1. トップ
  2. 恋愛
  3. だからセツは「気難しい外国人」を夫に選んだ…小泉八雲が「目病を放置した女中」に向けた"不器用すぎる優しさ"

だからセツは「気難しい外国人」を夫に選んだ…小泉八雲が「目病を放置した女中」に向けた"不器用すぎる優しさ"

  • 2025.11.21

NHK「ばけばけ」では、小泉八雲の妻をモデルにしたトキ(髙石あかり)が、ビールを求めて奔走するシーンが描かれている。だが、史実をたどると、コミュニケーションに苦労する八雲の姿が見えてきた。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などから読み解く――。

(※本稿は一部にネタバレを含む場合があります)

「ビア」にピンとこないのは創作

NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」8週目は、言語や文化の違いを乗り越えて奮闘する小泉八雲の妻がモデルのトキ(髙石あかり)の奮闘が描かれている。八雲がモデルのヘブン(トミー・バストウ)は、常に不機嫌な態度を取り「ジゴク‼ ジゴク‼」とすぐに半ギレ。演じるトミー・バストウは日本語が堪能なのだが、外国で自分の言いたいことが伝わらず不快になる演技がめっぽううまい。

ふじきみつ彦・著、NHKドラマ制作班・監修『連続テレビ小説 ばけばけ Part1(NHKドラマ・ガイド)』(NHK出版)
ふじきみつ彦・著、NHKドラマ制作班・監修『連続テレビ小説 ばけばけ Part1(NHKドラマ・ガイド)』(NHK出版)

そんな11月17日の放送の第36回ではヘブンの求めるビア(ビール)がわからず奔走する姿が描かれた。ヘブンに「ビアを買っておいて」といわれるが、誰も「ビア」がなんだかわからない。結局用意したのは琵琶、ヒエ、カマ、コマ……。ヘブンの「ほわっといずでぃす??」で朝から爆笑である。

実のところ、流石にトキが「ビア」と聞いて「ああ、ビールですね」とピンと来ないのは創作である。なぜなら、既にこの時代にビールはメジャーなアルコール飲料になっていたからだ。

ビールは幕末の開港直後から輸入が始まり、すぐに偽物が出回るほどの人気になっている。明治10年代には国産ビールの製造も始まり、牛鍋屋や西洋料理店であればメニューに必ずあった。この時代、ビールは樽で売るのが基本だったため、明治20年代までにコップ売りの店が急増している。1891年の国語辞典『言海』には「ビイル」という項目があり、ほかの呼称として「バクシュ。ビヤ」と書いてある(麒麟麦酒株式会社編『ビールと日本人:明治・大正・昭和ビール普及史』三省堂 1984年)。

八雲は夕食後に「アサヒビールを2本」飲んでいた

そんな八雲は実際にビールを飲んでいたのか。八雲とセツの結婚後に女中として雇われた高木八百の証言が残っている。

先生は夕食後には必ずアサヒビールを2本ずつ飲まれました。そのビールは当時松江大橋詰の山口卯兵衛薬店だけにあったかと思います。始終アサヒビール何ダースかを買い置きまして毎晩差し上げました。

18日放送の第37回で、ビアがわからず途方にくれたトキが錦織(吉沢亮)に教えてもらって駆け込むのは松江で唯一の舶来品店「山橋薬舗」。こんな細かいところでも、史実を踏まえて作劇しているというわけだ。

ちなみに、八雲がビールを買っていた橘泉堂山口卯兵衛商店は現在も営業中。店内には蔵や屋根裏に眠っていた品々を展示する「まちかど博物館」を設けているが、現在は「山口薬局とビールとヘルンさん」のテーマで展示中である。

さて、そんな8週目でやっぱり気になるのは7週目から続くヘルンの怒りっぽさと、それでもめげないトキの姿である。朝から不機嫌、魚の骨がちゃんと取り切れていないと怒り、糸コンニャクを出されて怒る。ついにはトキに「クビ」と言い放ち錦織に、たしなめられるほどだ。

「雇用の不安定さ」と「冬の寒さ」が不安の原因に

もう完全な暴君。トキが一家を支えなければならないことをネタにやりたい放題しているようにも見えてしまう。とんでもないブラックな職場である。

これまでも、八雲がなにかと怒る面倒くさい面があったことは記してきたが、これには複雑な事情がある。

まず、収入である。当時の金額で月給100円は高額である。ところが、松江に到着する前、東京で交わした契約書の契約期間は「1890年9月より7カ月」。その後、延長されたとはいえ、雇用は不安定である。日本に魅了されていた八雲であったが、このままでは根付くことはできないかもしれないという不安は大いにあったことは想像に難くない。

なにしろ、紹介の話がうまいこと繋がって教師の仕事に就くことができたとはいえ、本職ではない。帝国大学に招かれて教鞭を執っている外国人は、本国でも知られた学者ばかりだが、こっちは本を何冊か出しただけの貧乏ライターである。いつ切られるか、次の仕事は見つかるかという不安が消えることはない。

そこにきて、冬の寒さである。

冬が始まって間もなく、教頭の西田千太郎は持病の結核で寝込んでしまった。八雲にとって西田は、英語で親身に相談ができる相手で、博識な彼の案内であちこちの神社仏閣をめぐることで不安を払拭していた。ところが西田が寝込んでしまえば、一人きりである。中学校の冬休みには二人で出雲大社に出かける約束もしていたのに、それもなくなってしまった。不安もあってか八雲は、毎日のように蜜柑やラムネを持参して西田を見舞っている。

“極度のノイローゼだった”という指摘もある

そんな不安のためか、正月には宿泊していた冨田旅館の女将に頼んで紋付き袴を仕立てて、人力車で街を巡ったりしていたが、とうとう風邪で倒れてしまった。識者によっては「風生をひいたのであるが、病気が昂じて極度のノイローゼになったのだ」とも語っている(池野誠『小泉八雲と松江:異色の文人に関する一論考』 島根出版文化協会 1970年)。

実際、この頃、教師の仕事を紹介してくれた東京のチェンバレン教授に宛てた手紙では、八雲が精神的に追い込まれていたことがわかる。

すでに数週間病床に呻吟しんぎん(=苦しみうめくこと)しています。このような病気で悩まされてしまっては元気も何もあったものではありません。これが冬がもう二つ三つやってくれば渡した地下の人となるだろうと心配しております。

明治時代とはいえ、風邪で寝込んでいるだけで「もう、死ぬ」と心配しているのだから、よほど精神的に追い込まれていたのだろう。

考えてみれば、八雲はアメリカで極貧生活を送りながらも、ジャーナリストとして生き延びてきた男である。西インド諸島では熱帯病と闘いながら取材を続け、ニューオーリンズの貧民街を渡り歩いてきたタフな男が、風邪ごときで「冬があと二、三回来たら死ぬ」などと弱音を吐くだろうか。

ニューオーリンズ時代のラフカディオ・ハーン
ニューオーリンズ時代のラフカディオ・ハーン(写真=Concerning Lafcadio Hearn, 1908/PD US/Wikimedia Commons)
八雲「室内は家畜小屋のように寒い」

これは単なる体調不良ではない。孤立、不安定な雇用、唯一の理解者である西田の病臥、そして極寒の冬、これらすべてが重なり合って、八雲の精神を蝕んでいたのだ。「極度のノイローゼ」という池野の指摘は、まさにこの状態を言い当てている。

不安に加えて、体調も悪い。おまけにチェンバレン教授への手紙では「室内は家畜小屋のように寒くて、火鉢も炬燵もほんの、火気の影」と書いている。当時の日本家屋だから、隙間風は入りまくりである。これでは、どんな人でも不機嫌になり、些細なことで怒鳴ってしまうのは当然といえるだろう。

結核で病床にある西田が、風邪をこじらせて寝込んでいる八雲を心配し、東京で学んだ名高い医師・田野俊貞の田野医院を紹介しているのだ(旧田野医院は文化財として現存)。病人が病人を励ます構図である。

田野医院のおかげで26日からは出勤できるようになった八雲だったが、冬の寒さや将来への不安も重なって、ノイローゼは快方には向かっていない。この頃の西田宛の手紙では「腹を立てたために病気になった」と書き、不眠になっていることも伝えている。

セツは“八雲が絶不調の中で”雇われた

「腹を立てたために病気になった」なんて、これほど正直な告白があるだろうか。八雲は自分でもわかっていたのだ。自分が怒りっぽくなっていること、それが病的なものであることを。いわば極度の冬季うつである。そしてこれは、春を迎えるまで直らなかった。

セツが女中として雇われたのは、まさにこの時期。八雲が絶不調の真っただ中にいた、その時だったのである。

そう考えると、ドラマで描かれた不機嫌ぶりや、すぐに怒鳴る場面など、まだまだ序の口だったかもしれない。言葉も通じない若い女中に、どれほど理不尽な怒りをぶつけたか。ドラマは朝の連続テレビ小説だからこそ、あのくらいで抑えているのだろう。実際には、もっと激しく、もっと救いのない場面が、日々繰り返されていたに違いない。

にもかかわらず、二人は数週間の間に雇い主と女中から夫婦になっている。いったい、これはどういうことだろうか?

セツの記した『思ひ出の記』に、そうした記述はない。ただ、セツの八雲評からはその理由が窺える。

ヘルンはごく正直者でした。微塵も悪い心のない人でした。女よりも優しい親切なところがありました。ただ幼少のときから世の悪者共に苛められて泣いて参りましたから、一国者(注:頑固者のこと)の感情の鋭敏なことは驚くほどでした。

セツは見抜いていたのだ。怒りの奥にあるものを。

小泉八雲の妻セツ
小泉八雲の妻セツ(写真=nippon.com/小泉八雲記念館蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
“旅館の女中の眼病”の治療費を出した

「微塵も悪い心のない」「女よりも優しい親切なところ」。これは、毎日怒鳴られ、クビを宣告され、理不尽な要求を突きつけられていた女中の言葉とは思えない。だが、セツには見えていたのだろう。八雲の怒りは、悪意からではなく、「幼少の時から世の悪者共に苛められて泣いて」きた傷から来ていることを。

左目を失い、貧困の中で育ち、孤独に耐えながら生きてきた男。その「感情の鋭敏なこと」は、傷つきやすさの裏返しだった。八雲の怒りは、防衛本能だった。そうではない、真の性根をセツはすぐに知っていたのだ。

しかも、女中に雇われた時期にセツは八雲の真の姿を知る騒動を見聞きしている。

八雲が最初に暮らした冨田旅館にいた女中の娘は眼病を患っていた。八雲は宿の主人に、早く病院で治療させるべきだと言っていたが、主人は生返事ばかり。ついに、八雲は「珍しい不人情者」と怒って、治療費を出してやり全快するまで面倒を見た。

セツはこの話を聞いて、何を思っただろうか。怒りっぽく、神経質で、すぐに「ジゴク‼」と叫ぶ男。だが、その奥には誰よりも優しい心がある。セツには、それが見えていたのだ。

“孤独と優しさ”を見抜いた「セツ」、理解に救われた「八雲」

極度のノイローゼで、家畜小屋のように寒い部屋で震え、孤独に苛まれている男。だが、他人の痛みには我慢できず、惜しげもなく金を出して助ける男。そして何より、「腹を立てたために病気になった」と自覚できるほど、自分の感情に正直な男。

数週間で雇い主と女中が夫婦になる。普通に考えれば、ありえない話である。だが、八雲とセツの場合、むしろ当然の帰結だったのかもしれない。言葉が通じなくとも、いや、通じないからこそ見えるものがあった。怒りの向こう側にある孤独と優しさ。それを見抜いたセツと、そのセツの理解に救われた八雲。

小泉八雲と妻のセツ、長男の一雄の“家族写真”
小泉八雲と妻のセツ、長男の一雄の“家族写真”

ドラマ「ばけばけ」が描く二人の物語は、言葉を超えた理解と、それが生んだ愛の物語なのである。

先日SNSでドラマの感想を見ていたら、ヘルンの怒りっぽさが朝からつらいと書いている人がいた。でも分かってほしい、彼は単に不器用なだけなのだと。

昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

元記事で読む
の記事をもっとみる