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ロスの自宅を火事で焼失…それでも「I'm lucky girl!」91歳現役ヘアメイクの波乱万丈物語【カオリ・ナラ・ターナーさんのターニングポイント#2】

  • 2025.9.28

ロスの自宅を火事で焼失…それでも「I'm lucky girl!」91歳現役ヘアメイクの波乱万丈物語【カオリ・ナラ・ターナーさんのターニングポイント#2】

91歳で未だ現役、ハリウッドで活躍したメイクアップ・アーティストのカオリ・ナラ・ターナーさん。困難とは無縁、誰しもが羨む成功者に見えますが、長い人生の中でトラブルも数多く経験してきたそうです。2年前にはなんと自宅が火事に…。インタビュー第2回は、カオリさん流、困難を乗り越えるための考え方について話を伺いました。

ロサンゼルスの自宅から煙が…。あやうく逃げ遅れるところだった

―カオリさんはアメリカ・ハリウッドの最前線で活躍。同じくメイクアップ・アーティストだったご主人、ビル・ターナーさんとロサンゼルスに住んでいたのですね。

はい。じつは今は亡き夫と暮らしていた家は約2年前、88歳のとき火事に見舞われてしまいました。わが家にはいつも居候が何人もいて面倒を見ていたのですが、火事があった日はタイミング悪くみんな出払っていて。ひとりきりだったんです。お酒を飲んでいたら、キッチンから煙が。何かつくっていたかな?と見に行ってもなんともない。でもそのうち近所の方がドンドン!とドアを叩いてきて、外に出たら屋根が燃えていてびっくり。漏電だったようです。

―それは大変でしたね…。

いや違うの、ラッキーなのよ!火事ではベッドルームが焼けて、夫の形見や気に入っていたドレス、着物もみんな焼けてしまったのだけれど、命は助かった。それに、焼け落ちる前に消防隊員が「何か大切なものはあるか?」と聞いてくれたんです。私はこの部屋にパスポートや預金通帳、重要書類を保管していたから、それを話したら屋根からベッドルームに突入し、全部とってきてくれました。だから、本当に大切なものは焼けずにすんだの。心から感動しましたね!

テレビ中継で「アイ・アム・ラッキーガール!」と連呼。自宅も保険で元通りきれいに

―火事は大きなニュースになって、大勢のテレビクルーが現場を訪れたとか。

テレビ中継でリポーターがインタビューをしにきたのだけど、その時も「I’m lucky girl!(私はラッキーだわ!)」なんてカメラの前で話をしていたの。そしたらテレビ局側も驚いたみたいで、たくさん報道もされちゃって(笑)。いろんな人から連絡がきたのよ。もちろん友人や仕事仲間は心配してくれたんだけどね。火事なんてめったに体験できるものじゃありませんからね。その後も「火事にあったことがある人、周りにいる?私はあるのよ!」と事あるごとに話していましたね(笑)。

それに、ロサンゼルスでは2025年1月に大規模な山火事があったでしょ?莫大な損害だから保険金が未だに支払われていないそうだけど、うちの火事はその前だからきちんと下りたんです。しかも、メイクアップ・アーティストが所属するユニオン(労働組合)が保険会社に強く働きかけてくれて、自宅の補修が終わるまで1年間タダでホテル暮らし。家もきれいに直って、その後予想以上にいいお値段で売却できたんです。ほら、ラッキーでしょ?(笑)

―本当ですね(笑)。「ラッキー」は何事もポジティブにとらえられる、素敵な言葉です!

「カオリさんは運がいいんですね」と言われればそれまで。確かに運がいいだけなのかもしれません。そりゃ、生きていれば大変なこともあります。物事には必ず黒と白、どちらの面もあるからこそ、いいほうに考えて笑っているほうが幸せじゃない?私は何でも笑い話にしちゃうんです。

「つらい」「悲しい」と思わないのは、戦時中に学童疎開を経験しているからかもしれません。自宅のある東京を離れ、富山県のお寺で過ごしました。裕福なお寺だったので、冬になると和尚さんがスキー板を買ってくれたりして、学童疎開の割にはとても恵まれていたと思います。それでも、両親と離れているのはやっぱりつらい。だから、終戦後に父が迎えにきてくれたときは本当にうれしかった!東京の家は焼けてしまったし、大変な状況ではあるのだけれど、父と母のそばで暮らせるならそれだけで幸せ。苦労の中に小さな幸せを見つける力が、この頃から身についていたのかもしれません。

お葬式は天国の玄関口だからきれいに整えたい。お花も食事ももう決めてあります

―今は日本での暮らしがベースだそうですね。

火事の後、「日本でのんびり暮らすのもいいな」と思って戻ってきました。でも、夫のお墓はアメリカにあるし、いずれは私もそこに入るつもり。私たちには子どもがいなかったし、親類は姪っ子家族だけです。死んだときにみんなが困らないように、いろいろな手続きはもうすませてあるの。

棺桶やお葬式に使う花、埋葬後の会食で出すメニュー、記念品も決めて、支払いまでしてあります。埋葬地から会食の会場まで移動するためのバスも!姪っ子たちには、「全部手配してあるからアメリカに行くだけでいいよ」と言ってあります。

―日本だとお葬式や死に関する話題はタブー。陰気に感じられることもあります。

アメリカのお葬式は、日本と違ってお祭りみたいなもの。特にハリウッドスターのお葬式なんか、もちろん人によるけど、パーティーのような演出までするんです。私も自分のお祭りなんだから自分で考えたいと思いましたね。私にとって、お葬式は天国への入り口。これまでがんばってきたし、地獄ではなく天国に行けると信じています(笑)。天国に昇るための玄関は、きれいに飾りたいの。お葬式をする予定の場所は、天井がガラス張りになっていて青空が見えるセレモニーホールを3年前に予約してきました。部屋の四隅に桜がチラチラと舞うんです。素敵でしょ?

お葬式で飾ってもらう写真も、気に入った和装とドレスでもう撮影ずみ。その着物とドレスは火事で燃えてしまったのだけれど、写真に残せたのは本当にラッキーだったわ!

カオリ・ナラ・ターナーさんのターニングポイント②
「自宅が火事に見舞われたことも、考えようによってはラッキーな出来事。なんでもいいほうに考えて笑い話にすれば、幸せになれる気がします」

PROFILE/カオリ・ナラ・ターナー
1933年東京生まれ。幼少から日本舞踊やタップダンスを始め、戦後は進駐軍慰問団にて活躍。24歳で浅草新世界のトップスターとなり、日本文化使節団として世界公演に。怪我でダンサーを引退してからメイクの世界に入り、1978年にハリウッド・メイクアップユニオン正式メンバーとなる。出世作『フラッシュダンス』ほか、『バット・マンリターンズ』『チャーリーズエンジェル』『キル・ビル』『アリーmyラブ』などを手がけ、『エイリアス』で日本人初となるエミー賞を受賞。現在は滋慶学園グループで講師を務めるほか、プロ専用コスメブランド「スターオブザカラー」(https://star-color.jp/)、ファッションウィッグのプロデュースも行う。

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