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『盤上の向日葵』の坂口健太郎に「幸せになってくれ…!」と願わずにはいられない理由を全力解説

  • 2025.11.8

10月31日より柚月裕子の同名小説を映画化した『盤上の向日葵』が劇場公開中です。

目玉となるのは、坂口健太郎と渡辺謙の初共演にして、両者の鬼気迫るという言葉でも足りないほどの熱演。重厚なドラマはもちろん、先が気になるエンタメ性も高い日本映画として、幅広い層に大推薦できる内容になっていました。魅力を5つに分けて紹介しましょう。

1:『The Final Piece』という英題が示す通りのヒューマンミステリー

内容を端的に示すのであれば、「殺人事件の真相および、その容疑者となった人間の壮絶な人生が、パズルのピースを集めるように明らかになっていくヒューマンミステリー」です。

(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会
(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会


最初のピースとなるのは、山中で発見された白骨死体と共に埋められていた、7組しか現存しない希少な将棋駒。容疑をかけられたのは、一躍時の人となっていた天才棋士・上条桂介(坂口健太郎)でした。

理屈で考えれば「わざわざ自分が犯人だと主張するようなものを遺体と共に埋めた」ことになるでしょう。もちろん劇中の刑事たちと、映画を見ている観客は、その不可解さを抱えたまま真相を追います。

その捜査と並行して、上条桂介の幼少期からの人生が明らかになり、「本当に彼は殺人犯なのか?」という疑問はもとより、この世の負の側面を煮詰めたような壮絶な人生、あるいは「生きてきた証」ともいえる物語にも、グイグイ引き込まれるようになっています。

(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会
(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会


そして、彼のかわいそうすぎる人生と、それからつながる現在のとてつもない境遇を知り、「もう、いいから! 幸せにさせてやってくれよ!」と心から願う人は多いのではないでしょうか。

本作の英題の「The Final Piece」が示しているように、事件の真相と人生にまつわるパズルの最後のピースがどこにあるのか……その先にある、深い余韻を残すラストシーンを、決して忘れることはできないでしょう。

2:坂口健太郎が流した涙に同居した矛盾した感情とは

「もういいから! 幸せにさせてやってくれよ!」と感情移入してしまうこと、そして上条桂介という人間が「本当に生きている」とまで思えるのは、言うまでもなく坂口健太郎という俳優の力によるもの。

(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会
(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会


これまではクールなイメージの役も多くこなしている坂口健太郎でしたが、今作では初めこそミステリアスな印象があるものの、物語が進むにつれてそれだけではない複雑な葛藤、将棋への情熱、それと同居する「将棋がないと生きていけない」ような不器用さや繊細さ、さらには激情を隠せなくなった姿といった多層性を見せています。

坂口健太郎の元来の親しみやすい雰囲気が根底にありつつも、何かの事象に深く思慮を巡らせる誠実さを感じさせる役柄としては、2022年の『余命10年』が比較的近い印象です。

実際に熊澤尚人監督が抱いていた坂口健太郎のイメージは「繊細さが光るラブストーリーが似合う俳優」だったのですが、今回は「彼の大人の魅力をもっと見てみたい」という期待を込めてのオファーだったのだとか。そして、熊澤監督が今回の映画で「どうしても撮りたかった」と語るのは、とあるシーンで上条桂介が涙を流す場面です。その涙を「憎んでいたのに悲しい、悲しくないはずなのに涙が流れる、憎んでいても実は愛情もあったという人間の矛盾、心が勝手に泣き始めて流れる涙ですね」と、熊澤監督は考えていたのだとか。

確かに、その時の坂口健太郎の表情には、何度も繰り返せない芝居を5テイクほど重ねた苦労も報われる「悲しさ」と「愛情」、さらには「希望」と「絶望」という、矛盾した感情が同居していました。

なお、坂口健太郎は「33歳の自分にこの役が来たということは、33年間分の自分を含めて芝居をすることだと思っていました。演じながら苦しくなることもしんどくなることも多かったけれど、3人からそれぞれの愛情を感じていました」とも語っています。

その3人とは、幼少期から本当の息子のように接してくれた唐沢(小日向文世)と、後述する父親の庸一(音尾琢真)と、そして複雑な関係となっていく東明重慶(渡辺謙)だったのだとか。それぞれの愛情をどのように坂口健太郎が表現したのかにも、ぜひ注目してください。

3:「人間として最低」な渡辺謙が「妖怪」へ挑む

さらに、もう1人の主人公と言えるのは、渡辺謙が演じる東明重慶。彼は将棋指しとしては超一流ですが、誰かを自分のために利用して、裏切って、ウソもついて、それぞれにまったく悪びれるそぶりもないという、はっきり「人間としては最低」のキャラクターです。

(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会
(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会


もちろん渡辺謙が演じてこその「賭け将棋の真剣師」という名の通りのカッコよさがあるものの、その「信じたくなるほどの人間として魅力がある」からこそ、むしろタチが悪いです。渡辺謙という俳優が持つ重圧さがクズな役柄に転換すると、こんなにも嫌悪感を持てるのだとも驚きました(褒めています)。

白眉となるのは、その渡辺謙が命を賭けた対局に挑むシーン。ロケ地である旅館・富津のさざ波館、浅虫温泉の実景もスクリーン映えしますし、そこで対局相手を演じるのは、こちらもすさまじい存在感と演技で見る者を圧倒する柄本明。その柄本明を渡辺謙は「まるで妖怪だな」と最大の褒め言葉で迎えたのだそうです。

(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会
(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会


さらに、この勝負において渡辺謙は「真剣師は通常の棋士とは違うタイプの棋士、ある種の博打打ちでもあるので、トリッキーな手を使い、駒を指す音や態度でも相手を追いつめていくなど野生の棋士を意識しました」と語り、「東明らしさ」を入れながら熊澤監督とディスカッションを重ね撮影を進めていったのだそうです。

柄本明という妖怪に、棋士としての戦い方で挑む渡辺謙の「凄み」にも注目してほしいです。

4:音尾琢真に「関わってくるんじゃねぇ!」になり、土屋太鳳に希望を託したくなる

そんな渡辺謙の演じる東明重慶に輪をかけて最低なのは、主人公である上条桂介の父親を演じた音尾琢真。幼少期から虐待も同然の振る舞いを見せるだけでなく、息子の生き方を縛りつけ、ことあるごとにカネをせびろうとするその姿を見て、「お前は!もう!坂口健太郎に関わってくるんじゃねぇ!」と怒鳴りたくなります(良い意味で)。

そんなクズOFクズを全身全霊で体現した音尾琢真の姿も、また絶対に忘れられないものでした。さらに、高杉真宙と佐々木蔵之介の刑事のコンビも、警察として真っ当に殺人事件の捜査をしていることは頭では分かっているのですが、「もうやめてくれ!あんなに優しくて儚い坂口健太郎のことはそっとしていてくれ!」とずっと叫びたくなってしまいます(良い意味で)。

そこで「ひと息をつける」存在として登場するのが、土屋太鳳が演じる、農園で働く奈津子という女性。実は、彼女は原作小説には登場しない、映画オリジナルキャラクターなのです。

原作では、桂介は東大卒業後に外資系企業で働き、退職後ソフトウェア会社で働く……という設定だったのに対し、働く先を農園へと大胆にも変更にしたのは「職業を土に近いものにしたかった」「農業を営む人たちの傍には向日葵畑がある」という熊澤監督の狙いがあったのだとか。しかも、母親の幻影を塗り替えるような女性であり、誰かのために生きる幸せを選ぼうとする相手として、土屋太鳳は短い出演ながら、その誠実な佇まいで説得力を持たせていました。

彼女の存在もまた、「もういいから! 坂口健太郎と土屋太鳳の幸せ夫婦のハッピーエンドで終わらせてくれよ!」と思える明確な理由でしょう。

※以下、具体的な展開はなるべく避けていますが、クライマックスとラストシーンについて触れています。ご注意ください。

5:「生ききる」というメッセージ

今回の映画化にあたり、原作者・柚月裕子からのリクエストは一切なく、脚本も兼任する熊澤監督に一任されたそうです。その上で、熊澤監督が映画として用意したラストでは、「上条桂介に『生ききる』という選択をしてほしいという願いを込めた」のだそうです。

(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会
(C)2025映画「盤上の向日葵」製作委員会


そのラストシーンに原作者の柚月裕子は「終わった後、涙を止めることができませんでした」と感動の言葉を述べたほか、桂介(坂口健太郎)と東明(渡辺謙)が迎えたクライマックスでの「真剣勝負」について、以下のようにもコメントしています。

『桂介はどんな決断をするのか、東明は何を望んでいるのか。あのクライマックスから感じたのは、なにが幸せで、なにが不幸なのか、傍から見て恵まれていないと思っても、その人自身はすごく充実しているかもしれないということ。
(中略)
自分が選べない道を、選びたくない道を選ばざるを得ないという苦しみがあるなかで、自分で選んだと思えることはとても満たされている。私たちも、日々小さなことから人生を左右するような大きなことまで決断する瞬間がたくさんあります。

そういう時に自分が望む形で決断しようと勇気をもらえる、そんなメッセージが含まれている映画なのだと、お二人の対局を見ながら感じました。』

そのクライマックスはもちろん、主人公・上条桂介が迎えたラストシーンもまた、「なにが幸せで、なにが不幸なのか、それは本人しかわからない」と思える選択であり、「生ききる」という作品のメッセージそのものに思えました。

これまで筆者は「もういいから! 幸せにさせてやってくれよ!」と叫んでいましたが、その壮絶な人生を生きても、実は桂介は「納得」「満足」もしているのではないかとも想像できる……そんな物語でした。ラストまで目を背けず、見届けてほしいです。

この記事の執筆者: ヒナタカ
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。

文:ヒナタカ

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