1. トップ
  2. 「離婚・留学・そして出会い—」80歳の元ミス日本代表・谷 玉惠さんが綴る【私小説・透明な軛(くびき)#2】

「離婚・留学・そして出会い—」80歳の元ミス日本代表・谷 玉惠さんが綴る【私小説・透明な軛(くびき)#2】

  • 2025.10.4

「離婚・留学・そして出会い—」80歳の元ミス日本代表・谷 玉惠さんが綴る【私小説・透明な軛(くびき)#2】

今年の夏、80歳を迎えた元ミス・インターナショナル日本代表、谷 玉恵さん。年齢を感じさせない凛とした佇まいは、今も人を惹きつけます。そんな谷さんが紡ぐオリジナル私小説『透明な軛(くびき)』を、全6回でお届けします。第2回は「離婚・留学・そして出会い」。 ※軛(くびき)=自由を奪われて何かに縛られている状態

#2 離婚・留学・そして出会い

31歳の離婚。新しい挑戦へ

さかのぼること17年、知香は31歳のとき、見合い結婚で始まった10年間の生活にピリオドを打った。

商家である婚家の家族主義に馴染めず、長男の嫁として束縛される日々、何一つ意見が通らない立場や、日和見的な夫にも嫌気がさしていた。
「自分をもっと活かせる仕事につきたい」——その思いは30歳を迎えたころからさらに強くなり、社会に出られる最後のチャンスかもしれないと焦りさえ覚えるようになっていた。

夫と何度も話し合い、考え抜いた末に決断する。小学2年生だった一人息子を夫に託し、スーツケースひとつを持って家を出たのだ。

自分のわがままで家を出るわけだから、慰謝料は一切受け取らなかった。当座のアパートを借りるため、へそくりの10万円だけ手にしていた。この決断について、身内には一切相談しなかった。

数日間は息子の声が耳に残り、食事も喉を通らない日々が続いた。

救いとなったのは、知人の紹介で得た地方テレビ局のレポーターの仕事だった。結婚前に2年ほどモデルの仕事をしていたが、レポーターは初めて。しかも10年間、主婦一筋で過ごしてきた知香には知らないことばかりで、戸惑いの連続だった。悔し涙も何度となく流した。

心が折れそうになると、知香は湘南の海に向かった。ときには穏やかに、ときには雄々しくうねる海が、嫌なことを洗い流してくれた。
「息子に再会できる日が来たら、胸を張れる母でありたい」——その思いが、知香を決してくじけさせなかった。

仕事が2年目に入ったころ、知香はレポーターとしての仕事に行き詰まりを感じた。もっとレベルアップをするためにはどうすべきか——思い悩んだ末に、持ち前の向上心と冒険心が湧き上がり、突如フランス留学を思い立った。

英語よりは話す人が少ないフランス語のほうが、レポーターを続けるにしても需要があるかもしれない。そして、アメリカよりは馴染みのないヨーロッパの国、フランスでどう自分が生活できるのか——それにも大いに興味があった。

そうと決めた知香は、早速フランス語の個人レッスンを受け、留学の情報収集に動いた。ちょうど友人の知り合いにニース在住ののフランス人がいることがわかり、万一の際の安心感もあって、ニース大学文学部の外国人講座科を選んだ。アルバイトをしながら1年計画で資金も貯め、準備を整えていった。

やがて留学資金が目標額に達し、レポーターの仕事も一区切りしたのを機に、離婚から3年目の1月、知香はフランスへと旅立った。
「お金を使い切ったら帰国しよう」と思いながらも、1年は滞在したいと考えていた。

ニースで出会う、7歳下の彼

ニースへは、パリのドゴール空港から国内線に乗り継いだ。眼下にはアルプス山脈の雄大な雪の頂が連なり、その壮大なスケールに「ああ、日本を離れてきたのだ」とあらためて実感した。

避寒地とは言え、1月のニースは寒い。灰色の重い雲が紺碧の地中海を覆い、知香は一瞬、ホームシックに襲われた。だが、すぐに始まった学生生活がその心を癒してくれた。

外国人科には、アメリカやヨーロッパ、中近東、東南アジアなど、世界各地から留学生が集まっていた。授業は当然フランス語で、ときには理解が追いつかないこともあったが、教授たちは優しく根気よく説明をしてくれた。

大学の学食は一食5フラン。日本円にすると200円だ。フランスパンは食べ放題、前菜やメインディッシュ、ヨーグルト、デザートまで豊富にそろい、自由に選べた。

日本人は12人ほどおり、ほとんどが外国人科の学生だった。日本人女性は、そのうち3人。知香は持ち前の明るさと、年齢より若く見える雰囲気もあって、すぐに友だちを作ることができた。

その中に、秀雄がいた。イラストレーターをしていた彼は、7歳年下のイケメン。時折見せる照れたような表情や優しい眼差しに、知香は一目惚れをしてしまった。

彼のクラスはオーディオビジュアル科。フランス語は全く初心者で、仕事の視野を広げるために渡仏し、学び始めたところだ。紺碧の地中海にあこがれてニースを選んだ秀雄と、同じように海が大好きな知香とは気が合い、すぐに意気投合した。

授業が終わると二人で、あるいは仲間と連れ立って、毎日のように海へ出かけた。海の近くまで行くバスはあったが、やがて二人で50CCのバイクを買った。学校には楽に行けるし、ツーリングを兼ねてエズという高台の町へ出かけ、そこからニースの海と町を一望した。授業が休みの期間は、イタリア、スペイン、スイスと二人で列車の旅をした。

学生はアルバイトが認められていて、知香は多少心得があったため美容院で働き、心細くなってきた資金を補った。その間、秀雄は友人たちと海に繰り出していた。
「女が働いて、男が遊んでいるなんて!」
秀雄を知る大家のマダムは憤慨したが、その身びいきぶりが日本人的で、知香はどこかうれしかった。

夏の終わり、二人はそのマダムに別れを告げてパリへ向かった。小さな部屋を借り、語学学校に通った。

その年の12月、クリスマス間際に二人は帰国した。
知香を可愛がってくれていた祖母が亡くなったこと、資金が底をつきかけていたことが理由だったが、何より知香には「早く社会復帰をしたい」という強い思いが芽生えていた。ひとり取り残されているような心細さを感じていたのだ。

フランスでは、テレビの司会者やレポーターの洗練された仕草や表情、話し方を目の当たりにした知香は、自分との差にショックを受け、今後の方向性を模索していた。そんなとき、かつて世話になった美容体操の恩師から「帰国したら秘書をしてほしい」との手紙が届く。知香は迷うことなく、その誘いに応じた。収入をすぐに得られることは、ありがたいことである

元記事で読む
の記事をもっとみる