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あの日の始発の私たち(前篇)

  • 2025.10.7

バニーガールキャバクラの落ちこぼれ同士として仲良くなったリアナ。あの日、自分と”同類”である彼女が発した悲痛な叫びは、私たちの未来に何をもたらしたのだろう? 魔法のない時代に生きる「魔女」を描いたエッセイ、第11回です。

リアナとは10年ほど前、横浜のバニーガールキャバクラで知り合った。私とキャバクラの相性が最悪であるのは、もう初めから解りきっていたことである。それでも、いちどくらいは日常と少し違う、きらびやかな世界を経験してみたいと門を叩いた。私は18歳のときから今に至るまで、どこかしらの店でバニーガールをやり続けている。バニーガールの求人があると聞けば、とにかくやってみたくてたまらないのだ。

もう名前も思い出せないその店は、横浜駅の改札からすこし歩いたビルの地下にあった。そこは“中学生が考えた趣味の悪い宮殿”といった内装で、一面の赤い壁には、ウサ耳が描き足された有名な肖像画のレプリカが飾られており、さらにその横からはウサギ人間のような白い人形の上半身だけが、壁からにゅっと生えるように刺さっていた。それから壁と同じ色の赤い絨毯が床にも敷かれていて、天井には巨大なシャンデリア。極めつけは、店の中心にある“かご”である。接客するためのテーブルすべてを見渡せるよう、まるで宙に浮いているかのように設置されたその鳥かごならぬウサギかごの中で、待機中のキャストはショーウィンドーのマネキンのように時間が過ぎるのを待たなければならなかった。かごの中ではスマホは弄れないし、おしゃべりも禁止である。しかし、そこに入りたくなければスマホもおしゃべりも自由な普通の待機場所もちゃんとある。実際、ほとんどのキャストは進んでかごの中に入ったりはしなかったのだが、私はというと、数か月経っても他のキャストたちとろくに馴染めず、不人気すぎて営業を掛ける客もいなかったので、いつも進んでかごに入り、ろくに働きもせず、というか席につけてすらもらえず、ただそこで多少自慢の脚をクネクネと見せつけてばかりいた。数か月間の時給保証期間が終わり、当然のごとく最低ラインの時給になってしまった私は半年もたたずに店を辞めた。照明は眩しいし、BGMは大きすぎて何も聞こえないし、チンチンの形のグラスで変な酒飲まされるし、尊厳が激しく擦り切れる数か月だった。店はもうとっくのとうに潰れてしまったらしい。営業不振でつぶれたとか、水道管が破裂して水没したとか、いろいろと噂は聞いたが、実際はどうかわからない。どちらにせよ、気分が良い。

「どうして私はガイジンなの」

ところでリアナと私はなぜ仲良くなったのだろうか? 細かいことはほとんど憶えていないのだが、彼女がキャストたちのなかで唯一の同類であったことは確かだ。どちらもアフリカ系のハーフで、どちらも店での成績が芳しくなかった。私たちは「ニッチ」だった。どれだけ脚が長かろうと、どれだけ胸が大きかろうと、顔の作りがどうこうというのも関係なく、大多数の異性の好みから外れた存在だったのである。数人の熱烈なファンが付くことはあっても、クラスのマドンナには遠い私たち。そのファンというのも、ファンと言うよりマニアなのであって、むしろ、褐色の肌であれば誰でもいいというのが透けて見えていることもあった。私たちは騒がしい店内で顔を合わせるたびに「今日指名あった?」「いや、今日もゼロ」とお互いのようすを窺いあっていた。それはたぶん牽制のようなものでもあったし、自分たちはこれから先も、このごく小さな畑のなかで、地道に収穫をしていくしかないのだと、互いに励まし合っていたような気がする。店を辞めてからも、私とリアナはそれほど高くはない頻度でときどき会う関係が続いた。縮毛矯正の上手な美容院を共有したり、一時期は私がキャバクラと掛け持ちで働いていたガールズバーで一緒に働いたりしたこともあった。ふたりとも将来が決まらないままユラユラ過ごして、勧められるがまま毎日お酒を飲んでいた。飲み続けて朝になって、お互い朦朧としながら始発に乗っていたある日の朝、リアナは突然大粒の涙を溢して「どうして私はガイジンなの」「こんなの、誰も好きになってくれない」と、ほとんど叫ぶように言った。今でも私はその光景をよく思い出す。私はどうしたらいいかわからなくて、スパークリングワインの毒でグラグラ揺れる頭でなんて声を掛けるべきか一生懸命考えた。持っていたティッシュで彼女の大きな目から溢れる涙を、彼女の綺麗なメイクが落ちないように、何度も何度も吸い取った。私は笑っていたと思う。だって、そんなこと考えたって、もうどうしようもないから。一緒に泣いたら自分もどうにかなってしまいそうだったから。私の口は機械のように「大丈夫、大丈夫」と動いていたけれど、きっとあのとき、私だって全然大丈夫じゃなかったと思う。

そして、2025年。リアナは筋肉に目覚めていた。リアナはいつのまにか友達で、いつのまにか同じ美容院に行き、同じガールズバーで働き、そしていつのまにか、ボディビルの大会で優勝していた。ステージで悠然とポーズを決める彼女の写真をインスタグラムで見て、私は驚愕した。もともと私より薄い褐色だった彼女の肌は、筋肉を際立たせるため黒々と光る黒真珠のように日焼けしていた。そして、スマホの画面越しからでも眩しいほどの満面の笑みからは、あの日の始発にあった絶望が、ほんの一片すら感じられなかった。こじれにこじれた挙句、ネットで自分の話ばかり書いている陰気な私とは正反対である。私がお祝いのメッセージを送ると、彼女は近々会おうと返事をくれた。

伊藤亜和(いとう・あわ)

文筆家・モデル。1996年、神奈川県生まれ。noteに掲載した「パパと私」がXでジェーン・スーさんや糸井重里さんらに拡散され、瞬く間に注目を集める存在に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。その他の著書に『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)、『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)。

文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香

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