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「お母さん、もうやめてよ」徘徊する母を連れ戻し、排せつの後始末する11歳…48歳で認知症になった母を介護するヤングケアラーの実態【作者に聞く】

  • 2025.11.25
「ヤングケアラー」だった著者に聞いた
「ヤングケアラー」だった著者に聞いた

学校から帰宅すると、外をふらつく母を捜して連れ戻したり、排せつの後始末をしたりする日々。小学5年生から始まった母の介護、ヤングケアラーだった子ども時代を描いた漫画「48歳で認知症になった母」について、原作者の美齊津康弘さんにインタビューを実施。壮絶な環境に置かれた際の思い出や、ヤングケアラーを支援する活動について話を聞いた。

冗談だと信じ、諦めていった少年時代

母が認知症を発症したときの心境について、美齊津さんは「どんどんおかしな言動が増えていく母を目の前にして、母の身に何が起こっているのか理解できず、『これは夢に違いない』と本気で思っていました」と語る。

母は冗談が好きな人だったため、わざとおかしくなったふりをして自分にいたずらをしているのではないかと思い、「お母さん、もうやめてよ」と言っていた時期もあったそうだ。美齊津さんは、母が笑いながら「全部嘘よ。驚いた?」と言ってくれることを毎回期待していたが、やがて諦めていった。「鏡に向かって独り言を話す母を背後から見つめながら、シクシクと泣いていた記憶がある」と振り返る。

11歳という若さでヤングケアラーとなった当時、美齊津さんは母の世話を困難とは全く感じていなかったという。そもそも「世話をしている」という感覚もなく、ひたすら目の前の母の言動や行動を止めさせようとしていただけのように思うそうだ。当時の生活のすべての関心ごとは母の病気だった為、同世代の友人が持つような関心ごとには全く興味を持つことができるず、心理的にも大きな隔たりを感じていた。今思えば、ただ母の心配ばかりして過ごした少年時代だったと語る。

気持ちが通じ合った夕焼けの瞬間

認知症の母との日々の生活で特に印象に残っているエピソードとして、徘徊していなくなった母を探しに行っては、母の手を引いて家に連れて帰ったときのことを挙げた。

あるとき、私たちの目の前にとてもきれいな夕焼け空が広がり、2人で手を繋いだまま呆然と眺めていたそうだ。そこで美齊津さんが思わず「きれいやね」と母に言ったところ、母は「きれい」と答えてくれた。当時、母は病気が進行してほとんど会話もできるない状態だったが、そのとき久しぶりに母と気持ちが通じ合った気がして、とてもうれしく感じて「このまま時間が止まってほしい」と思ったと明かした。

漫画を描き始めたきっかけは、自身の体験をずっと「恥」だと思って生きてきたことだという。そんなある日、ヤングケアラーのことをニュースで知り、昔の自分と同じような子どもが世の中にたくさんいることに驚いた。それから、「自分の体験が今もどこかで苦しんでいる人を慰める力になるかもしれない」という想いが湧いてきたそうだ。

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