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岸本葉子さんが選考委員【ゆうゆうエッセイ大賞】受賞作を発表!

  • 2025.10.8

岸本葉子さんが選考委員【ゆうゆうエッセイ大賞】受賞作を発表!

ゆうゆうエッセイ大賞にご応募いただいた皆さま、ありがとうございます。今年も多数の素晴らしい作品が寄せられ、選考委員一同、選定には大変悩まされました。ここでは、大賞および準グランプリ受賞作品と受賞者のコメントを発表いたします。

選考委員
岸本葉子さん エッセイスト

きしもと・ようこ●1961年、神奈川県生まれ。
保険会社勤務を経て、エッセイストとしてデビュー。
何げない日常の中に喜びや楽しみを見つける姿勢を反映した著書が支持を集めている。
『ひとり上手のがんばらない家事』(だいわ文庫)、『60代、少しゆるめがいいみたい』(中央公論新社)など著書多数。

【選評】筆者の思いが伝わる力作ばかり。リアリティは大きなポイントです

今回のテーマは「もしもタイムマシンがあったなら」ということで、タイムマシンの使い方、乗り方が大きなポイントです。過去のあのとき、あの場所に戻りたいという作品が多かったのですが、その中でもストーリーにリアリティがあり、ファンタジックになりすぎないというのが大事な点でしょうか。

大賞を受賞された千村久子さんの「60年ぶりにごちそうさま」は回想シーンへの転換のうまさと、お母さまを若くして亡くしたという情報の読み手への伝え方が絶妙でした。準グランプリの本多和子さんの「贖罪の船」は、ノスタルジーを超えた、加齢への掘り下げがとても秀逸ですね。強いタイトルから、どんな重い罪の話かと読み進めると……という展開の巧みさもありました。

他、佳作に選ばれた3作品も、レベルとしては大賞をとっていてもおかしくない、というほどの力作です。

【大賞】「60年ぶりにごちそうさま」千村久子さん(埼玉県・69歳)

娘からの、今年六十九才の誕生日プレゼントは、桜の木でできた大振りのお椀と、大胆に亀の甲羅が描かれた有田焼きのご飯茶碗だった。

「お母さんは、パンが好きだけれど、これからは、しっかりとご飯とみそ汁を中心にした食事で、体調管理をしながら長生きをしてね。」

いつもは、洒落た洋服や小物雑貨をくれる娘から、本気で体を気遣う言葉を貰い、びっくりしたと同時にパッと脳裏に蘇ったのは、小学生時代の自分と亡き母との毎朝の朝食時のやりとりであった。

「又、みそ汁を残して。みそ汁は、体に良いのだから全部飲んで学校に行きなさい。」

「だって、みそ汁を飲むと、お腹が一杯になってご飯が食べられないんだもの。」

これは、本当に情けないのだけれど、ほぼ毎日交わされた母との会話だった。

私は、みそ汁があまり好きではなかった。母の作るみそ汁は、季節の野菜を入れたちょっと辛めの仙台みそを使ったものだった。これは母の実家である宮城から、毎年送られてくる手作りのみそであった。母がみそ汁用の野菜を切る包丁の音や、その香りで目覚めるくせに、みそ汁を完食しなかった私。あれから、六十年も経って、娘から小学生時代を見透かされたような指摘を受けて、ぐさっと心に響いた。五十二才という若さで逝った母の魂の声が、娘に乗り移ったような気がした。

桜の木のお椀は、両手でつかむとしっかりと温もりが伝わってくる。このお椀を毎日手にしたくて、あれから真面目に自分の為にみそ汁を作っている。子ども四人を育てている時には、自分は飲まずとも懸命に食卓に並べていたみそ汁。子どもたちが自立してからはほぼ作っていなかった。

六十九才を過ぎてやっとみそ汁が大好きになった。みそ汁は美味しい。仙台みその香りも懐かしい。ああ母に会いたい。白い割烹着姿の母が恋しい。

もしもタイムマシンがあったなら、小学生の頃に戻り、もう一度朝の風景をやり直したい。母の作ってくれたみそ汁を完食するんだ。

「お母さん、ごちそうさま。」

そう言って、空のみそ汁椀を差し出すのだ。小さなわがままの繰り返しが、母に悲しい思いをさせていた。六十年も経って、やっと反省をした。今からでも遅くはない。私は母の分まで体に良いみそ汁を飲み長生きをするのだ。亡き母の思いに気付かせてくれた娘にも感謝しながら。

大賞受賞者コメント

千村久子さん(埼玉県・69歳)

今回このようなよい機会をいただき、どうもありがとうございました。母は、突然逝ってしまったので、この年まで感謝の言葉も伝えずにきて気持ちの整理ができずにおりました。受賞の知らせを聞いて胸のつかえがとれました。母の笑顔が蘇ります。みそ汁は、温かい記憶になりました。

【準グランプリ】「贖罪(しょくざい)の船」本多和子さん(東京都・72歳)

私は今、七十二歳である。自分より年長の一人暮らしのお年寄りにバースディカードや季節の便りを書いて送る地域のボランティアをしている。人とあまり話す機会がないお年寄りが喜んでくれれば嬉しい。

そんな私であるが、二十歳の頃の私はお年寄りに対して全く思いやりがなかった。親戚のお年寄りが家に来た時など、話の途中で肩に触れられたりすると、自分の若さが損なわれるような気がして避けようとしていた。そして、そういう生き方の延長として、外出先のデパートの食堂で、私のそばに座ったゆきずりの老婦人の心を傷つけるというあやまちをおかしてしまった。

日曜なのに当日の食堂は空いて涼しい風が吹いていた。常に都会の喧噪の中で忙しく仕事をする毎日だったので、解放感と独りの楽しさを、私は同時に味わっていた。

窓に近い席でメニュー表を見ていると、やがて想定外のことが起こった。一人の老婦人が、八十代半ばほどのベージュの洋装に身を包んだ鶴のような細身の老婦人が、おぼつかない足どりで私の方に歩いてきた。そして、思いつめたようなまなざしで私を見つめてから、すぐ隣の席に座ったのである。

二人連れの客のように私達は並んでしまった。「あれっ、ああああ」私は小さく叫んだ。他に空いている席はたくさんあるのに、どうしてこの老婦人は私にくっつくように隣の席に座ったのだろう。私の気持ちは混乱していた。いやだ、別の席に移ってほしい。この店では独りで過ごしたいと、強い口調で言いたかった。老婦人は片頬に微笑のように見える歪みを浮かべたまま、身じろぎもせず正面を向いている。

あれから何年も生き、自らも高齢となり、人生の様々な苦労を経た今ならわかる。彼女は淋しかったのだ。人恋しくて人のぬくもりがほしかったのだ。何でもいいから人間どうしの何気ないお喋りがしたかったのだ。しかし若かった当時の私には、孤独感でいっぱいになっている彼女の心が理解できなかった。

私は一緒にいてくれる相手を求めていた老婦人を受け入れず、無言で席を立った。老婦人は沈んだ声で、「あら、あんた悪かったわね」と呟いた。悪いのは私だ。思いやりがなく本当に申しわけなかった。

この世にタイムマシンがあれば、それを贖罪の船として乗りこみ、あの日あの時あの場所に戻りたい。そして、再会した老婦人に「お買い物ですか?」「お一人で暮らしていらっしゃるのですか? お偉いですねえ」などと若い娘ならではの優しい温かい言葉を今度こそたくさんかけてあげたい。

名も知らぬゆきずりの貴女、貴女はあの後、何年御存命でしたか? 私も七十代。この世の旅もあとわずかです。もしも同じ天国で巡り会えましたなら、私の頭の白髪に触れて、「あら、あんたもお婆さんになったのねえ」と、朗らかに笑ってくださったら嬉しいです。

準グランプリ受賞者コメント

本多和子さん(東京都・72歳)

このたびは準グランプリをいただき、とても光栄に思います。幾度も推敲を重ね懸命に書いたので、選んでくださる方の心に主旨が届いたこと、本当に嬉しいです。『ゆうゆう』にエッセイが載れば多くの方々に読んでいただけます。私の恥ずかしい失敗を他山の石として、お年寄りに温かく声をかける風潮が広まれば幸いです。

撮影/大江 夢

※この記事は「ゆうゆう」2025年11月号(主婦の友社)の記事を、WEB掲載のために再編集したものです。

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