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驚きの800km!【黛まどかさん】が語る「歩く旅」。サンティアゴ巡礼や四国遍路から得た人生の気づきとは?

  • 2025.10.17

驚きの800km!【黛まどかさん】が語る「歩く旅」。サンティアゴ巡礼や四国遍路から得た人生の気づきとは?

スペインの巡礼路、四国遍路などなど、驚くような距離をすべて自分の足で歩き通してきた俳人の黛まどかさん。過酷な道を、黛さんはなぜ歩き続けるのでしょうか。

プロフィール
黛 まどかさん 俳人

まゆずみ・まどか●神奈川県生まれ。
1994年、「B面の夏」で第40回角川俳句賞奨励賞を受賞。
「歩いて詠む・歩いて書く」ことがライフワーク。
オペラの台本執筆、校歌の作詞など多方面で活躍。著書に句集『北落師門』など多数。

一歩一歩の大切さを体で感じる「歩く旅」

黛まどかさんの、この華奢な体のどこに、並外れた「歩く力」が隠れているのだろう。「子どもの頃から歩くのは好き」というが、黛さんが重ねてきた「歩く旅」は、過酷といって過言ではない旅ばかり。

スペイン・サンティアゴ巡礼、韓国・釜山‒ソウル間、二度の四国遍路。いずれも一日に歩く距離は十数キロから40キロ! 東京‒横浜間が直線で約30キロなので、相当な距離だ。

黛さんが歩き続けるのには、俳人としての思いがあるという。

「芭蕉の『奥の細道』を本当に理解するには、歩かなければいけない、とも思っていました。ただ、日本の道は開発で江戸時代とは違ってしまい、芭蕉が歩いたのと同じ道を歩くのは難しい。サンティアゴの道は、ほぼ千年前の状態で続いていると聞き、ぜひ歩いてみたいと強い憧れの気持ちがわきました」

サンティアゴへは、仕事をすべてやめ、帰ってきたら食べられなくなると覚悟して旅立った。

「『数回に分けて歩いては?』という人もいましたが、私は続けて歩くことを選びました。区切って歩くと足し算にしかならないけれど、続けて歩けばかけ算になる。疲れても弱っても歩かなくちゃいけない、そこを乗り越えたときにかけ算になるのではと思ったのです」

サンティアゴの巡礼道はフランスの町からピレネー山脈を越え、北スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで続く道。

「ピレネー山脈を越えたところで『あと700キロ』という道標を見たときは、こんなに歩いてきたのにと、茫然としました。それがゴールが近づくにつれ、終わってしまう寂しさに襲われて。サンティアゴ到着時には、この中のどの一歩なくしても到達できなかったと、一歩一歩の大切さを実感しました」

言葉は通じず、道に迷い、家畜の糞まじりのぬかるみを歩き、水のシャワーしかない宿に泊まり、靴の中で指が悲鳴をあげ、体中に痛みが……。さまざまな困難があったが、美しい風景の中を歩き、人々のあたたかい心にふれ、数多くの出会いも。

「途中、一緒になった各国の巡礼者との出会いは素晴らしいものでした。苦しみと喜びに満ちた忘れがたい旅になりました」

黛まどかさんが歩いた祈りの旅ヒストリー① スペイン・ サンティアゴ巡礼(1999年 5月~7月)800km

パウロ・コエーリョの小説『星の巡礼』との出合いがきっかけで歩いた、キリスト教の巡礼の道。苦しみとともに多くの喜びも。

巡礼の木蔭小さく分け合へる

出立地のフランスの町を出て、最初にして最大の難所、ピレネー山脈を越えるとスペインの広大な高原、メセタ台地が広がる。一面、麦畑の中、続く巡礼の道。「ものすごい暑さの中、ずっと麦畑の中を歩き、やっと遠くに一本の木が見えてきて。近づくと木陰には巡礼者がいっぱい座り込んでいて、新たに到着した人に場所を譲ってくれるんです」。昔も今も、巡礼の途中で命を落とす人もいる過酷な道。多くの「一期一会」が。

カイロスと呼べる自分だけの時間を生きる

「サンティアゴ後に劇的な変化はなかったものの、以前は仕事が重なるとパニックになっていたのが、ならなくなったことが変化でしょうか。一歩一歩進めば必ず終わりにたどりつく、と。歩くことにも自信がつきました」

四国遍路も区切らず歩いているが、サンティアゴ同様満身創痍の状況。黛さんにとって、そうまでして歩く意味とは?

「生き物としての基本が歩くこと。歩くことは生きることそのものだと思っています。そもそも人類の歴史も20万年前、アフリカ大陸から出て世界中に歩いて散らばっていったのが始まりですから。歩いていると、生き物としての感覚がよみがえってくる感じがします」

歩いているときの時間は日常の時間とは異なる、とも。

「ギリシャ語で時を表す言葉はクロノスとカイロス。クロノスは過去から未来へ流れる客観的な時間、カイロスは主観的な時間です。日常は仕事も人との関わりもあり、クロノスで生きていくしかない。歩いているときはカイロスと呼べる自分だけの時間を生きていて、ものの見方も違い、いつもより能動的になります。能動的であることは、俳句にも通じます。俳句はつくるというより、やってくるという感覚。五感のアンテナを立て、すべて自覚的に生きていないとキャッチできませんから」

黛まどかさんが歩いた祈りの旅ヒストリー② 韓国・釜山-ソウル(2001年~2002年)500km

「日韓文化交流会議」の委員に選ばれ、「本からの知識ではなく、歩いて感じて韓国を知りたい」と考え、5回に分けて歩き通した。

韓(から)くにへ鵲(かささぎ)の橋渡り来て

日韓関係が複雑な時期に始めた歩く旅。定まった道があるわけではなく、出会った人に道を尋ねながら歩いた。道がなく線路を歩いたり、宿にたどりつけず、土地の人に泊めてもらい、新たな縁を築いたり。「歩いていて、しばしば見かけたのが『鵲』(別名:朝鮮カラス)です。日本ではめったに見られませんが、七夕の星の逢瀬に一役買う、七夕伝説で知られる鳥です。カチカチカチという鳴き声もなじみ深いものに」

すべての命とつながっていると感じる瞬間

長い距離を歩いていると余計なものがそぎ落とされ、「丸裸になったような自分になる。すると感覚が立ってきて本能もよみがえってくる。たとえば道が分かれていても、風のにおいや軽さから行く道がわかるようになるんです。常にアンテナを立てて感覚を総動員しないと、生死に直結しますから」

毎年、亡くなる人がいるサンティアゴの巡礼、お遍路さんでも命を落とす人はいる。

「本当に命がけ。いかに普段、自分が漫然と生きているかがわかります」

山の中をひとり歩いていると、すべての生き物、命とつながっている、と感じる瞬間が訪れる。

「鳥がさえずりだし、虫が鳴き、川が水音を立て、花が語りかけてくるんです。空海の『五大に皆響きあり』という言葉があります。五大は土、水、火、風、空。自然のすべてとつながっているのが、体でわかります。二度目の遍路では、山道で突然、山鳴りを聞きました。ヘリコプターかなと思いましたが、山鳴りでした。大昔にこの道を歩いた人も、皆感じていたのだろうなと、過去の人の思いと通じ合ったことに感動しました」

黛まどかさんが歩いた祈りの旅ヒストリー③ 四国遍路88カ所(2017年 4月~6月)1400km

真鍋俊照の著書の一節「四国遍路は一度は父のため、一度は母のため、一度は自身のため、三たび巡礼せよ」に背中を押されて出立。

南無大師遍照金剛夕焼けぬ

「父のために」と歩いた初めての遍路。「肉体を駆使しながらも、出会うものすべてが新鮮でした」。旅の最後にできたのが「南無大師」の句。「お遍路では常に弘法大師空海がともにあるという意味の『同行二人』という言葉がありますが、実際に歩き始めると、ずっと影のようについてくるもう一人がいました。自分自身です。四国の自然に身をゆだねて歩き続け、遍路の果てに出会ったのも、やはりまぎれもない自分自身でした」

黛まどかさんが歩いた祈りの旅ヒストリー④ 二度目の四国遍路108カ所(2023年 9月~11月)1600km

八十八霊場に空海ゆかりの二十の別格霊場を加えた百八を、2カ月かけて巡拝。仏教の「空」と「無」に向き合い続けた旅。

降る雪の遥かより降るもの確か

「一回目の遍路から3年後、父が亡くなり、母が大病を患い、二回目までは6年の歳月が経ちました。一度目の遍路が素晴らしかったことも、決断までに時間がかかった理由の一つ。二回目は少し余裕ができ、より自分の内側に目が向く遍路となりました。一期一会をより意識するようにもなりました」。34度という残暑厳しい日から、彼岸花やコスモスの季節を過ぎ、終盤近くには山中で雪が舞う神秘的な光景に出合う。

黛さんにとって「歩く」意味

枯野より出でて虚空へつづく道

遍路では「無」になるために歩く人も多く、外国人も「エンプティ」を体験したくて来たという人が多かったという。「毎日、般若心経を唱えていると、無って何? 空って何?と突き詰めて考えながら歩くことになります。二回目のお遍路では生きづらさを抱えている人との出会いが多くあり、彼らこそ虚空を見、空を生きている、と感じることがありました。歩くことで多くの気づきを得られる、かけがえのない一期一会があります」

撮影/佐山裕子(主婦の友社)
取材・文/田﨑佳子

※この記事は「ゆうゆう」2025年11月号(主婦の友社)の記事を、WEB掲載のために再編集したものです。

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