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妻のセツが洋服を着るのも英語を話すのもダメ…「ばけばけ」で描かれる以上にヒドい小泉八雲のモラハラ夫ぶり

  • 2025.11.17

NHK朝ドラ「ばけばけ」ヒロインが嫁ぐ外国人のモデル、小泉八雲とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「彼を書いた史料には、さまざまな変人エピソードがある。ただそれは、感性が研ぎ澄まされた人だからこその言動だった」という――。

ラフカディオ・ハーンの肖像
ラフカディオ・ハーンの肖像(写真=『The World's Work』/PD US/Wikimedia Commons)
「ばけばけ」ではわからない小泉八雲の本当の姿

松江中学の教壇に立つようになったレフカダ・ヘブン(トミー・バストゥ)に、同僚の錦織友一(吉沢亮)は振り回されっぱなしだった。NHK連続テレビ小説「ばけばけ」の第6週「ドコ・モ・ジゴク」(11月3日~7日放送)。

滞在していた花田旅館の主人の平太(生瀬勝久)は、ヘブンが何度忠告しても、目の悪い女中のウメ(野内まる)を医者に見せない。ついにヘブンは怒って、「リョカン、デマス」といい出した。借家に移り住むに当たっては、身の回りの世話をしてくれる女中がほしいといい、遊女のなみ(さとうほなみ)が志願したが、百姓出身だからダメで、嗜みを身につけた士族の娘でなければならないという。

そこで錦織はトキ(髙石あかり)に頼み込んだ。折しも、実母のタエ(北川景子)が物乞いまでするほど零落したのを見てしまったトキは、思案の末、お金のために女中になることを受け入れた。

ところが、第7週「オトキサン、ジョチュウ、OK?」(11月10日~14日放送)では、ヘブンはトキの手や足を観察し、「彼女は士族の娘ではない。シジミ売りだ、だまさないでくれ」と、英語で錦織に伝えた。

トキは長期間の機織り生活のせいで、手がたくましくなっていたのだ。錦織が「ラストサムライ(註・小日向文世が演じる松野勘右衛門)の娘だと伝え、ヘブンもようやく納得するが、こうした場面からも、「ばけばけ」のヘブンはかなり厄介や人物に見える。では、ヘブンのモデルであるラフカディオ・ハーンも、いわゆる変人だったのだろうか。

セツの手足を見て「太い」

結論を先にいえば、良くも悪くもかなりの「変人」で、トキのモデルの小泉セツも、錦織のモデルの西田千太郎も、かなり振り回されたようだ。

たとえば、桑原羊次郎『松江に於ける八雲の私生活』(山陰新報社)には、ハーンが最初に滞在した富田旅館(「ばけばけ」の花田旅館のモデル)の女将ツネの証言として、「ばけばけ」でも描かれた場面について、次のように書かれている。

「節子様の手足が華奢でなく、これは士族のお嬢様ではないと先生は大変不機嫌で、私に向かってセツは百姓の娘だ、手足が太い、おツネさんは自分を欺す、士族でないと、度々の小言がありましたので、これには私も閉口致しまして種々弁明いたしましても、先生はなかなか聴き入れませんでしたが、しかし士族の名家のお嬢さんに間違いありませんので間もなく万事目出度く納まりました」

士族フェチだったことと、ウソが極端に嫌いだったことで、こういう反応になったわけだが、あいだに立った西田も閉口したであろうことは、容易に想像できる。

「熊本は大嫌いだ」と言ったワケ

島根県尋常中学校と師範学校で英語教師を務めたハーンが、だれ一人知り合いもいない松江で最初に意気投合したのが、同中学教頭で英語教師の西田だった。ハーンの周囲で、英語でコミュニケーションをとれる唯一の人物であり、2人は連日のように行動をともにし、友情を深めた。

2人は書簡も頻繁に交わし合ったが、それだけにハーンの愚痴もすべて西田のもとに集中することになった。ハーンは明治24年(1891)11月、熊本の第五高等学校に招聘され、セツのほかに女中と車夫を連れ、中国山地を越えて熊本に向かった。結局、熊本には稲垣金十郎、トミ、万右衛門(「ばけばけ」の松野司之介、フミ、勘右衛門のモデル)も同居することになった。

しかし、西南戦争で城下町が焼失し、近代化が進む熊本が、ヘブンはどうにも気に入らない。西田への手紙には「熊本が日本であるとは全然思われない。熊本は大嫌いだ」などと熊本を忌み嫌う表現があふれ、熊本が嫌なあまり日本そのものに対する見方も変わり、日本について「地獄であるものを天国であると思い込んでいたのです」とまで書くようになった。

永嶌孟斎『鹿児島の賊軍熊本城激戦図』
永嶌孟斎『鹿児島の賊軍熊本城激戦図』,清水嘉兵衛,明治10. 国立国会図書館デジタルコレクション(参照:2025年11月14日)

長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)には、「しばらくは、熊本で受けた心の打撃が日本人全般の不信にまで広がり、西田の手紙にさえ、『日本人を理解できると信ずる外国人は、何と愚かであろう!』と書くほどであった」と記されている。

人々が酒を飲んで騒ぐのは「地獄」

こうした愚痴や怒りのいわば「はけ口」になった西田は、さぞかし大変だったことと思うが、以前から病んでいた結核が悪化して、明治30年(1897)3月15日、妻と1女3男を残してこの世を去ってしまう。だが、いうまでもないが、セツは結婚生活を通してずっと、ハーンの極端な「こだわり」と付き合っていくしかなかった。

小泉家の遠縁でハーンのアシスタントを務めた三成重敬が、セツが語った思い出を口述筆記した『思ひ出の記』(ハーベスト出版)から、ハーンの相手を翻弄するほどのこだわりの逸話を拾ってみたい。

セツによれば「嫌いになると少しも我慢を致しません」というハーンは、騒がしい場所が許せなかった。伯耆国(鳥取県中西部)に旅したときは、東郷の池という温泉場に1週間ほど滞在する予定だったが、「そこの宿屋に参りますと、大勢の人が酒を呑んで騒いで遊んでいました。それを見ると、すぐ私の袂を引いて、『だめです、地獄です、一秒でさえもいけません』と申しまして、宿の者共が『よくいらっしゃいました、さあこちらへ』と案内するのに「好みません」というのですぐにそこを去りました」。

自分が好むこと以外に時間を割くのも大嫌いで、「ヘルンは面倒なおつき合いを一切避けていまして、立派な方が訪ねて参られましても、『時間を持ちませんから、お断り致します』と申し上げるようにと、いつも申すのでございます。ただ時間がありませんでよいというのですが、玄関にお客がありますと、第一番に書生さんや女中が大弱りに弱りました」。

ラフカディオ・ハーンと妻のセツ
ラフカディオ・ハーンと妻のセツ(写真=富重利平/Japan Today/PD US/Wikimedia Commons)
英語も洋服も電話もダメ

ハーンが他人と会わない理由についても、セツは語っている。

「交際を致しませぬのも、偏人のようであったのも、皆美しいとか面白いとかいう事をあまり大切に致しすぎる程好みますからでした。このために、独りで泣いたり怒ったり喜んだりして全く気ちがいのようにも時々見えたのです。ただこんな想像の世界に住んで書くのが何よりの楽しみでした。そのために交際もしないで、一分の時間も惜しんだのでした」

1分さえも惜しいからだろう、たとえば掃除する際、はたきでパタパタとはたく音も嫌いで、「『その掃除はあなたの病気です』といつも申しました」。どっちが病気なのか、と突っ込みたくなるが、これほど神経質なまでに繊細だったから、日本の古典や民話を深く掘り下げ、日本人ならではの精神文化や自然感の価値に共鳴して、それを後世に伝えることができたのだろう。

しかし、日本の古き良き精神文化を讃えるあまり、西洋風も文明の利器も嫌った。東京では、「セツは熊本時代の英語学習の再開を願ったが、ハーンがしとやかな日本女性を賛美し、英語はその美質を損なうと思うに至ったために、受け入れられなかった」(『八雲の妻 小泉セツの生涯』)。

服装も同様で、ふたたび『思ひ出の記』によれば、「日本人の洋服姿は好きませんでした。ことに女の方の洋服姿と英語は心痛いと申しました」。

それでも憎めないエピソード

文明の利器に関しても、「電車などは嫌いでした。電話を取りつける折は度々ございましたが、何としても聞き入れませんでした。女中や下男は幾人でも増すから、電話だけは止めにしてくれと申しました。(中略)電車には一度も乗った事はございません。私共にも乗るなと申していました」。

一方、自分が好きなものへの執着はすごい。

「ある夏、二人で呉服屋へ二、三反の浴衣を買いに行きました。番頭がいろいろならべて見せます。それが大層気に入りまして、あれを買いましょうこれも買いましょうといって、引き寄せるのです。そんなにたくさん要りませんと申しても「しかし、あなた、ただ一円五十銭あるいは二円です。いろいろの浴衣あなた着て下され。ただ見るさえもよきです」といって、とうとう三十反ばかり買って、店の小僧を驚かした事もあります」

そう書いたうえで、「気に入るとこんな風ですから、ずいぶんと変でございました」と結ばれている。

感性が研ぎ澄まされた人にこそありがちな変人ぶり。西田千太郎も小泉セツも振り回されただろうが、一本筋が通った、憎めない偏屈だったのではないだろうか。

香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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