「暇人の道楽は楽しそうだな」30年過ごした夫の心無い一言。我慢できずに突きつけた1枚の紙【短編小説】

子供たちが巣立ち、夫の隆が三十年勤め上げた会社を定年退職した日。
私は夕食の後、テーブルの上に一枚の紙を置きました。
離婚届です。

「お疲れ様でした。そして、これが私からの最後の贈り物です」

隆は老眼鏡をかけ、それが何かを認識すると、信じられないという顔で私を見ました。

「おい、良子…。なんだよ、これ。冗談だろ？」

「本気です。サインして、明日一緒に出しに行きましょう」

私の静かな声に、隆は心底驚いたように言いました。

「今さらなんで？俺たち、今まで特に問題もなくやってきたじゃないか。俺、何かしたか？」

その言葉を聞いた瞬間、私の心の中で何かがぷつりと切れました。
問題がなかった？この三十年間、私がどれだけ多くのことを諦め、我慢してきたと思っているのでしょうか。

子供が高熱を出して泣き叫ぶ夜、隆は「仕事で疲れてるんだ」と隣の部屋で寝ていました。
私が体調を崩して寝込んでも、「飯は？」と平気で聞いてきました。

私がようやく見つけた趣味の絵画教室を「暇人の道楽は楽しそうだな」と笑い、家事も育児もすべて「お前の仕事」だと言い切った日々。

「あなたが覚えていないだけです」と、私は堰を切ったように話し始めました。
しかし、私の言葉は、隆にとってはただの「昔話」でしかないようでした。

「そんなことあったか？」「大げさだよ」「言ってくれなきゃ分からないじゃないか」と、悪びれる様子もなく繰り返すばかり。

違う。
私が欲しかったのは、そんな言葉じゃない。
ただ、「あの時はすまなかった」「今までありがとう」その一言があれば、それでよかったのです。

もう、何を言っても無駄なのだと悟りました。
私の声は、この人には決して届かない。目の前にいる夫は、三十年間連れ添ったパートナーではなく、言葉の通じない全く別の生き物に見えました。

私はそれ以上何も言えず、ただ冷めていくお茶を黙って見つめていました。
私の人生は、一体何だったのでしょうか。

本記事はフィクションです。物語の登場人物、団体、名称、および事件はすべて架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。

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