで生き続けている

君の時間は止まったままだ。私たちの記憶のなかで思い出になった。でも、私のなかで生き続けている。そしてこれからもーー。

変わりゆく旅への想い photo by Risa Yamada

20代。好きに、自由に生きる。人と違うように生きることがモットーだった。でも、30代になるとガラッと状況が変わる。とくに、この1〜2年で急に現実をつきつけられ、大人にならざるを得なかった。いろんな人の想いがあって、旅ができていたのだ。

私にとって2023年は、コロナも少しずつ落ち着き、お金や体力、そして家庭にも余裕があった。あの頃は、まだ自分が“若者”で、実家で子ども扱いされても許されるような環境があったからだ。だけど今は、母の病気や、夫の激務が重なり、以前のような自由気ままな旅はできなくなってきている。だから今は、あの旅を後悔していない。あのときじゃないとできない旅だったからだ。

君と始まる新たな旅 photo by unsplash

ーー深夜便の飛行機。私は一人。

目を閉じると、君のちょこんとした後ろ姿が浮かぶ。君は猫で、一緒に旅をすることはできなかったけれど、今はこうして旅の相棒としてそばにいてくれる。君が隣の座席にいて、目を瞑っていることを想像したら、また新しい旅になりそうだと思わず笑ってしまいそうになった。

そんなときは、カバンのポケットに忍ばせた君を取り出し、手のひらのなかでそっと握る。君は今、小さなマスコットになって、どんなところにも連れて行けるようになった。猫のときも小さかったけれど、さらに小さくコンパクトな君。楽しかった君とのたくさんの思い出とともに、これからも一緒に旅をしようと思う。

ハワイ、ロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドン、そして熊本。世界一周の旅は、私にとって生涯忘れることができないであろう旅となった。そして今も、私の中で生きつづけている。おそらくこれから先も、ずっと──

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