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妻の逆襲「不倫の後始末を私が!?」80歳の元ミス日本代表・谷 玉惠さんが描く【私小説・透明な軛#5】

  • 2025.10.24

妻の逆襲「不倫の後始末を私が!?」80歳の元ミス日本代表・谷 玉惠さんが描く【私小説・透明な軛#5】

今年の夏、80歳を迎えた元ミス・インターナショナル日本代表、谷 玉恵さん。年齢を感じさせない凛とした佇まいは、今も人を惹きつけます。そんな谷さんが紡ぐオリジナル私小説『透明な軛(くびき)』を、全6回でお届けします。第5回は「夕食の修羅場—妻の逆襲」。 ※軛(くびき)=自由を奪われて何かに縛られている状態

#5 夕食の修羅場—妻の逆襲

裏切りのディズニーランド

玄関のドアは開いていた。知香は黙って中に入り、リビングの扉を開けた。
「おかえり」

キッチンからエプロン姿の夫が顔を出した。
「ついにシッポを出したわね」
そう言いながら、リビングに入った。

テーブルの上はきれいに片付いている。まるで何事もなかったのように、いつもの表情で夫は食事を作っていた。
「彼女に会ってきたわよ」
「どうりで遅いと思った。お腹がすいただろう。もうすぐできるから」

知香は長年主婦を続けてきたが、ここ2、3年は分担して夫もキッチンに立つようになっていた。いつもと変わらぬ夕食の一コマ、のように見える。

知香は不思議なくらい落ち着いていた。
「よくも欺いてくれたわよね。当然、離婚ね」
先に言うことで、裏切られた妻の惨めさを払拭しようとした。

「彼女とは別れるよ」
意外な言葉が返ってきた。

「お義母さんに言われたから?」
「そうじゃないよ。本当に彼女とはもう別れるつもりだったんだ」

「は? 彼女とは別れるつもりだった?」
夫の言葉が理解できなかった。離婚する気で女と対決したのに、今さら何を言うのか。弄ばれているようで、急に怒りが込み上げてきた。冷静に大人として対応してきたつもりだったが突然、心の糸がプツンと切れた。

「身勝手な!」
裏切られた悔しさが腹の底からじわじわと滲み出てきて、知香はキッチンに駆け寄ると、平手で夫の両頬を叩いた。燃え上がった怒りは、もはや何かしないではいられなくなっていた。

恨み言も言わず、さっぱりと別れるつもりで帰ってきたはずなのに——「女と別れる気なら、こっちにも言い分はある!」。怒りは、可愛さ百倍ならぬ、憎しみ百倍となって燃え上がった。

「今日はどこへ行っていたの?」
「……」
「なんで言わないの? 海へ行くって言うからヨットかと思ってハウスに電話したのよ。どこへ行っていたの! 言いなさい!」
「……ディズニーランド」

知香の手が夫の左頬を打った。ほんの1週間前、手を取り合って走り回ったディズニーランド。今度は不倫相手と楽しんできたというのか。しかも初めて行く場所を、妻をだしにして下調べをしていたなんて。あの優しかった夫はなんだったのか! 悔しさで右頬も叩こうとした。夫がよけたため、手が空を舞った。

「私をだしにしたってこと! 人をバカにして!」
血が頭に上り、知香は大声で罵った。肩や背中を力まかせに叩き、腰を蹴飛ばした。履いていたスリッパも投げつけた。怒りは堰を切ったように込み上げてきて、もう止まらなくなっていた。

冷えた炒飯を前にして

豹変した妻から逃げるように、夫は台所からリビングへ。場違いのフリルのついた可愛いエプロンを脱ぎ捨てながら、次の攻撃に備えた。しかし、手を出してこない。謝罪の言葉もなかった。

「まだ一回も謝ってないじゃない。反省してないの? 悪かったと思ってないの? 正座して謝りなさい!」

夫は居間のフローリングに正座した。そうしなければ何が飛んでくるかわからない。男としてのプライドをずたずたにされたまま、じっと耐えているように見えた。

「ごめんなさい」
ペコンと頭を下げた。そして間髪を入れず言った。
「とりあえずごはんにしよう」

立ち上がりながら言うと、キッチンから冷えた炒飯を持ってきて、テーブルの上に置いた。時計はすでに10時をまわっている。空腹なはずなのに、食べようと口に入れてみたが、のどを通過しない。胃が受けつけない。しかし夫は黙々と食べている。そんな夫がさらに憎らしかった。

「いつから?」
女から聞いたことを確認するように詰問した。
「……2月からだ」

バッグから手帳を取り出しページをくりながら確かめた。メモ程度に夫の外出日と帰宅時間を書いておいたのだ。そこまでしながら気づかなかった。夫を信じ切っていた自分に腹が立った。何も語らない秀雄は、知香の命令で重い口を開いた。

「死んだ恋人に、年齢や雰囲気が似ていたらしい……」

女は前年の8月に恋人を病気で亡くして、その年の10月に夫のいる病院に就職したのだ。そのことは以前、夫から新人の話として聞かされていたことだった。

「いくつなの?」
「27」
「やっぱり! 42歳のあなたが20代の女だものね。さぞ楽しかったでしょう。夢心地だったでしょうね。でもね、あなたからも、女からも慰謝料をとるから、そのつもりでね。あなたは定期預金400万と、積み立て100万、通帳と印鑑をすぐ出して!』

「彼女からはいくら取る気?」
「100万か200万」
「僕があげるのだから、彼女からは取らないで! 田舎に送金しているみたいだから」
「なに言ってるの! 頭おかしいんじゃない?」
「僕は離婚しないよ。彼女とは別れる。本当だ。明日、彼女に言うよ」

夫の顔に悲壮な決意が浮かんでいる。妻にバレなければ、このままつきあっていたかっただろう。主任といっても個人病院のリハビリ科。40男がつかんだ、恋愛ごっこのチャンスを失うのは気の毒な気がしないでもない。

不倫の後始末を私が

翌日、夫は仕事に出かけ、夜9時過ぎに帰ってきた。女と話をすると行って出かけたものの、ホテルへ行ったのではないか、勘ぐり出したらキリがなくなり、知香の苛立ちは限界にきていた。

「遅かったじゃない!」
「話してきたよ」
「ふん、泣いたんでしょ!」
「うん、彼女は『きっと私のところに来てくれると思っていた』って」
「それで、『別れるなら死ぬ』とか言ったんじゃない?」
「そう……」
「まったく、そんなのお見通しよ。それは女の常套手段なの! 私の友だちを見てわかっているでしょう。不倫した男からの別れ話が出たとき『自殺する』って散々騒いで。その彼女は今、元気じゃない。あなたがはっきりしないといけないの! どうするつもり?」
「また話すよ」
「ああ、じれったい、どうせまた泣かれて終わりよ。こういうことは早くけりをつけないと駄目なの! 一体どうしたいの?」
「別れる」
「わかった。あなたに任せても埒があかないから、私が電話する。いいわね」

夫はどうしていいかわからない顔をしている。
「自分で始末もできないのなら、浮気なんてしないでよ!」

電話機の番号をプッシュした。女の番号は、夫の手帳から書き写しておいた。

「佐山ですが、夫から聞いたでしょうが、私たちは離婚しないことになりました。だから、もう夫には近づかないで。そのかわり慰謝料は請求しません」
「ご主人も同じ意見ですか?」
「もちろんよ」
「はい、わかりました」

彼女のはっきりした声が聞こえた。あまりにも事務的な声の調子。簡単に話がついてしまい、競っていた知香は少し拍子抜けした。

「彼女にはなんて言ったの?」
「慰謝料を取られたし……もうお金がないし二人で生活できないって」
「なにそれ! なんで『離婚しない』って、言わなかったの? ただ『別れる』だけじゃ女だって納得しないわよ。27歳なら結婚したい年齢でしょ。カッコつけるからこんなことになるのよ。——ところで彼女は妊娠してないのね」
「してない」

どうしても聞いておかなければと思っていたことだ。不安がひとつ晴れた。

「ところで仕事場はどうだった?」
聞かないと答えない夫は、連日の質問攻めで、自分から話すことなど考えられなくなっているようだ。
「君の電話で、皆なんとなくわかったみたいだよ。先生も奥さんも妙に白けていて、それに、受付の人が彼女に電話のことを言ったようだ」
「じゃ、いづらくなるかな」
「そうだろうね」

40過ぎの夫の再就職はつらい。離婚しない以上、なるべく穏便にことを運びたい。後先かまわず電話をしたが、夫の仕事を失わせたくはなかった。今の職場は条件がいい。
「何事もなかったように、知らん顔していればいいの。先生から言われるまで、絶対自分からはそぶりにも出さないことね」
知香は、女の後始末に加え、職場のことまで尻拭いしている自分がおかしかった。

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