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【黒柳徹子】一緒にいて話しが尽きない「吉行和子」さんとの共通点とは

  • 2025.11.19
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第42回】女優・エッセイスト・俳人 吉行和子さん

長く生きていると、どうしても、親しい人の死に直面することが多くなります。先日お亡くなりになった吉行和子さんは、「徹子の部屋」に何度も出ていただいて、歳をとってからはよく、「あの頃はこうだったわね」という昔話に花を咲かせていました。歳が近くて、お互い東京生まれだったこともあって、吉行さんと私には、いくつもの共通点がありました。父親が芸術家であること。ミッション系の女学校に通っていたこと。お互い、舞台が大好きだったこと。俳句を嗜んだこと。母親が長生きしたこと。あとは、誕生日が一緒だったこと……。

107歳まで生きた美容師のお母様・吉行あぐりさんとは、和子さんと一緒に「徹子の部屋」に出ていただいたこともあります。それも、90歳を超えてから海外旅行に行くようになったとかで。70歳を過ぎてエッセイストデビューした私の母もパワフルでしたが、あぐりさんもすごい。20歳そこそこで市ヶ谷に美容院を開店させて、90歳を過ぎてもお得意様向けに美容師の仕事を続けていたというんだから。詩人で作家だった旦那様を33歳のときに亡くして、戦争中は女手ひとつで3人の子どもを育てたというし。

そうそう、吉行和子さんと私には、もう一つ大きな共通点がありました。それは、2人とも母親が、存命中にもかかわらずNHKの朝ドラのモデルになっていること!(※徹子さんの母・朝さんは1987年の「チョッちゃん」、和子さんの母・あぐりさんは1997年の「あぐり」)「あぐり」の原作になったのは、あぐりさんが70代で書いた『梅桃(ゆすらうめ)が実るとき』という自伝的エッセイだったそうです。私の母も、ちょうど同じぐらいの時期に『チョッちゃんが行くわよ』という自伝的エッセイを発表して、ベストセラーになったのでした。いつの時代も、たくましく生きている女性の姿は、人に勇気を与えてくれるものなのでしょう。

和子さんは、お母様もユニークだけれど、お兄さんもかなりの有名人でした。11歳年上のお兄さんは、吉行淳之介さんという一世を風靡した作家。ハンサムで、女性にすごくモテて、今の時代だったら、毎週のように週刊誌で熱愛がスクープされていたかもしれない(笑)。まさに文壇のスターっていう感じでした。でも、淳之介さんは、70歳で亡くなってしまいます。

妹の吉行理恵さんも作家なんだけど、淳之介さんが芥川賞を受賞した27年後に芥川賞を受賞していて、きょうだいで受賞したのは、後にも先にもこの2人しかないそうですが、その理恵さんも、66歳でこの世を去りました。昭和の終わり頃は、日本の美容の第一人者でもあるお母様と、文壇きってのモテ男である淳之介さん、気鋭の詩人で作家の理恵さん、そして舞台を中心に映像でも存在感を発揮していた女優の和子さん、とこのファミリーは「文化人一家」で、今だったら、私がよくゲスト出演しているテレビ朝日の「プラチナファミリー」なんかの常連になりそうな華やかさがありました。

あぐりさんが亡くなったのが2015年の1月。和子さんが80歳になる時でした。80代も後半になって、「徹子の部屋」に出ていただくたびに、「終活」の話をしながら、「海外旅行が好きだから、海外に行きたい」なんてすごく前向きなことを口にしていました。映画もよくご覧になっているから、「最近、どんな映画が面白かった?」と聞くと、すぐ「〇〇!」って答えてくださるんです。俳句の話でも、パッと自分の作った俳句を披露してから、その後に、俳句が生まれたときの状況を説明してくれたり、一緒にいて、本当に話が尽きない方でした。

気取ったところが全然なくて、若い頃に4年間だけ結婚していたことがあるんだけど、「台所を汚したくないから」と一度もお台所には立たず、それが理由で離婚になったそうです。自炊を全くしないから、「ガスは基本料金だけ」なんて話もさらっとしちゃう(笑)。小さい頃からひどい喘息持ちで、でも不思議と舞台の上では(緊張のせいか)喘息の発作が出なくて、50歳を過ぎて鍼治療したら突然喘息が治って、「病気が私の我慢強さを育ててくれた」とか、会話が独特でユニークなの。「徹子の部屋」に出ていただいたときも、私の衣装を見て、「今日の衣装は(色が)地味ね」なんてズバッと言うこともありました。

そんな吉行さんの俳号は「窓烏(まどがらす)」。最初は、友人に誘われた句会への参加が20年以上も続くと思わなかったので、“その場限りで”とつけたそうです。でも後になって、「いつか、もっと上手になったら、“窓烏”と書いて“そうう”と、読みだけ改名しようと思っているの」と話していらしたことが、懐かしく思い出されます。

吉行和子さん

女優・エッセイスト・俳人

吉行和子さん

1935年東京生まれ。父はダダイズムの作家・吉行エイスケ、母は美容師・吉行あぐり、兄は作家・吉行淳之介、妹は作家で詩人の吉行理恵。女子学院高等学校在学中に、劇団民藝付属の研究所に入所。57年舞台『アンネの日記』でデビュー。59年映画『にあんちゃん』などで毎日映画コンクール助演女優賞、79年『愛の亡霊』、2014年『東京家族』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞、02年『折り梅』『百合祭』で毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞。1992年より自身でスタッフを集めて上演に漕ぎつけた一人芝居『MITSUKO』は、初演から13年にわたって日本のみならず海外でも上演された。エッセイストとしても『どこまで演れば気がすむの』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。2025年9月2日、肺炎のため死去。享年90。

─ 今月の審美言 ─

ユーモアがあって、気取ったところが全然ない。一緒にいて、話が尽きない方でした

取材・文/菊地陽子 写真提供/朝日新聞社<ゲッティ>

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