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筋肉は裏切らない「でも私は裏切られた」80歳の元ミス日本代表・谷 玉惠さんが描く【私小説・透明な軛#4】

  • 2025.10.17

筋肉は裏切らない「でも私は裏切られた」80歳の元ミス日本代表・谷 玉惠さんが描く【私小説・透明な軛#4】

今年の夏、80歳を迎えた元ミス・インターナショナル日本代表、谷 玉恵さん。年齢を感じさせない凛とした佇まいは、今も人を惹きつけます。そんな谷さんが紡ぐオリジナル私小説『透明な軛(くびき)』を、全6回でお届けします。第4回は「知られざる真実と対決の時」。 ※軛(くびき)=自由を奪われて何かに縛られている状態

#4 知られざる真実と対決の時

まるで私立探偵のように

話を最初の「疑惑の朝」(第1回【私小説・透明な軛#1】)に戻そう。
その朝、秀雄は早朝に出かけ、知香は夫の持ち物の写真を手がかりに、浮気相手のあたりをつけた。

長い1日がやっと終わった。夫からの電話はなかった。夜7時、もう帰宅しているはずだ。

2回目の呼び出し音で、夫が出た。
「なぜ電話をくれなかったの。証拠は押さえたわよ。わかってるでしょう、どうなるか」
「なんでもないよ、本当に」
「そう、なんでもないのね? じゃあ、どこに行っていたの?」

知香は爆発寸前だった。職場でスタッフがいなければ怒鳴り散らしていたに違いない。
「海だよ、帰ってから話す」
ガチャと、受話器を手荒く置いた。案の定、夫は白状しない。そのことを想定して、家を出る前に女の住所を書き写しておいた。女の家を探し当て、その近くから電話をかければ、さすがに観念するだろう。と同時に、直接、女にも会ってみたかった。

女は中野区に住んでいた。中央線の中野駅下車。知香にはサンプラザぐらいしかなじみのない土地だ。

タクシーで家の近くまで行った。大通りを一本奥に入ると住宅街で、昔から住んでいる人が多いのか古い家が並ぶ。時々、ポツンと新しいアパートが目についた。周りには商店街らしいものはなく、閑静なところだ。住所表示を頼りに行きつ戻りつしながら、やっと目的の住所にたどりついた。白い壁の新しい木造モルタルのアパートだった。6世帯用の郵便ポストのひとつに「中田」とある。2階の角部屋に灯りがともっている。

まるで私立探偵のようだ、と知香は思った。こそこそ動き回るからドロボー猫のようにも思えた。夫が通って来た道。車はどこへ止めていたのだろう。パーキングはあるのだろうか。たいして広くない道路だから、アウディー100の大きな車体では長くは置けなかったに違いない。

しらを切ってほしかった

アパートの二軒先に、たばこ屋兼雑貨屋があり、公衆電話があった。店の端にあるので幸い、声を聞かれる心配もない。受話器をにぎりしめ、夫に電話をかけた。
「今、中田美喜の家のそば。白状しなければ彼女に会いに行く」
切り口上で、威圧する。
「え? どこにいるんだ?」
狼狽しているのがわかる。
「彼女のアパートの隣のたばこ屋の公衆電話。白いアパートで2階の角の部屋に灯りがついている。さあ、言いなさい!」
有無を言わさない。
「彼女のとこには行かないでよ! なんでもないんだから……」
必死で懇願している。
「まだ嘘をつくの! それならヨットの短パンは何よ。言わないのなら女のところに行く」

今にも電話を切りそうな気配に、秀雄は動揺を隠せなかった。
「待ってよ。言うから」
あっけなく観念した。血の気がすっと引いた。知香は腹を据えた。
「いつから?」
「……春ごろから」
弱々しい声で、やっと答えている。
「やっぱり……」

頭の中が真っ白になった。どんなに強く迫ってもしらを切ってほしかった——それが本音だった。最後の望みはあっけなく崩れ落ちた。

彼の母親に電話しようと思いついた。なにかしないではいられなかった。
「お母さんに言ってやる」
「え? やめてよ。それはやめてよ!」

悲痛な声を残して、電話を切った。ブルブル震える手で、夫の実家に電話を入れた。現在は愛知県に住む両親。秀雄は二人兄弟の次男で、この優しい母が大好きだった。
「離婚します!」
一気に顛末を話し終わった。義母はたいそう驚き、懸命になだめた。
「まったく、あの子は何を考えているのか……すぐに電話をかけてその女性と別れるように言いますから、知香さん、どうか短気を起こさないで勘弁してくださいね。今、あの子は家にいるの?」
「はい。ぜひ電話してください」

母親の言葉は夫にとって何よりの薬だと思った。とりあえず怒ってもらいたかった。続けて、自分の姉にも電話をした。姉とは11歳年の差があるが、いつも知香のよき理解者だった。

一人で耐えることなど到底できない。この悪夢をみんなで共有してもらいたかった。

テレビで観る、夫の浮気相手と対決するシーン。そんな役が知香自身に回ってくるとは思いもしなかったが、現実に訪れたチャンスを逃す気はない。相手と会って、この事実をしっかり見つめておきたかった。

以前、もし夫が浮気をしたらどうするかを漠然と考えたことがあった。怒って離婚するか、あるいは太っ腹になって許してしまうかと。しかし浮気が現実となった今——。まんまと自分を騙し続けた夫の役者ぶりは敵ながら天晴れだった。「知香命」と従順だった夫の裏切りに、乾杯したいほどの悔しさがあった。

去るものは追わず、「女にくれてやる!」と腹を決めた。しかし、ただでは許さない。二人から慰謝料を取ってやろうと思いついた。そう思うと女に会う大義名分が立つ。

女との対峙

「さあ、一丁行くか!」
知香は自分に喝を入れて、外階段を上がった。上がりきった角が女の部屋だ。思い切って呼び鈴を押した。返事がない。さては夫から電話があって怖気づいたか。もう一度押した。そしてもう一度。やっと返事があった。
「どなたですか?」
「佐山ですが」
「……あ、すみません。今、シャワーを浴びているので、少し待ってください」

夫の妻だとわかったはずなのに、驚きもせず淡々とした口調だ。
「じゃ、ここで待っています」
そう答えたものの、外はまだ蒸し暑い。額にじっとり汗が出てきた。

人通りがまったくない。隣の部屋からテレビの音が聞こえる。懐メロの歌番組なのか、ピンクレディの「ウォンテッド」だ。もしかしたらずっと待たせるつもりかと疑い始めたころ、ドアが開いた。

長い髪を後ろで束ねた面長な女が顔を出した。白のTシャツに、ベージュの短パン。化粧気のない、見るからに地味な顔立ちの平凡な女。中肉中背だが、胸元はかなりのボリューム感がある。——これに夫は惹かれたのだろうか。知香は自分の貧しい胸を思い浮かべた。

「お待たせしました。どうぞ」
玄関というより靴脱ぎ場程度の入り口に立つと、すぐ脇の台所が丸見えのワンルームだった。物入れもなく、端に布団が無造作に折り畳まれている。6畳もなさそうだ。物珍しさが先にたった。

「汚くてすみません」
女が恐縮したように言う。——夫は今日この布団で一時を過ごしていたのだろうか。ゴールデンウィークには自分を追い出した後、ここで寝泊まりしていたのだろうか。次々に妄想が広がっていく。

「どうぞ」
女は四角いちゃぶ台の前に薄い座布団を勧めた。
「なにか冷たいものでもいかがですか?」
「いらないわ」

知香が座布団に座ると、正面に女が正座した。
「主人から聞きました。今日、偶然ヨットの写真を見つけたの。全く知らなかった」
逃げを打たれる前に、先手を打って知香は口を開いた。

「私が悪いんです。私から誘いました」
女が夫をかばうかのように言った。意外にも女は潔く認めた。夫からの誘いではなかったことに、知香は救われた気持ちになった。事前に夫から連絡が入ったのかと疑うほど、女は落ち着いて見えた。

許せないのは女ではなく……

「おとなしい人だから、自分からではないと思っていたけど、やっぱり。でも、その場の雰囲気というのもあるでしょうけれど」
急にのどが乾いた。
「やっぱり何か飲み物をくださる?」
「麦茶でいいですか?」
「ええ」

緊張しているのを悟られないようにコップを口に運んだが、手が小刻みに震え、おまけにごくっとのどがなった。女は神妙にしている。
「主人とは、何か約束でもしているのかしら?」
「いいえ」
「結婚の約束は?」と聞いてみたかったが、思いとどまった。

「別れるつもりだから、あなたにあげる。優しい人だからいいんじゃない?」
寝取られた悔しさを見せることなく、最後までかっこよく振舞うつもりだった。女は体を硬くして聞いている。

「主人は私のことを何か言ってなかった?」
「いえ、何も」
「私が気が強いとか何とか……」
「いいえ」

変な質問をしていることが、自分でもおかしかった。夫がなぜ浮気をしたのかどうしても知りたかったが、聞き出すこともできない。腹立だしさを抑え、「もうどうでもいい」と思うことにした。

「春頃からですって?」
「2月ごろからです」
夫は「春頃」とお茶を濁したが、実際は2月だった。てっきりゴールデンウィークからだと信じていた自分が滑稽だった。

「それで、慰謝料を払ってもらいます。主人からもとりますが、200万くらいと思ってください」
女の顔つきが変わったように見えたが、反論する気はなさそうだった。
「弁護士からも連絡させますから」

言いたいことを言い、知香は立ち上がった。慰謝料を口にしたのは脅しでもあり、そうでもしなければ気持ちが収まらなかった。一番大切だった宝物を奪った代償としては、当然の報いであることを思い知らせたかった。

女に送られて部屋を後にした。不思議なことに、心はさっぱりしていた。彼女が素直だったせいだろう。まだ若い。もうすぐ50に手が届く自分よりは、夫にとってさぞ楽しい相手だったろう。女に対して悔しいというより、許せないのは夫自身だった。

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