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25年前、メロディのアレンジが施した“寸止め”の美学 あえて盛り上がりにブレーキをかける“低音ボイス”

  • 2025.11.24

「25年前の冬、誰かの背中を見つめながら、飲みすぎた夜はなかった?」

グラスの氷が溶ける音、かすかに揺れるキャンドル。深夜のバーには、恋が始まるには遅すぎて、終わるには早すぎる人たちが集まっていた。その空気をまるごと封じ込めたような曲が、2000年の冬にリリースされた。

平井堅『even if』(作詞・作曲:平井堅)――2000年12月6日発売

灯りの消えたバーで生まれた歌

この曲は、平井堅が自身のライフワークとして続けているアコースティックライブ「Ken’s Bar」のテーマソングでもある。もともとは『バーボンとカシスソーダ』というタイトルで披露されていた。ファンの間で人気が高かった楽曲が、時を経て、アレンジを新たに“even if”として正式リリースされたのだ。

松原憲による編曲は、静かなエレクトリックピアノの旋律に、ワインの香りのようなストリングスが重なる。夜の湿度を感じるほどの密度なのに、音数は最小限。この余白の中で、心揺らめく2人の息づかいが聴こえるようだ。

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2002年、平井堅コンサートより(C)SANKEI

“悲しみ”ではなく、“理性の痛み”

“even if”がただの悲恋バラードではないのは、その視点にある。主人公は、恋人のいる女性に惹かれている。それをわかっていながら、どうしても心が離せない。

「君の心に僕の雫は落ちないけど」――この一節にも描かれるように、彼が抱えているのは、失恋ではなく“理性の痛み”なのだ。

サビで平井堅は声を張り上げる。けれどそれは叫びではなく、抑えきれない衝動の放出。“even if”というタイトルが指し示す先には「すべての言葉をまた飲み干して」。その一瞬の心の揺れを、彼は全身で歌い上げている。

張り上げの瞬間に宿る“踏みとどまり”

松原憲のアレンジは、サビでメロディが上昇しながらも決して解放しきらない。ストリングスが膨らみかけて、また引いていく。熱が頂点に達する直前で、必ず理性が戻ってくる。この緊張感が、“even if”の核心だ。

平井堅のボーカルは、ため息のような低音から一気に張り上げ、切なさを爆発させる。だがその声はどこかにブレーキをかけている。まるで「この一線を越えたら、もう戻れない」と自分に言い聞かせているように。“even if”とは、愛の熱と理性の境界線を音にした曲なのだ。

“Ken’s Bar”が象徴する大人の距離感

平井堅が長年続けてきた「Ken’s Bar」は、まさにこの曲の世界そのもの。派手な照明も演出もない。静かな空間で、彼の歌声が観客を酔わせる。

“even if”はその哲学を表すようだ。愛を語りすぎず、音で語る。その姿勢は、この後の平井堅のキャリア全体に通底していく。

大人になっても、誰もが抱く“もしも”

“even if”を聴くと、誰もが一度は経験した「理性と本能の間」の記憶を思い出す。恋をしてはいけない人を想ってしまう。けれど、完全にあきらめることもできない。

その夜、少しだけ近づく――そして何か起きるかもしれないようで、きっと何も起きないのだろう。でも、それでいい。それが、この曲の“優しさ”だ。

悲しみではなく、叶わない恋をそっと見つめる強さ。それをこんなに美しく描ける日本語のポップスは、そう多くない。

25年経った今も、“even if”を聴くと胸の奥が静かに熱を帯びる。恋の衝動を飲み干し、ため息のように「それでも」とつぶやく――あの冬の夜のように、誰もが一度は心の中で酔っていた。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。