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【インタビュー】和田昌士のサッカー人生第2章、引退もよぎった天才が「生まれ変わったつもりで」始めるアメリカUSLリーグ1挑戦

  • 2025.10.17
【インタビュー】和田昌士のサッカー人生第2章、引退もよぎった天才が「生まれ変わったつもりで」始めるアメリカUSLリーグ1挑戦
【インタビュー】和田昌士のサッカー人生第2章、引退もよぎった天才が「生まれ変わったつもりで」始めるアメリカUSLリーグ1挑戦

Text by ライター

生まれ変わったつもりで――。

かつてJ1横浜F・マリノスの下部組織で天才と称されながらも、トップチームではリーグ戦1試合の出場に留まった男が、新たなサッカー人生を歩み始めていた。

その男の名は、和田昌士だ。

昨季限りで当時J2ザスパ群馬を退団した和田が今年向かった先は、アメリカのUSLリーグ1(3部相当)を戦うポートランド・ハーツ・オブ・パイン。

多くの日本人にとって馴染みのないリーグを新天地に選んだ28歳は、「ここが第2章」と新たな挑戦の真っただ中にいる。

(取材・文・構成 浅野凜太郎)

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ゼロから始めるアメリカ挑戦

10年間のJリーガー生活で得た名声や経験、それらをすべてゼロにしてでも新しい環境に身を置きたかった。

「正直、日本だとそれなりに長くやっていたから、自分のことを知っているスタッフや関係者が増えて、いい意味でも悪い意味でも、ゼロからスタートできないと思いました。でも、アメリカに来たら何もない状態でゼロから始められる」

初の海外挑戦の舞台はアメリカ東北部メイン州ポートランド。レンガの街並みが美しい港町であり、人口は約7万人の小都市だ。和田自身も「この街のことは来るまで知らなかったです」と話すように、決してよく知られた土地ではない。

この街に2023年より創立され、今季よりリーグ戦を戦うクラブこそ、和田が今季より在籍するポートランド・ハーツ・オブ・パインだ。

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アメリカのリーグは、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(インテル・マイアミ)や元日本代表DF吉田麻也(ロサンゼルス・ギャラクシー)らがプレーするMLSとは別に、独立リーグとしてUSLチャンピオンシップ、USLリーグ1、USLリーグ2と分かれており、ハーツは今季より3部相当と言われるUSLリーグ1を戦っている。

「日本からの取材があると思っていなかったので、びっくりしています。MLSは人気になっていますが、このリーグはメジャーではないので」と、USLリーグ1は日本語での実況放送・配信もない。またハーツにとっては、和田が初の日本人選手だ。

まさしく、ゼロからのスタートにはもってこいの新天地である。

「俺は生まれ変わったつもりで、プロ1年目のときだと思ってやろうとしています。言葉や生活もすべて変わるから、ここが第2章のいいスタートだと捉えて、とてもワクワクしているんですよね」と白い歯がこぼれたが、28歳の決断の裏にはいくつもの挫折があった。

天才としての驕りがあった横浜FM時代

神奈川県横浜市で生まれた和田は小学生年代から頭角を現し、横浜FMプライマリーを経て、順調に地元の雄である横浜FMジュニアユース、ユースへと歩みを進めた。

持ち前のテクニックとサッカーセンスで輝きを放っていた和田は「プロになるまでは全部うまくいってた」と幼少期から“天才”と称され、高校2年次にはプレミアリーグの名門であるマンチェスター・シティに短期留学を果たし、同クラブのレジェンドである元スペイン代表MFダビド・シルバ2世と評された。

さらに2015年には高校生年代のクラブチーム日本一を決める日本クラブユース選手権(U-18)大会で優勝。“マーシー”の愛称で親しまれた天才は周囲の期待に応えるように、トップチーム昇格をつかみ取り、順調にプロへの階段を駆け上がった。

「中学から世代別日本代表に入って、高校ではユースにも上がれた。大きな挫折をすることなく、そのままトントン拍子でプロになれました。プライドも高かったと思うし、性格的にもわがままで、自分の好きなことや楽しいことじゃないと頑張れないタイプ」と、いまでは若き日の自分を客観視できるが、当時は違った。

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「俺は和田昌士だぞ」

そんな驕(おご)りがどこかにあった。

横浜FMでは出場機会に恵まれず、プロ2年目はJ2レノファ山口FCへの武者修行を決断した。一方で、小学生時代からの同級生であり、横浜FMの下部組織でともにトップチーム昇格を果たしたMF遠藤渓太(けいた、現FC東京)は、クラブを離れた和田とは対照的にJ1の舞台で活躍。念願だったトリコロールでの日々は、想像と真逆のものだった。

ライバルとの比較や思い描いていたキャリアとのギャップに苦しめられた和田は、自身の現状を簡単には受け入れられなかった。

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「渓太がずっと試合に出ているのに、俺は出られない状態でめちゃくちゃ焦っていましたね。『やばい。俺は出られないのに』って。小学校からずっと一緒にやってきたからどうしても比べられていたし、それは当然のことだとも思っていました。

ただ、自分も期待値が高かった分、マリノスで試合に出られずにJ2やJ3にレンタルしていたのはショックだった。やっぱり理想の自分はマリノスで試合に出て、2、3年後には日本代表としてワールドカップに出るイメージをしていた。でも全然うまくいかなくて、メンタル的にはとても落ちていた」

期限付き移籍先となった山口ではリーグ戦17試合1得点、翌年にはマリノスへ帰還するも出番は限られ、2019年には当時J3ブラウブリッツ秋田へのレンタルを経験した。

親友でありライバルの遠藤が順調にキャリアを重ねていく中、和田はマリノス出身者としてのプライドが捨てきれず。思うような結果を残せないもどかしさは、負の連鎖を招いた。

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横浜に戻れないストレスは外部にぶつけられた。

「いままでうまくいっていた分、自分の現状を受け入れられなかった。『俺だってもっとできるのに』とか、『もっと周りがこうだったら』『運が悪いんだ』と外的要因に逃げている部分がありましたね。サッカーで消化できない部分を、プライベートで消化している自分もいた。本当はサッカーを第一に生活しなきゃいけないのに、サッカー以外のことに目が行ったりしていた時期でした」

秋田ではリーグ戦30試合4得点を残したが、シーズン終了後にマリノスでの日々は終わりを告げた。

「いま思えば、マリノスからレンタルされている20代前半のときは、心の奥底にマリノスというブランドにプライドがありましたし、もっとサッカーに捧げられたと思う。当時は落ち込むばかりで、壁にぶち当たったときにどうするかという部分や、自分を客観視する能力が低くて、メンタル的にもろかった」と、小学生時代から16年間を過ごした横浜FMを退団した。

引退もよぎったJ3降格

「本当にサッカーを辞めるかもしれない」

横浜FMを退団した和田はSC相模原、いわてグルージャ盛岡とクラブを渡り歩き、2024年に群馬へ加入。節目となるプロ10年目の終わりを迎えようとしていたが、和田の情熱は消えかけていた。

「去年で群馬を契約満了になったんですけど、チームはほぼ勝てないままJ3に降格してとてもつらかった。 Jリーグのチームに残る選択肢もありましたが、俺としては『飽きた』とまで言わずとも、サッカーを楽しめなくなっていたんです。

もちろんこれは群馬が悪いとかじゃなくて、たぶん勝てていなかったらメンタル的にも落ちるし、そこからJ2やJ3のチームに行ってやる気が起きなかったというか…。正直、シーズンが終わったときにサッカーから離れようと思ったんです」

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2023年シーズンは盛岡でJ3を戦い35試合11得点の結果を残し、翌年はJ2群馬に個人昇格を果たしたが、クラブはリーグ最下位で失意の降格を味わった。

これにより、和田は相模原、盛岡、群馬でJ3降格に関与(2021年の相模原ではシーズン途中に盛岡へ期限付き移籍)。それまでにJ2昇格も2度経験していたが、何かが心の中でプツリと切れた。

「自分の中では盛岡で2桁得点を取って、『ここから上がっていくぞ』と思っていた。そしてJ2から何個かオファーがあった中で群馬を選びました。でも、そこでまたJ3に降格して『どうしてまたこうなっちゃうんだ』と思いましたね。自分がもっと活躍していれば上に行けたんでしょうけど、なんだかサッカーを楽しめていなかった」

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とにかく戦いの舞台から離れたかった。

昨季終了後はサッカーとは無縁の生活を送り、ボールを蹴らずに情報も遮断。「サッカーが本当にやりたいことなのかな」と、約1カ月間の自問自答を重ねた。

しかし答えは決まっていたのだろう。徐々に現役続行の意思が芽生え始めた。

「本当はサッカーを辞めるつもりはなかったんだと思います。サッカーから離れてみて、やっぱりまだまだできると思ったし、したい気持ちが湧いてきた。それにどんどん良くなってきている実感もあったんです。

ただ、自分の性格的にも無理やりサッカーをやらなきゃいけないと思っていたら、やる気が起きなかったと思うし、続けたいという気持ちもなくなっていたかもしれない。1回サッカーを辞めようかなと悩んだその1カ月の期間があったからこそ、またゼロからスタートしたいと思ったし、楽しみの方が大きかった」

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現役続行の決意をしたとき、天才は27歳とキャリアの成熟期を迎えていた。さらなる成長と挑戦の舞台を模索する和田の頭には、幼いころからの憧れだった海外移籍が浮かんでいた。

「子どものときから思っていたのは、やっぱり海外でプレーしてみたいということ。それをずっとできずにいたので、去年の12月くらいからから体づくりを頑張りました。年齢もどんどんベテランに差しかかってくる中で、海外挑戦をするにはこのタイミングしかないと思った」と移籍先を探し始めた。

1月下旬までチームの決まらないもどかしい日々が続いたが、そんなときに代理人がとある話を持ってきた。

ハーツからのオファーだ。

「海外で探していましたが、なかなかオファーがなかった。Jリーグのクラブからは正式なオファーはなかったですし、こんなにチームが決まらないのは初めてだったので、だいぶ不安な気持ちではいましたが、最初に来た正式なオファーがアメリカだったので、もうここに決めようと思いました」

和田はハーツで働く日本人GKコーチの野村祐太氏とすぐさま連絡を取った。野村氏からはアメリカサッカーの盛り上がりやハーツの熱気を伝えられ、心の赴くままに即決で加入を決めた。

新天地が和田のポテンシャルを引き出す

自由の国アメリカでは、屈強な選手たちと体をぶつけあい、慣れない環境に身を置く。 

「技術は日本の方が絶対に高い。でも、ベースの身体能力とかは流石アメリカです。下手だけど、めちゃくちゃ足が速いとか体の強いやつもゴロゴロいる。あとはやっぱりみんなエゴがすごい。ゴール前で絶対にパスを出すだろうという場面でもシュートするし、別に怒られても気にしていない」

まさに個人主義だ。言いたいことは口に出し、やりたいようにプレーする。日本と違う現地のスタイルには戸惑いを抱いたが、その文化によって和田は新境地を開拓していく。

【インタビュー】和田昌士のサッカー人生第2章、引退もよぎった天才が「生まれ変わったつもりで」始めるアメリカUSLリーグ1挑戦
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「みんな素直ですし、そのとき、そのときを一生懸命に生きている感じ。俺はそのスタイルがすごく好きだなと思った。上下関係とかもないし、カルチャーの部分はとても自分に合っている」

アメリカのサッカー界に根付く自由な風土が、和田の本来のポテンシャルを引き出した。

ハイプレスと速攻を武器に戦うハーツは、USLリーグ1参入初年度ながら、ここまでリーグ戦27試合で6位と躍進。

トップ下やボランチの位置で出場する機会の多い和田は、監督から「自由にやっていいぞ」と信頼を置かれており、ここまで公式戦28試合に出場中だ。さらに7得点1アシストの活躍で、既に週間ベストイレブンにも4度選出されており、チーム内トップタイのスコアラーとしてキャリア初のハットトリックを達成している。

【インタビュー】和田昌士のサッカー人生第2章、引退もよぎった天才が「生まれ変わったつもりで」始めるアメリカUSLリーグ1挑戦
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「最初は自分のプレースタイル的にチャンスメイクをして、最後に折り返してもらって決めるようなスタイルでやっていましたが、それだとボールが返ってこない。だから自分でもちょっとずつやり方を変えて、自分で行くところは行くし、美味しいところは決められるようにシフトしてきました。自分はあまり規律を決められるとうまくいかないタイプなので、自由に伸び伸びとやれている。正直、日本よりもこっちの方が合っている感覚があります。

もちろんアメリカだとフィジカルの強い選手が多くて、フィジカルの順応は必要でした。でも、逆に自分みたいなタイプが少ないので、中盤でターンしたり、間で受けるプレーで貴重な存在になれていると思います」

和田のサッカー人生第2章

アメリカでの挑戦はピッチ内だけではない。その一つが食文化だ。

トレーニングや試合後にはピザやハンバーガー、タコスといったジャンクフードがクラブから提供されるという。

「はじめはそのせいで太ってコンディションが…。チームのみんなからも『昌士、アメリカの飯を食って太っただろ』と言われたので、それを食べずに自炊をしています。物価も高いし、俺は太りやすいからコントロールが大変ですね」と苦労を明かしたが、その表情はどこか楽しそうだ。

【インタビュー】和田昌士のサッカー人生第2章、引退もよぎった天才が「生まれ変わったつもりで」始めるアメリカUSLリーグ1挑戦
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また、6月には新たな挑戦としてYouTubeチャンネルも開設。

「英語をしゃべられるようになりたいと前々から思っていたので、アメリカと聞いたときにチャンスだと思った。サッカーと英語の両方で成長できるチャンスだ」と、『マーシーのアメリカ日記 / Marcy’s Life in the USA』で現地の情報や英語について発信している。

移籍当初はネイティブの発音に苦戦したが、いまでは自分の意見や考えを伝えられるようになった。

ハーツは2027年に開幕する昇降格制度有りのUSLリーグに向けて順調に力を蓄えている。クラブの人気も高く、毎試合ホームには6000人から7000人ほどのファンが訪れ、熱狂する。

「ハーツはマーケティングがすごくて、シーズンチケットも夏くらいから売り切れです。来年のシーズンチケットも、既に売り切れているらしくてビビるくらいです。でも他のチームはそんなこともなくて、同じUSLリーグ1でも100人くらいしか来ないところもある。たぶんこのチームがダントツでサポーターが多いんです。

上のUSLチャンピオンシップのチームとも試合をしますが、このチームのポテンシャルはすごく高いと思っています。俺はこのチームのスタッフやサポーターが大好きだし、すごく気に入っているんです」

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アメリカでの刺激的な毎日に、和田の心は再び高鳴っている。

一時は引退も考え、サッカーへの情熱を失いかけた。それでも、和田はあのときの経験のおかげでいまがあると力強く口にした。

「1回落ちかけたけど、そこでなんとか踏ん張ってJ1やJ2、J3のどの試合でも頑張ってやってきた。理想のキャリア通りとはいかなかったけど、それも含めて自分だと思うし、俺はそのとき、そのときに思ったことをやってきたタイプ。それが『自分だよね』とも思うんです。

渓太だってドイツに行って、ケガとかで悔しい思いをして日本に帰ってきたと思うけど、いま活躍している。俺も22歳くらいからマリノスの選手じゃなくなって悔しかった分、自分を見つめ直してきた。それでも甘かったと思いますし、他の選手と比べて気が付くのが遅かったかもしれません。でも、それも一つの自分だし、いまできることをやっていくしかないと思って新しい挑戦をやっています」

【インタビュー】和田昌士のサッカー人生第2章、引退もよぎった天才が「生まれ変わったつもりで」始めるアメリカUSLリーグ1挑戦
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ハーツで充実の時を過ごす和田だが、もちろん満足はしていない。来年には29歳を迎える和田は、さらなる活躍と成長、そしてタイトル獲得を目指しながら、引き続きアメリカでプレーする青写真を描いている。

「アメリカ楽しいですよ」

和田のサッカー人生第2章が始まった。

自由の国から再び歩き出した男のこれからに目が離せない。

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