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腹を切り、豆腐に頭をぶつけて死を選んだ戯作者。命がけで笑いを生み続けた江戸の出版現場の悲劇耕書堂開業以来の最大危機とは【NHK大河『べらぼう』第36話】

  • 2025.9.26

*TOP画像/春町(岡山天音) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」36話(9月21日放送)より(C)NHK

吉原で生まれ育ち、江戸のメディア王に成り上がった蔦重の人生を描いた、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK総合)の第36話が9月21日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。

世が変われば、戯作家たちの状況は大きく変わる

楽しい時間にはやがて終わりが訪れるもの…。蔦重(横浜流星)を囲み、春町(岡山天音)、京伝(古川雄大)、喜三二(尾美としのり)ら作家たちは“おもしれぇものを作る”という1つの目標に向かい、創作活動を自由な発想で楽しんでいました。けれども、定信(井上祐貴)が老中首座に就任すると、彼らの笑いに満ち溢れた楽しい日々も“過去のよき思い出”へと移り変わって行きます。

定信が推し進めた質素倹約を基軸とする世相を揶揄した三冊の黄表紙。その真髄にほとんどの読者が気づかなかったものの、ついに彼を風刺した本であることが定信に知られてしまったのです。奉行所の者たちが耕書堂に押し寄せ、黄表紙三作は絶版を言い渡されました。

蔦重(横浜流星) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」36話(9月21日放送)より(C)NHK

こうした騒動の中、自らの正体を隠して創作活動に励んでいた喜三二と春町の正体が明るみになりました。喜三二は“遊びは誰かを泣かせてまでやるものではない”と国に戻ることを決め、大文字屋で仲間たちに盛大に送り出されました。

蔦重(横浜流星) 喜三二(尾美としのり) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」36話(9月21日放送)より(C)NHK

一方、春町は定信に呼び出され、問題を丸く収める方法を蔦重とともに考えたものの、主君に迷惑をかけるわけにもいかず、この事態から逃れる方法を真面目な性格ゆえになかなか見つけられません。

春町(岡山天音) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」36話(9月21日放送)より(C)NHK

彼が最終的に決めたのは自ら命を絶つことでした。腹を切り、その後で豆腐に頭をぶつけ、この世を去りました。春町はてい(高橋愛)と耕書堂の前で会い、「豆腐でも買って戻るとする」と述べていましたが、豆腐をこのような目的で使用するとは勘が良いていもまったく予想できなかったはず。

喜三二や京伝といった仲間たちが春町の思いに気付いたように、戯作者として最後まで戯けたのです。もし、該当の黄表紙を出版していなければ、春町は生き長らえたかもしれません。人生の充実度はその期間でないとするのであれば、春町の人生は幸せだったと思います。

蔦重や彼のお抱えの作家たちが危機に瀕しているが…史実では?

最近の「べらぼう」では、蔦重が39~42歳頃のエピソードを基にした内容が描かれています。アラフォーと呼ばれる年齢層にあたるこの時期、蔦重に勢いはあったものの、出版統制令の下で厳しい状況に直面していました。

蔦重お抱えの作家の中には「手鎖」の罰を受けた者が何人も…

史実においても、蔦重や京伝らは本の出版により罰せられる可能性があることを覚悟しつつ、取り締まりの目をかいくぐる工夫を凝らして本の制作をしていました。次週、37話のタイトルは「地獄に京伝」ですが、蔦重お抱えの作家が去る中、京伝は蔦重の期待を背負うことになりそうです。史実でも、この頃、京伝は耕書堂の若きエースでした。彼は『仕懸文庫』『錦之浦』『娼妓絹籭』を人気絶頂期に出版。これらの作品は秩序を乱すと判断され、いずれも絶版になっただけでなく、蔦重は財産を半分ほど没収され、京伝は手鎖50日の処罰を受けることになりました。

京伝が受けた手鎖とは両手に手錠をかけられ、手錠を嵌めたまま生活を強いられる罰です。手鎖には「30日」「50日「100日」の3種類があり、京伝は二番目に重い罰を受けました。この期間においても自宅での生活が許されたものの、役人の監視の下に置かれます。30日と50日の場合は5日おき、100日の場合は1日おきに手鎖を外していないか役人が確認にやってきます。

当時において、手鎖は罰金を払えない者や微罪を犯した者に言い渡される罰でした。とはいえ、京伝の後、歌麿も手鎖の罰を受けましたが、彼にとってそのときのショックは大きかったようです。手鎖の処罰を受けてから2年ほど後にこの世を旅立っていますが、この罰で消耗したと考える識者もいます。

ちなみに、政治をテーマにしたものを書いた絵師の中には、江戸払い(=江戸から追放)、絶筆(=原稿の執筆を停止するよう命じられる)といった罰を受けた者もいました。

春町の死の真相と喜三二の人気絶頂期における引退

前回の放送回では、春町が“よろこんぶ”こと『悦贔屓蝦夷押領』の売れ行きが京伝と喜三二の黄表紙と比べて悪いと落ち込んでいましたが、この時期の彼は本業で出世し、重臣になっていたため、作品の質が落ちていました。

しかし、春町は『鸚鵡返文武二道』で復活を果たします。この本は定信が著した『鸚鵡言』を揶揄した内容で、オウム返しのようにうるさい世相を批判したものでした。同著は幕府の怒りを買い、蔦重はこの本の絶版処分を受け、春町は江戸城に出頭するように命じられました。春町は仮病で出頭を拒否し続けた結果、自身の主君である譜代大名に迷惑をかけることになったといわれています。その責任を感じて引きこもり、そのままこの世を去りました。本作では春町は腹を切り、豆腐の角に頭をぶつけましたが、彼の死因は定かではありません。

喜三二については引き際がよく、逃げ切ることができました。秋田藩主・佐竹家は喜三二の『文武二道万石通』が大ブームとなった時期、作品が幕府から咎められ、その咎めが藩にまで及ぶことを恐れ、執筆を辞めるように命じました。彼は“殿の命令には逆らえない”と判断し、戯作からいさぎよく身を引いたのです。

定信が権力を握っていた時期、蔦重は耕書堂の発展に貢献し、支えてくれた何人もの仲間を失いました。

参考資料

伊藤賀一『面白すぎて誰かに話したくなる 蔦屋重三郎』 リベラル社、2024年

日本史ミステリー『日本で本当に行われていた 恐るべき拷問と処刑の歴史』彩図社、2015年

三栄『時空旅人 別冊 蔦屋重三郎 ─江戸のメディア王と波乱万丈の生涯─』 三栄書房、2025年

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