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35年前、“F1ドライバー”が異例の歌手デビュー “走る男”が立ち止まって歌ったワケ

  • 2025.11.27

「35年前、F1ドライバーが“歌手デビュー”したって覚えてる?」

1990年の秋、日本はまだバブルの余韻をまといながらも、どこか落ち着いた光を帯びていた。街には高揚感と静けさが同居し、テレビから流れる音楽がその空気を優しく包んでいた頃。そんな中でひときわ異彩を放つ一曲が生まれる。

中嶋悟『悲しき水中翼船』(作詞・作曲:東京バナナボーイズ)――1990年11月21日発売

当時、世界最高峰のモータースポーツ・F1で日本人として初めてフル参戦=フルタイムドライバーとなった中嶋悟。彼の歌手デビューというニュースは、驚きと好奇心をもって迎えられた。誰もが「まさか、あの中嶋悟が?」と微笑んだに違いない。

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中嶋悟-1991年撮影(C)SANKEI

南の風が運んだ、やさしい違和感

『悲しき水中翼船』は、セイコーエプソン「NOTE&BOOK」CMソングとして制作された。

南国の海辺を思わせるスローテンポのサウンド。打ち込みサウンドがゆったりと波を描き、そこに素朴で温かいメロディが流れ込む。歌声は決して上手くはない。けれど、どこか不器用でまっすぐな声に、聴く人は自然と笑顔になってしまう

当時を知るファンからは「中嶋さんの人柄がそのまま音になったよう」と語られることが多い。派手なパフォーマンスも技巧的な歌い回しもない。ただ、誠実さと真面目さがにじむ。その“素朴さ”こそ、この曲の最大の魅力だ。

東京バナナボーイズが描いた“音の海”

作詞・作曲を手がけたのは、ユーモアとポップセンスで知られる東京バナナボーイズ。

彼らは80年代後半から90年代初頭にかけて、広告音楽やテレビテーマなどで独自の存在感を放っていた。『悲しき水中翼船』にも、彼ららしい軽妙なリズム感と、どこかノスタルジックなメロディラインが息づいている。

イントロのシンセサウンドには、今聴けば“トロピカル・ハウス”の源流のようなニュアンスも感じられる。潮風のようなキーボードのトーンと、スチールドラムを思わせる音色。90年代初頭の日本ポップスではまだ珍しかった“南国の浮遊感”を見事に再現しているのだ。

走る人が、立ち止まって歌った理由

レースの世界では、コンマ1秒を争う集中力がすべて。そんな男が、マイクの前で静かに歌う――それだけで、十分にドラマチックだ。『悲しき水中翼船』には、スピードを求めて走り続けた人が、ふと見せた「静」の時間が封じ込められているようにも感じられる。

彼の声からは、海辺に佇むひとりの男の姿が浮かぶ。勝負の世界では決して見せなかった、穏やかで人間らしい一面。それが、聴く者の胸をじんわりと温める。

誰も知らなかった“もうひとつの中嶋悟”

今改めて耳を傾けると、その存在は特別だ。音楽史の片隅に、ひっそりと残された小さな奇跡。プロデュース陣の確かな腕と、中嶋悟という人間の魅力が、偶然にも交わった結果生まれた“奇跡の記録”といえる。

F1マシンの轟音ではなく、海辺のさざ波のような静けさ。速さではなく、優しさで心を打つ一曲。『悲しき水中翼船』は、まさに“走る男が残した、静かなラストラップ”なのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。