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【青木さやかさん】「亡くなる前の3カ月で嫌いだった母とようやく仲直りできた」[前編]

  • 2025.11.20

【青木さやかさん】「亡くなる前の3カ月で嫌いだった母とようやく仲直りできた」[前編]

女優、タレント、エッセイストなど、幅広いフィールドで活躍中の青木さやかさん。実は長年、母親との確執に悩み続けていました。転機となったのは、母が末期がんでホスピスに入ったこと。「母が嫌い」だった青木さんが、がむしゃらに母と向き合った末に見いだしたものとは––––。 ※記事内容は、取材時の状況です。

PROFILE
青木さやかさん/女優・タレント

あおき・さやか●1973年、愛知県生まれ。
大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティ番組でブレイクを果たす。現在はドラマや舞台などでも活躍中。
著書に『母』(中央公論新社)、『母が嫌いだったわたしが母になった』(KADOKAWA)など。

母がほめてくれないのは自分が足りないから

私は母が嫌いだった––––。

2021年に刊行された自伝的エッセイ『母』で、母との確執を告白し、話題を集めた青木さやかさん。生まれ育ったのは愛知県瀬戸市、両親ともに教師という家庭だった。

「母はものすごくきれいな人でした。いい高校・いい大学を出て、教師になって、校長先生にまでなった人です。当時は教師という職業が一目置かれるような存在だったから自慢の母でしたし、私も地元で『青木先生の家のお嬢さん』と言われることを嬉しく思っていました」

子どもにとって親は絶対的な存在。尊敬こそすれ、嫌いだなどと思えるはずもなかった。

「今になって思えば『嫌だな』と思うことはたくさんあったのですが、当時は『親と合わない私がおかしいんだ』と思っていました」

テストで95点をとったからほめられるかと思ったら、「何で100点とれないの?」。ピアノ発表会で「エリーゼのために」がようやく弾けるようになったと報告したら、「それは去年、同級生の子が弾いていた。遅いね」。出来のいい友達やいとこと比べられ、何をしてもほめられることがなかった。

「それでも『私が足りていないからだ』と思っていたんです。人のせいにするわけではないけれど、周りの人たちに『さやかちゃんのお母さんはすごいね』と言われて、母は立派な人なのだと信じていたから。そんな母に認められない自分のほうに問題があるのだと思っていました」

教師という職業柄ゆえだろうか、母は世間体を気にするタイプで、固定観念も強かった。

「『大学に行かない人は落伍者』『離婚する人は気の毒に』。私はそんな価値観を刷り込まれて育ちました」

関係性が変わったのは高校生のとき。両親が離婚したのだ。

「離婚って恥ずかしいことなんじゃないの? 今まで言っていたことと真逆のことじゃない、って。大人になってから考えるといろんな原因があったんだろうなと思うけれど、当時の私には母のほうに原因があるように見えました。そのとき、私にとっては、母は母ではなく教師に見えた、そして女に見えました。同性として思春期の私は嫌悪感を覚えました」

嫌いな母が末期がんに。ようやく仲直りを決意

大学卒業後、ローカル局の番組などでフリーアナウンサーとして活動した後、26歳で上京。母とは物理的な距離も遠くなった。

「離れて暮らせば自分がラクになるかも、母に感謝できるかもと思ったんですけど、まったくそんなことはなかった。親の話題って、どこにいても誰といても出てくるんですよね。『うちの親はこうなんだよね』『うちなんて~』って。そのつど、母を思い出して苦しくなる。テレビなどで仲のいい親子を見ると何となく嫌になる。離れても『母が嫌い』が消えることはありませんでした」

2007年に結婚し、2010年に長女を出産。産後1週間で自宅に帰る日、久しぶりに母に会った。

「それまで母のことは嫌いでしたけれど、自然と仲直りできるものだ、嫌いという思いはいつか自分の中でとけていくものだと思っていました。それに一番期待したのが、自分が親になったとき。自分が親になれば、親に感謝できるはずだと思っていたんです。でも、生まれたばかりの娘を抱いている母を見たとき、私の中から出てきたのは、『自分の大事なものに触らないでほしい』という思い。この感情は自然にとけていくようなものではないくらい根深いんだなと痛感しました」

もちろん青木さんとて、この親子の確執を放置してきたわけではない。どうにか解決しようと、自分なりにあれこれ手を尽くしてきた。

「上京して物理的に距離をとったり、友達と母親のことを愚痴り合ったり、新しく家族をつくったり。テレビで『嫌いだー!』と叫んでみたことも。何十年もずーっと母親との関係の悩みから抜け出したくて、いろんなことをやってきたけれど、どうにもこうにも解決しないままきちゃったんですよね」

2019年、その母が末期がんでホスピスに入った。あんなに嫌悪していた母がいなくなる––––。

「母が死ぬのかと思うと、自分の一部がなくなってしまうようで苦しく感じました。そんなとき動物愛護活動をしている友人から、『お母さんと仲直りしておいで。これが最後のチャンスだよ』と言われたんです。私が『そんなこと、もう何十年も頭ではわかっている。でも心がついていかないんです』と答えたら、友人は『親孝行っていうのは道理なんだ』『親子関係は人間関係の基本。そこを解決すると自分がラクになるから、自分のためにやってみたらいいよ』と言ってくれました。その言葉に背中を押されて、母のいるホスピスに通うことを決めました」

思い出のスナップ

取材・文/本木頼子

※この記事は「ゆうゆう」2023年12月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。

※この記事は2025年11月20日に文章構成を変更しました。

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