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ザ・タイガース結成前夜の秘話【77歳・加橋かつみさんのターニングポイント#1】衝撃を受けた出会い

  • 2025.10.12

ザ・タイガース結成前夜の秘話【77歳・加橋かつみさんのターニングポイント#1】衝撃を受けた出会い

グループサウンズの全盛期を駆け抜けたザ・タイガースの元メンバー 加橋かつみさん。胸に残る「花の首飾り」は今も多くの人この心をとらえています。時代を代表する名曲を歌い上げた加橋さんの人生には、いくつものターニングポイントがありました。音楽と歩んできた道のり、そして現在について伺いました。第1回は、ザ・タイガース前夜。

加橋かつみさん Profile

かはしかつみ●ミュージシャン ザ・タイガースの元メンバー
1948年、大阪生まれ。1967年にロックバンド「ザ・タイガース」のギタリストとしてデビューし、日本のグループサウンズ黄金期を代表する存在となる。リードギター、ボーカルを担当し、高い音楽性と澄んだ透明な声でファンを魅了した。タイガース脱退後はソロ活動に転じる。ヒット曲「花の首飾り」「廃虚の鳩」「色つきの女でいてくれよ」「ニルスのふしぎな旅」OP主題歌、「ひらけ!ポンキッキ」OP曲、「青い空 白い雲」ED曲、「かもめが空を」など。近年は、銀座タクトをはじめとするライブハウスで精力的にステージを重ねている。※最新のライブ情報は記事末で紹介

「このグループは他に勝てる」と勘が働いた瞬間

——全員が京都育ち、という「ザ・タイガース」の5人が出会ったきっかけからお聞かせいただけますか? 奇跡のような巡り合わせだと思います。

僕と岸部(修三/現・岸部一徳さん)、森本(森本太郎さん)、瞳(瞳みのるさん)は幼なじみだったり、学校つながりの遊び仲間。高校生だった4人が、四条河原町にあった「田園」というダンスホールに通っていたんです。

ちょうどそのころ日本に入ってきたザ・ベンチャーズに憧れたこともあって、4人で始めたのが「サリーとプレイボーイズ」というアマチュア・バンド。バンド名の“サリー”は岸部のニックネームです。

——バンドのスタートは“トッポ”(加橋さん)、“サリー”、“タロー(森本さん)”“ピー(瞳さん)”の4人だったんですね。

当時、僕らはバンド演奏することで、週末に「田園」で開かれるダンパ(ダンスパーティー)のチケットを売って、アルバイト代わりにするようなことをやっていたんです。

でも、バンドを始めたばかりで、どうしてもまだ演奏が下手。演奏しながら歌うということができない。でも、演奏ばっかりではステージが持たない、歌も入れないと、ということで、「田園」でボーカルをしていた沢田(沢田研二さん/“ジュリー”)に声をかけ、バンド名も「ファニーズ」に改めました。

沢田が入って5人になったことで、「このグループは何をやっても他に勝てる」という勘のようなものが働いた。これは、他のメンバーも同じだったんじゃないかと思います。

——加橋さんは初めからリードギターを担当されたのですか?

そうです。ギター、特にエレキギターは他の楽器にはない魅力がありますからね。

なにしろ、初めて聴いたベンチャーズのギターの音色に驚いた。エレクトリックで楽器の音を増幅して出す、というのは、それまでにはなかった画期的なことなんです。

たとえば、2000~3000人どころか、何万人というお客さんの前でも、ジャーンと弾いたエレキギターの音は隅々まで響きわたる。会場全体が一瞬にして、一体感に包まれる感覚があるんです。

だから、僕はギターでなかったら、バンドをやろうとは考えなかったと思います。

「世界を変えるような仕事がしたい」と思った

——そんな加橋さんがプロの道に進んだ理由は何だったのでしょう。

それは、「ザ・ビートルズ」の存在ですね。

僕らがまだ「ファニーズ」だった1966年、「ビートルズ」が日本にやって来たんです。これは見なくては、ということで、5人で京都から東京の武道館まで行きました。

彼らがステージに出てきた途端、僕はそのたたずまいに背筋がゾクゾクッとして、音を聴いた瞬間にドーンと胸を打たれました。それまで経験したことのない感覚。言葉でうまく言い表せませんが、非常に感動しました。完全なカルチャーショックですね。

当時、高校生だった僕は反戦活動をやったりしていました。ちょうど60年安保闘争やベトナム戦争があった時代ですからね。

でも、これは学生運動なんかしている場合じゃない、人の気持ちを一瞬にして変える音楽という世界があるんだ、と「ビートルズ」に気づかされました。音楽で伝えるほうが、学生運動よりよほどストレートだと。

あのスティーブ・ジョブズが「ビートルズ」のステージを観て、「僕も彼らみたいに世界を変えるような仕事がしたいと思った」と語っていますよね。僕も同じように思いました。

——でも、もともとは美術の道に進みたかった、と以前、インタビューで答えていらっしゃいます。

高校を卒業したら、東京の美大に行こうと考えていました。叔父が大手広告代理店の役員をやっていたこともあって、その伝手で代理店のグラフィック・デザイナーになれたら、と。

——そんな加橋さんの気持ちも、「ザ・ビートルズ」が変えてしまったということですね。

もちろん、音楽だけではなく、芸術全般にはそんな力がある、ということです。音楽も美術も、根本はいっしょだと思っています。

19歳、ザ・タイガースは『僕のマリー』でシングルデビュー

——そこからプロのバンド「ザ・タイガース」が誕生する経緯は?

「ファニーズ」が大阪の戎橋にあった「ナンバ一番」という音楽喫茶と専属契約してレギュラー出演するようになったあたりから、一気にファンが増えて、常に客席がいっぱいになるような状態でした。

「ローリング・ストーンズ」の『サティスファクション』を「全関西エレキバンド・コンテスト」で演奏したら、思いがけず優勝したのもこのころです。

そんなことが東京でも噂になったらしく、「ナンバ一番」にスカウトが見に来るようになっていました。

そうしたら、ドラムスの瞳が一人で勝手に東京に出て行って、渡辺プロダクションと契約の話を進めてきちゃったんです。

びっくりしましたけれど、これはしょうがないな、と。それでも、契約書にサインする気になったのは、僕が最後だったと思います。

あんな馬鹿なことがなければ僕はプロにはなっていなかったでしょう。趣味でバンドを続けていたと思います。

——5人で上京したのが1966年11月。バンド名を「ザ・タイガース」に変更し、翌年2月には『僕のマリー』でシングルデビューして、瞬く間に超人気バンドに上り詰めました。加橋さんが19歳のときですね。

あの頃は、朝から夜中まで分単刻みのスケジュールで働いていました。労働基準法違反もいいところです。

——猛烈に働いていらっしゃった……

猛烈、なんて甘いですよ。

——ダメですか?

ほとんど24時間労働ですから(笑)。

加橋かつみさんのターニングポイント①
「ビートルズの日本公演を見て、人の気持ちを一瞬にして変える音楽という世界があるんだと知った。音楽で伝えるほうが、学生運動よりよほどストレートだ!」

撮影/橋本哲

加橋かつみさん 最新ライブ情報

■「加橋かつみ LIVE in Rocky」
日時:2025年10月22日(水)
会場:ライブレストランRocky(東京・五反田)

■「加橋かつみ LIVE 2025」
日時:2025年11月7日(金)
会場:銀座TACT(東京・銀座)

詳細は、公式SNSにてご確認いただけます。
加橋かつみX 加橋かつみ Facebook

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