1. トップ
  2. 恋愛
  3. 【黒柳徹子】「マリー・アントワネット」の人生が教えてくれるもの

【黒柳徹子】「マリー・アントワネット」の人生が教えてくれるもの

  • 2025.10.5
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第41回】フランス王妃 マリー・アントワネット

シュテファン・ツヴァイクという作家をご存知でしょうか。主に1930年から1940年代に後世に残る評伝などを著したユダヤ系オーストリア人で、中でも傑作とされるのが1932年に刊行されたマリー・アントワネットの評伝です。刊行の6年後にはもうハリウッドで映画化されたっていうから、世界中の多くの人が、マリー・アントワネットというフランス王妃の悲劇を知ることになったのは、ツヴァイクの評伝の影響が大きいのだろうと思います。私がその本を読んだのは、たしか終戦から10年ぐらい経った大学生の頃。「こんなにも運命に翻弄された悲劇があるなんて!」と驚いたことを覚えています。

ツヴァイクのすごいところは、評伝であっても、その中に伝聞は一切書いていないこと。記録として残っている史料や書簡なんかを徹底的に調べて、実際にあったことだけを書いているんです。本の冒頭でも、「強烈な人間、英雄、天才が、生まれ持った使命を遂行しようとして、周囲の狭さや敵意にぶつかったとき、悲劇はドラマティックに出現するだろう。(中略)一方、平凡な人間、あるいは弱い性格の持ち主が途方もない運命に陥り、個人的責任の重圧におしつぶされ、粉々にされるときにも悲劇はおこる。むしろこの形の悲劇の方が、もっと感動的なような気がする」(角川文庫/中野京子訳)とあります。つまりツヴァイクは、マリー・アントワネットを平凡な人間と断定しているのです。

ではなぜ、そんな平凡な人間の生涯が、私たちの心を摑むのでしょう? 宮殿に生まれ、若いうちはまごうことなき優美さと贅を尽くした生活を手にしていたからでしょうか。親の決めた結婚相手の元に嫁ぎながら、心を通わせることができる愛の対象に出会ったからでしょうか。目眩(めくるめ)くフランス宮廷文化を極め尽くしたからでしょうか。素直な心で、当時の宮廷のしきたりにメスを入れようとしたからでしょうか。

20歳を過ぎたばかりの私が、この評伝を読んで感銘を受けたのは、そんな表層的な美しさではなく、すべてを失ったマリーの「心の成長」にあったように思います。ツヴァイクも、「不運という仮借ない手はマリー・アントワネットをつかんではなさない。彼女の軟弱で無力な魂を、強く固く鍛え上げ、ついには彼女が両親や祖先から受け継いだ偉大さを、誰の目にも見える形で引き出す」と書いているように、誰もが羨むような恵まれた環境から、どん底まで堕ちていったからこそ、「不幸になってはじめて、自分が何者か、ほんとうにわかるのです」という言葉を発することができたのは間違いないのですから。

ツヴァイクのこの長い評伝の中で、マリーがその身の丈に合った“平凡な”幸せを享受できていた記述は、全体の3分の1にも満たない程度。物語の大半は、マリーが高い地位からいかに転落していったか、その過程が丁寧に描写されています。でも、その不幸の数々によって、マリーは自分の中に、試練がなければ気づけなかった何か新しくて偉大なものが生まれたことに気づくのです。その、精神の絶頂のようなものが見事に文章に表れているのが、夫の妹で、マリーの子どもたちの保護者になっているマダム・エリザベートへの最後の手紙でした。ツヴァイクによればその手紙は、「書体もほとんど男性的といっていいほど」で、「使われている言葉はいっそう純粋になり、感情も隠されていない」。

私がその手紙の中でとくに心惹かれたのは、「主義を貫き、自分の義務を忠実に守るのが、人生で最も重要な基本だということ、友情を守り、互いに信頼をよせあえば、幸福になるということです」という一文でした。でも、この素晴らしい手紙は、義妹の手に渡ることはなく、マリーの死後21年経ってから陽の目を見ることになるのです。

人生における“絶頂”と“どん底”を、わずか38年の生涯で体験しながら、生きる真実を摑んだのはどん底になってからなんて。でも、一人の女性の人生が、私たちに示唆してくれるものは計り知れないような気がします。好きが高じて、1995年に放送された『世界ふしぎ発見』の2時間特番「6000年大ロマン 美女と英雄の恋物語スペシャル」で、私はミステリーハンターとしてパリに渡って、マリー・アントワネットについて取材をしたこともありました。ツヴァイクはあとがきで「神格化するのではなく、人間として描く。これがあらゆる芸術創造における至上の法則である」と書いていますが、結局私も、マリーの人間らしさに、どうしようもなく惹かれているのだと思います。

マリー・アントワネット

フランス王妃

マリー・アントワネット

(1755〜1793)オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘。幼い頃から様々な芸術に親しむ。フランスとオーストリアの外交政策の一環として、当時フランス王太子だったルイ16世の元に嫁ぎ、1774年にフランス王妃となる。宮廷での束縛を嫌い、王太子妃時代、主に離宮のプチ・トリアノンで過ごしたことや、オーストリアに対する同調姿勢などから宮廷内に抵抗勢力が形成される。1789年フランス革命が始まり、1792年にフランス革命戦争が勃発すると、王政が廃止され、国王一家はタンプル塔に幽閉される。1793年1月、ルイ16世が処刑され、革命裁判所で行われた裁判で死刑判決を受け、同年10月に処刑される。

─ 今月の審美言 ─

この評伝を読んで感銘を受けた理由は、すべてを失ったマリーの「心の成長」にあったように思います。

取材・文/菊地陽子 写真提供/Getty Images

元記事で読む
の記事をもっとみる