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【ジェーン・スーさん】できないことが増えていく87歳の父と、あえて同居はしない。その理由とは?

  • 2025.11.16

【ジェーン・スーさん】できないことが増えていく87歳の父と、あえて同居はしない。その理由とは?

離れてひとり暮らしをする87歳の父親の生活を、別居しつつサポートするジェーン・スーさん。あえて同居を選ばない家族の距離感とは? 父親を支える秘訣とは? そしておひとりさまとしてのご自身の自立についても伺いました。

Profile
ジェーン・スーさん コラムニスト、ラジオパーソナリティ

じぇーん・すー●1973年東京生まれ。
TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」、ポッドキャスト番組「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」のMCを務める。
著書に『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『へこたれてなんかいられない』(中央公論新社)など。

5年前、介護はまだ先。でも生活が立ち行かない

ジェーン・スーさんの父親は、片道1時間の距離にひとりで暮らしている。スーさんが父の生活に不安を覚えたのは5年前のことだった。

「お世話をしてくれるガールフレンドたちもいて、私は月に一度、母の墓参りで顔を合わせたり、住居費を援助したりですんでいたのですが、彼女たちも高齢になり、お世話が難しくなったようです」

少しずつ痩せ始め、歩行も遅くなっているので、ひとまず今の暮らしを見てみようと父の家に向かうと、そこは汚部屋一歩手前。82歳、家事能力のない父ひとりでは生活が立ち行かないことがわかった。

「でも父はまだまだ元気で介護保険サービスの利用はできません。本格的な介護の前に、家族が支援しなければならない“介護未満”が訪れました」

こんなとき、多くの人の頭には「同居」の文字が浮かぶのではないだろうか。同居して、できるだけのことをするのが親孝行ではないかと。しかしスーさんはその道を選ばなかった。

「母が亡くなる前、両親が同時期に倒れたことがあったんです。その頃私は会社勤めをしていたので、介護休職しました。でも母は、『私のために仕事だけはやめないで』と言っていました。この言葉が遺言のように感じられ、また、家族だけで回していくのは無理だという実感もありました。冷静に考えても、この先、本格的な介護が始まり、さらにその先に自分が老いていくときに、絶対にお金が必要です。ならば今の自分の生活を変えてはいけないと思いました」

感情を使わずビジネスライクに

自分の生活を変えずに父を支えるにはどうしたらいいのか。スーさんはその答えを介護本ではなくビジネス書に求めた。

「父のサポートを始めた当初は、老いていく親を見て気持ちがふさいだり、何でできないのかとイライラしたり、いろいろな感情に襲われました。でも感情で動いていては自分の心ももちませんし、父との衝突も生まれます。それを回避するには、仕事だと思うのが一番だと思ったんです」

ビジネス書を参考に、介護未満の父を支えるプロジェクトのためのノートを作った。父が「できること」「できないこと」「危ういこと」「頼みたいこと」を書き出し、「できないこと」「頼みたいこと」を誰に振るかを考えていく。これで仕事として淡々と進められる。

「ただ、失敗もありました。当時、私はどこかで父を教育しようと思っていたんですね。栄養についてレクチャーし、だからこれとこれを食べろとか。痩せていく父を何とかしたかったのですが、父には『刑務所みたい』と言われてしまいました」

父の人生ができるだけトラブルが少なく好きなように生きられることがゴール

スーさんは考えを改めた。

「父の人生は父の人生。間違える自由もあるし、どう見ても不正解だと思うほうを選ぶ権利もある。父を健康にしようと息巻いていたのですが、それは私自身の満足であり、私にとっての安心だったわけです」

ノートを開き、一番上にプロジェクトのゴールを記した。

―父が精神的・肉体的に健やかなひとり暮らしを一日でも長く続ける―

そのゴールに向けて、「快適な居住空間の維持」「健康的な食生活」「体力づくり」と枝葉を伸ばし、さらに具体的な行動に落とし込んでいく。

「主人公はあくまで父。父がトラブル少なく、好きなように生きられることがゴールだと考えをシフトしてからは、父との関係も穏やかになりました」

Recommend Book! ジェーン・スーさんとお父さんの 「介護前夜」5年間の記録

撮影/佐山裕子(主婦の友社) 取材・文/志村美史子

※この記事は「ゆうゆう」2025年12月号(主婦の友社)の記事を、WEB掲載のために再編集したものです。

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