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SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第53回「ユーモアについて考える」

  • 2025.11.27

お喋りが好きである、その中でも面白いお喋りが好きだ。突拍子もないことを言ったり、わざとらしい特異をのぞかせて作る一過性の面白いより、会話の中である程度頭を使って作る面白いが何より好きだ。

『吹けば飛ぶよな男だが』を読む

なんで自分は面白いお喋りが好きなのか、今でもずっと考えているが、やはりユーモアというものは思い遣りだからだろうとその度に勝手に結論づけている。相手がいないと決して成り立つことがなく、且つ、相手が何を言ったら楽しいと思ってくれるか、どんなことを切り取ったら喜んでくれるかを相対的に考えることだからだ。総じて物凄く素敵なことだと思っているので、私は寄席や舞台を始めとする、それを生業としている芸人の方々(もちろん全てではない)のお喋りを尊敬している。だから自分も素人なりに、目の前の相手が笑ってくれるようなお喋りができたら素敵だなアと割と常に考えて生きてきた。おかげで最近、バラエティ番組に出演させて頂く機会が増えた。ありがたいことにオファーはもっとたくさん頂いているのだが、あまりに私が活き活きしてしまうため、バンドマンであるということが瓦解(がかい)する可能性を懸念してある程度のところで控えている。ジレンマ。

実は私には芸人になりたかったという過去がある。生まれが新宿ということもあり、末廣亭やルミネtheよしもとが近所にあったことから、生の面白いお喋りに触れる機会が多かったのと、学生の時分にネタ番組がたくさんあったということも起因しているのだと思われる。物心ついた時からずっと、人を笑わせて喜ばせるってめちゃ素敵じゃん、と心の底から思っていた。自分の頭を大いに使って考えた言動と、それに賭した時間が、人を笑顔にすることのためにあるだなんて、粋だなアと。

どうしてそんな人間が音楽で生きていくことになったのか(「都会のラクダ」という本を是非読んでください)、自分で考えても実に突飛な人生であるが、「人に喜んでもらいたい」というその重要な一点においてなんの差異もないため、心の底からバンドマンをやれているのだと思う。

そんな私ではあるが、面白いっぽいお喋りは好きではない。これは話術に長けていないということではなくて、「一方的に落とすお喋り」のこと。落とす、は話のオチやさげのことではなく、対人における立場のことだ。なんというか、からかったり、小馬鹿にしたり、そういったお喋りのことを言っている。

何を急に素人が笑いを語りはじめてるんだ片腹痛いぜ、と思った方もいるだろう。ただこれは、「笑い」というよりも、「面白い」に軸足を置いた話なのだ。「笑い」はあくまで「面白い」に付随した崇高な結果であると考えているので、今私はもっと前段階の話をしている。プロフェッショナルな領域に踏み込まずとも、学校、職場、飲み会など、ありとあらゆる日常生活に点在してるやつね。

まア正直、「一方的に落とすお喋り」は、頭を使って作る必要がないし、突拍子もないことを言ったり、わざとらしい特異をのぞかせることよりも楽だ。そして結果的に面白いっぽくなりやすいというのはよくわかる。ただどうなんだろ、あまりに想像力に欠けている気がして、面白いという言葉を使うには勿体無いと思ってしまう。誰かを楽しくさせたいと思うなら、ある程度自分の骨が折れる手段を選ぶ必要があるのではなかろうか。そしてたちの悪いことに、そうやって誰かを一段下げるという手法を選ぶ人間というのは往々にして、自分がいじられることを酷く嫌う、というかしまいにはなんか怒ったりする。自己肯定感が低いのに自尊心が強い人が多いのよね。マウンティングを含めた、自己防衛のための攻撃的な側面も大いにあるのだろう。

もし誰かをだしに使って面白い話をしようとするのであれば、いじられる側にいじられた以上のメリットを生じさせるべきであり、且つ、いじるなら自分が同じだけやられる分の糊代を相手に付与すべき、であると思っている。いじられる側に利点が何もなく、且つ、いじる側がセーフティな立場から降りない、というのは利害の均衡がまるで取れていない。

ここまで書いておいてなんだが、私は人をいじるのが好きだ。ん、なんってこともないか。まアだからここら辺の節度には必要以上に繊細に、互いの立場にはやり過ぎなくらい敏感であり続けたいと思った。そしていつでも同等に、いじられる準備もできている。

と、こんなことを書きたいと思うに至った、キャッチコピーを先日発見した。少し前のものになるがセゾン生命保険のものだ。

「他人をからかうのは好きなのに、自分がからかわれるとすぐ怒る人が私はさびしい。ならんで生きたい。」

ドンズバ。日本語的に「ん?」となりかねなくもない文章ではあるが、その妙も素晴らしい。注意喚起とも違う、あくまでも個人的な気持ち。そして、嫌いだでも、虚しいでもなく、さびしい。そうだよな、と。こちらも「面白い」と同じく「善悪」の前段階の話。

そして冒頭でなんとなくユーモアという言葉を使ったのだが、いい機会なので調べてみた。

人の心を和ませるようなおかしみ。上品で、笑いを誘うしゃれ。

なんかちょっと誤認していた部分もあるが、今回は「ユーモア」の回だと言っても大筋(本当に大筋)正解だと言っても良さそうだ。品格を語る上で不十分な人間ではあるが、大事にしていきたい言葉だと思うに至った。

改めて、想像力、思い遣り。私は面白いお喋りが好きだ。

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