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中尾ミエ×井村雅代【スペシャル対談】70代同士の本音トーク!「定年後の生き方の探し方とは?」

  • 2025.11.10

中尾ミエ×井村雅代【スペシャル対談】70代同士の本音トーク!「定年後の生き方の探し方とは?」

連載1年目の締めくくりは拡大版のスペシャル対談! 今回はミエさんとは20 年来の親交がありアーティスティックスイミングの指導者として世界を舞台に活躍を続ける井村雅代さんを迎えました。強く、しなやかに、人生を歩んできたお二人の言葉には、この先を楽しむためのヒントがいっぱい!

選手よりも有名なコーチってどんな人?

ミエ 私たちが初めて会ったきっかけは、水泳をやっている共通の友達がいたからよね。
井村 もう20年近く前でしょうか。私が京都でシンクロの指導をしていたとき、私が教えている後ろでミエさんをはじめ世界マスターズ水泳に出られる方々が練習されていたこともありましたね。
ミエ たまたま同じプールで。マスターズとはいえ、こんな素人のおばさんが練習してるのに、この方は容赦なく厳しかった。
井村 ちょっとだけね。そもそもミエさんは私のスター。中学生の頃からポニーテールのかわいいミエさんに憧れていました。
ミエ 私もぜひお会いしたいと思っていたんですよ。日本のシンクロ界を長く支えてこられて、コーチなのに選手より有名だから、「どんな人なんだろう?」って。
井村 実際にお会いしてみたら、ミエさんはすごく自然体。「スターなのに普通なんだ」と驚きました。直接お話しさせていただくようになってからも、「こんな自然体な生き方って素敵だな」って。

水泳って気取っていられないのよ!すっぴんだし。

ミエ だって水泳って化粧もできないし、気取っていられない。だからいつも〝素〟だったのよ。
井村 見た目も心もホンマの〝素〟。今も泳いでますか?
ミエ 今はもう泳いでいません。私はものすごく体が硬くて水泳に向いていない。そのことに、かなり経ってから気がついたから。
井村 でもミエさん、年とって陸上で歩きにくくなったらプールで歩かなあきませんよ。水中は浮力で体重の負荷が3分の1になるからリハビリにもいいんです。
ミエ 私たちの共通の友達が脳梗塞で左半身に後遺症が残って、陸では車椅子なのに、背泳ぎ50メートルでマスターズに出たのよね。
井村 あれは感動しましたね。
ミエ 私も泣けてきちゃった。水泳ってすごいわよね。
井村 水中には自由な世界が広がっているんですよ!

一歩踏み出すのに勇気なんかいらない、好奇心だけあれば!

ミエ 年齢を重ねる中で、自分自身に変化はありました?
井村 私が中国代表チームの監督に就いたのは57歳のとき。北京オリンピックが終わって日本に帰ってきたら「日本の水泳界にあなたはいりません」と言われたから、「ほな、また行くわ」。結局、63歳まで中国で教えました。でも私、50歳頃までは必死に頑張っていただけやった気がするんです。55歳頃から徐々に自分の考え方が整理できるようになってきて、それからはどんなことにも対応できる引き出しをたくさん持っている人間になれたかなと思います。
ミエ 私も無我夢中のときがありましたよ。でも、たとえば歌を頑張りすぎると観ているお客さんも疲れちゃうんです。これは私が考えた言葉なんだけれど、「力がつけば 力が抜ける」。力が抜けて歌うと自分もラクだし、お客さんも楽しめる。ある程度年齢を重ねて、そういうことに気がつきました。

逆らわずとも意志は強く。柳のような生き方

井村 どんなにいい作品をつくりたいと思っても、そこにちょっと遊び心や息抜きがないと素敵な作品にはならない。そう気づくまでには時間がかかりました。そして、それは必死で努力して乗り越えてきた人が言えることです。
ミエ そうですね。そして、力を抜くのと手を抜くのは違う。手は抜かずに力を抜く、そういう技が身につくのも年を重ねたからこそ。だから今、ラクじゃない?
井村 いい具合に力が抜けて楽しいですね。
ミエ それにしても、57歳でひとり中国に行くってスゴいわよね。
井村 当時はよく叩かれましたけれど、自分では柳のように生きてきたつもりなんです。流れに身を任せながらも自分の意志は折らずに、その中で自分ならではのことをしようと思ってきました。
ミエ 言葉の壁もあったでしょ?
井村 最初は中国語が全然わからなかった。でも、中国語ができないことはハンディとも何とも思わなかったんです。新しいチャンスが来たから面白いなって、好奇心だけで飛び込みました。
ミエ しかも行った先で全部、結果を出しているのがスゴい!
井村 私は先に結果を決めてから逆算して動くんです。高望みであっても、選手の目標が「優勝したい」なら「優勝する」と決めて、それが叶う指導をしてきました。

人や社会とのつながりを自分から閉じちゃダメ!

ミエ たしかに、「やる」と決めることは大事ね。特にこの年になるともう先が見えてくるから、やりたいことがあるなら早くスタートして、着実にそこに向かっていかないと時間がもったいない。
井村 私もシンクロだけで人生終わりたくはないと思っています。でも、定年になったり子育てが終わったりしたら「もうやることはない」「自分は世の中の役に立たない」と思っている人が多いですよね。あれはあかんと思うんです。
ミエ 違うのにね~。自分も楽しめて人さまにも楽しんでもらえる、それはここからなんですよ。
井村 そうそう! 定年まで必死で生きてきて、もう終わり、じゃない。次の生き方を探さないと。
ミエ 探せば自分ができることってまだあるのよね。そこからが人生の後半戦。時間がたっぷりあって、ちょっと知恵もついて、楽しい人生を送れるはずだから。

井村 それにはまず自分から一歩踏み出すことですよね。
ミエ そこに勇気なんかいらない、好奇心だけあればいいの。
井村 「何がやりたいかわからない」という人は、自分で扉を閉めちゃっているのかもしれませんね。
ミエ 自動ドアだと思っているから開けようとしないのよ。50代までは仕事とか子育てとか、自分で開けなくても次から次へと扉が開くから。でも、60歳からは手動ドアなの。自動で開くものだと思ってじっと待っていたら、いつまでたっても開きません。
井村 自分で開けましょう!

PROFILE
なかお・みえ●1946年、福岡県生まれ。62年「可愛いベイビー」でデビュー。歌手だけでなく俳優としても映画や舞台などに多数出演し、バラエティ番組でも幅広く活躍。著書に『60代から女は好き勝手くらいがちょうどいい』(和田秀樹さんとの共著/宝島社)など。

いむら・まさよ●1950年、大阪府生まれ。中学時代にシンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)を始め、日本選手権チーム種目で二度優勝。78年より日本代表コーチとして選手の育成に尽力。中国、イギリスの代表コーチを経て2015年、日本代表ヘッドコーチに復帰。16年のリオデジャネイロオリンピックではデュエット、チームともに銅メダルに導いた。

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