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「尽きることのない、人の欲」きよを失った歌麿が描く、痛みの先にある“生”のエネルギー

  • 2025.10.23

*TOP画像/滝沢瑣吉(津田健次郎) 勝川春朗(くっきー) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」40話(10月19日放送)より(C)NHK

吉原で生まれ育ち、江戸のメディア王に成り上がった蔦重の人生を描いた、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK総合)の第40話が10月19日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。

「身上半減店」も飽きられ、苦戦する中で非凡な筆致を持つ作家の登場

「人は「正しく生きたい」とは思わぬのでございます。「楽しく生きたい」のでございます!」

本多忠籌(矢島健一)が老中首座・定信(井上祐貴)に40話の幕開けで告げた上記の言葉は心に響きました。人間は社会のルールに従って生きねばならないが、ある程度の自由と楽しみを求めるものです。特に、娯楽やユーモア、洒落の楽しさを知っている江戸っ子にとって、それらがない人生は耐えがたいものでしょう。しかし、信念を貫く定信は身近な者の助言にも動じず、自身の方針を断固として変える気はないようです。

定信(井上祐貴) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」40話(10月19日放送)より(C)NHK

一方、江戸の町では、定信から「身上半減」の罰を言い渡された蔦重(横浜流星)がこの罰の厳しさを痛感していました。当初、身上半減をネタにした商売を試みていましたが、大衆はすぐに飽きてしまうものです。蔦重には気の毒ですが、半分に切られた看板や暖簾などは一度か二度見れば十分と感じるのが人間の常でしょう。

そうした中で、山東京伝/北尾政演(古川雄大)の紹介で、蔦重は後に曲亭馬琴となる滝沢瑣吉(津田健次郎)、後に葛飾北斎となる勝川春朗(くっきー)と出会います。上から目線で偉そうな瑣吉、瑣吉の質問に“おまえはクソ以下だ”と屁で返事をし、紙を口に突っ込む変人の春朗。

滝沢瑣吉(津田健次郎) 勝川春朗(くっきー) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」40話(10月19日放送)より(C)NHK

瑣吉と春朗は、春朗の無礼な態度がきっかけで、初対面から取っ組み合いの喧嘩に発展しました。「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉の通り、二人は江戸っ子の気質を体現していました。相手の不平不満を陰でコソコソ言い合うよりも、多くの人たちの前でぶつかり合う方が見ていて気持ちがよいもの。また、二人は蔦重から競い合う気性を巧みに利用され、タックを組んだ作品の出版にこぎつけられました。

歌麿の苦悩と再出発、人を動かすのは“欲”

蔦重は瑣吉と春朗という才能ある若手絵師を紹介されたものの、彼らは駆け出しにすぎません。耕書堂を立て直すにはもっと大きな仕掛けが必要です。そこで、蔦重が目をつけたのが「女の大首絵」でした。この頃、女性の顔はどれも似たり寄ったりで、表情に乏しく、大きく描いても面白みに欠けていました。しかし、歌麿(染谷将太)なら、それぞれの女性に表情を与え、個性を描き分けられるとひらめきました。また、かつて、歌麿が「唐丸」と名乗っていた頃に交わした「当代一の絵師にする」という約束も蔦重の心にありました。その夢を叶えるためにも、歌麿に女の大首絵を描かせることを決意したのです。

歌麿が描いた絵 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」40話(10月19日放送)より(C)NHK

一方、歌麿は栃木の贔屓のもとで、ふすまに肉筆画を描き、その出来栄えがおおいに気に入られ、盛大なもてなしを受けていました。寂しげな雰囲気を漂わせながらも、事情を知らぬ者には違和感なく見えるほど落ち着きを取り戻していました。

歌麿(染谷将太)が描いた絵 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」40話(10月19日放送)より(C)NHK
歌麿(染谷将太) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」40話(10月19日放送)より(C)NHK

多くの人たちが歌麿を賞賛する中、彼を息子のように可愛がるつよ(高岡早紀)だけは違います。つよが歌麿に注ぐ眼差しは心配そうで、彼の今の状態が正常でないことを察しているようでした。

つよ(高岡早紀) 歌麿(染谷将太) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」40話(10月19日放送)より(C)NHK

つよは「ねえ 前みたいな絵は描かないのかい? おきよちゃん 描いてたみたいな」「何だか 生き生きしてて 見てて飽きないしさ」と優しく語りかけます。歌麿は生き生きとした写実的な絵を描くときよ(藤間爽子)を思い出すゆえに、描けないでいました。つよはそんな歌麿の心に静かに寄り添い、彼の胸の内を何よりも大切にしながらあたたかく接していました。実の息子・蔦重からは“ババア”と呼ばれるつよですが、その姿はまるで母のような優しさにあふれていました。

歌麿とつよが屋敷の庭で話していると、蔦重が錦絵の制作を依頼しに歌麿のもとを訪れました。歌麿はきよと自分を強引に離し、「鬼の子」と言い放ったことに対し、蔦重に複雑な心境を抱いています。かつて、きよが生きていた頃、当代一の絵師になるという夢があったものの、きよの死後、その夢も失せてしまいました。“ずっと 自分だけを見ていてほしい”と願うきよに対し、他の女性の絵を描くことに後ろめたさも感じていました。

けれども、蔦重の誘いを一度は断ったものの、「欲なんて とうに消えたと思ってたんだけどなぁ…」とつぶやきながら、江戸で女性の絵を描く歌麿の姿が……。三つ目の使命を果たすため、そして生命を描写したいという強い欲求から、生きものを再び写し取ることに決めたのです。

歌麿(染谷将太) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」40話(10月19日放送)より(C)NHK

一方、劇作家を辞めたはずの京伝は

一方、京伝は手鎖50日に懲り、「真人間」になると誓い、戯作を辞め、煙草屋で生計を立てることを決めていました。しかし、 “戯作家・山東京伝最後の日”と銘打った宴で、参加者から「色男!」「日本一!」「京伝先生!」と大きな喝采を浴び、もてはやされたことで、戯作家を辞めるという思いはどこかへ……。

京伝(古川雄大) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」40話(10月19日放送)より(C)NHK

本放送のタイトル「尽きせぬは欲の泉」が示すように、人間の欲は尽きることがありません。欲は否定的に捉えられがちですが、欲があるからこそ人間は行動を起こせる場合が多くあります。欲がなければ働く意欲もわかず、努力しようという気持ちにもなれないでしょう。“おいしいものを食べたい” “ステキな服を着たい” “お金を稼いで、好きな人にかっこつけたい”といった欲求が、自分を動かす原動力となります。そして、多くの人が欲を抱くからこそ、新しいものやステキなものが生み出されていきます。

江戸時代には芝居、美しい錦絵、豪華な本、美しい着物などさまざまなものが生み出されましたが、それは江戸っ子たちが欲を持っていたからでもあります。

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