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NHK大河ドラマで静かに“心揺さぶる名シーン”「もしかして」「泣ける」母の手が伝えた“別れの予感”とは?

  • 2025.10.29
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『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』10月26日放送 (C)NHK

大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第41話は、出版という再生の希望と、母・つよ(高岡早紀)との別れの影が同時に立ち上がる回だった。蔦重(横浜流星)が次々と新しいアイデアを思いつき、歌麿(染谷将太)の大首絵に雲母摺(きらずり)という煌めく技法を提案する。江戸の出版はふたたび活気づき、まるで闇を照らす灯火のように見えたが、母・つよの体調の変化が不穏な予感をもたらす。SNS上でも「もしかして、最期を見越して?」「母の愛に泣ける」という声が見られた。生きるとは何か、誰かを送り出すとはどういうことか。そんな問いを、母が息子の髪を結うという静かなシーンを通して描き切った41話だった。

※以下本文には放送内容が含まれます。

ふたたび見出された、出版の夢

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『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』10月26日放送 (C)NHK

須原屋(里見浩太朗)が身上半減の刑を受け、年齢のことも踏まえ引退を決意する。蔦重に託した「知らねえってことはな、怖えことなんだよ」という言葉は、第41話の始まりにして終わりの予兆でもあった。

出版とは、ただの商売にとどまらない。“知をもって人の目を開かせる行い”であり、蔦重はここで初めて、自分の生きる理由を言語化されたかのような表情を見せる。横浜流星の芝居は派手ではない。頷きひとつ、息を吸い込む瞬間に、この言葉を墓場まで持っていく覚悟が宿っているかのようだ。

少々ぎこちなかった、歌麿との関係も修復された。絵や書物で人を救うという、出版の夢がふたたび形になりつつある。雲母が光を弾くように、未来が輝き出したかに見えた。しかし、この光の中心には、“別れの時間を控えた母の存在”が置かれていた。

強さとは、強がらないこと。母の言葉が胸に刺さる

41話のハイライトをあえて示すなら、つよが蔦重の髪を結い直すシーンだろう。書物問屋への交渉のため、荷造りをしていた蔦重に、つよが声をかける。カメラが必要以上に激しく動くことはなく、ただ、母の指と息子の髪、その距離を静かに映し出す。

高岡早紀演じるつよの手は、これまで何度も自分の弱さを隠し、ごまかしてきた女の手である。これが最後になるかもしれない。そんな予感が言葉にされることはない。代わりに明かされるのは、幼少期の蔦重を手放し、姿を消してしまった真実について。しかしそれこそが、物語の核心をついている。

つよは「柯理」と呼びかける。これは、蔦重の幼少期の名だ。「あんたは強い子だよ」「裏を返しゃ、あんたは強くならなきゃ生きてけなかったんだ」と語り、「大抵の人はそんなに強くもなれなくて、強がるんだ。口では平気だって言っても、実のところ平気じゃなくてね」と重ねる。この一連の台詞は、息子を励ますというよりも、息子に“優しさの定義”を渡そうとする母の遺言のように響く。

蔦重は、出版を通じて人を救おうとしている。しかし、そのためには“人が何に苦しみ、どうすれば救われるのか”を真に理解していなければならない。つよの言葉は、そこを突く。強くなることではなく、弱くて臆病でも、強がることを止められない人の気持ちに気づくこと。それこそが、蔦屋重三郎という人物が後世まで語られる理由なのかもしれない。

また41話では、歌麿の心情も大きく動く。「俺の今の望みは、綺麗な抜け殻だけが残ることさ」。セミの抜け殻を見ながら語られるこの言葉は、恋でも執着でもなく、記憶として残ってくれればそれでいい、という切実な願いにも思える。この歌麿の心と、母・つよの髪結いのシーンは対になっているかのようだ。

母は自分の姿を息子の記憶に刻もうとしている。歌麿は、自身の感情を蔦重の人生に残すか否かを悩んでいる。つまり、41話は“何を残し、何を去らせるのか”というテーマを“髪結い”という一つの行為として象徴しているのだ。

髪を結う手が示した未来

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『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』10月26日放送 (C)NHK

雲母摺の大首絵は、まさに“光を残す技法”である。歌麿の絵は、光を受けて初めて輝く。しかし、母であるきよは何も形にしない。ただ、その手で息子の髪を撫で、息を整え、未来に光を託す。その表情には、死への恐怖も、後悔も見えない。ただひたすらに“残し方を知る者”の、静謐な覚悟がある。

出版で世を照らす男と、手で息子を導く母。二つの光が交差し、41話は頂点に達する。

一方、江戸城では定信(井上祐貴)が辞任を申し出るという政変が起きる。これは芝居であり、実際には宗睦(榎木孝明)と結託しての策略であることが明かされる。しかしその裏で、ロシア船が現れたという報せが走る。外からの圧力は、出版も政も一掃しかねない危機である。

蔦重は、その渦中に立つ。しかし41話を観た視聴者なら知っている。正しく知ってさえいれば、恐怖は希望に変えられるのだ、と。須原屋の言葉も、きよの言葉も、すべては“光は人から人へ渡される”という証左である。

41話は、蔦重の物語でありながら、実は“母が息子を送り出す物語”として成立している。髪を結い終えたあと、つよは息子の後ろ姿をそっと見つめる。そこには、私はもう長くはそばにいられないかもしれない、そんな無意識の告白が宿っているようにも思える。


NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 毎週日曜よる8時放送
NHK ONE(新NHKプラス)同時見逃し配信中・過去回はNHKオンデマンドで配信

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_