1. トップ
  2. 皮肉が通じず逆効果に!? “ふんどし政治”を持ち上げた庶民の勘違いと歌麿の希望【NHK大河『べらぼう』第35回】

皮肉が通じず逆効果に!? “ふんどし政治”を持ち上げた庶民の勘違いと歌麿の希望【NHK大河『べらぼう』第35回】

  • 2025.9.17

*TOP画像/歌麿(染谷将太) きよ(藤間爽子) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」35話(9月14日放送)より(C)NHK

 

吉原で生まれ育ち、江戸のメディア王に成り上がった蔦重の人生を描いた、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK総合)の第35話が9月14日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。

他人の解釈は自由自在 真実はどこへ?

越中守様こと定信(井上祐貴)は自分に対する皮肉が込められた、喜三二(尾美としのり)作の『文武二道万石通』に夢中になっていました。この作品は鎌倉時代が舞台で、源頼朝に請われ、忠臣・畠山重忠が鎌倉武士を文に秀でた者、そしてどうにもならない”ぬらくら”により分けるという話です。

『文武二道万石通』 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」35話(9月14日放送)より(C)NHK

定信はこの作品に登場するヒーローポジションの男が“梅鉢の紋”の着物を着ていることから自分がモデルになっているとと察し、「喜三二の神が私を うがってくださったのか!」「なんと ありがたきことだ!」と大喜び。また、蔦重(横浜流星)については「大明神(=蔦重)は私が ぬらくら武士どもを鍛え直し 田沼病におかされた世を 見事 立て直すことを お望みだ!」と勝手な思い込みをしていました。蔦重が田沼派であることに微塵も疑いを持たず、また自身が“ふんどし”というあだ名で呼ばれているとは全く思ってもいない様子です。

 

『文武二道万石通』は江戸で大ブームとなり、この本の売れ行きは上々。しかし、江戸市民にもこの本の本来の目的である定信に対する皮肉は伝わらず、“ふんどし”に抗うどころか、彼の評判を高めるのに一役買ったことになりました。

 

定信は江戸府内に弓術指南所を設けたり、湯島聖堂を改築したりするなど世を立て直すためにさまざまな政策を行っていると、やたら武張ったり、知ったかぶりをするトンチキが現れるようになりました。店の品を偉ぶって弓で射つトンチキ、吉原で女郎に馬役をやらせて馬の稽古ごっこを行うトンチキも…。

 

いつの時代も、人は自分よりも立場の弱い人に機会があれば威張るものなのかもしれません。身分が高くとも、真理を見抜く力に欠け、あちこちで滑稽な振る舞いをするようでは、吉原にしばしば現れたお上りさんの“キンキン野郎”と変わりありません。

越後屋の店前のトンチキ 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」35話(9月14日放送)より(C)NHK

さらに、同時期、政を例えた「その術 様々なれど絵鳶(たこ)を上ぐるに外ならぬ」という『鸚鵡言』の一節が、「凧をあげると国が治まる」と誤解釈されて広まりました。てい(橋本愛)が話すように、凧をあげたら国が治まるのであれば朗らかであるものの、現実はそんなに単純ではありません。

 

時代を問わず、大半の人たちの物事の理解というのは表面的なものなのかもしれません。世間で話題になっているからと自分も乗ってみたり、流行っているものをかじってみたりはするけれど、深く、正しく理解するところまではいたらないものです。そもそも、そんな気がないのだから…。また、お国のために“文武”といわれたところで、自らの地位の高さを誇らしく思い、その風潮を楽しむ人は多くても、文武に本心から励もうという人は意外と少ないといえそうです。

 

生と死 歌麿、生命のほとばしり

本放送では、石燕(片岡鶴太郎)と意次(渡辺謙)の死が報告されましたが、この世界で生を全うすることを決めた一人の若者もいました。歌麿(染谷将太)です。

石燕(片岡鶴太郎) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」35話(9月14日放送)より(C)NHK

歌麿はきよ(藤間爽子)を人生のパートナーにすることを決めました。母の愛を心から感じられず、火事の際に母を助けず自分だけ逃げた罪悪感に苛まれ、幸せな未来を思い描けなかった歌麿。そんな彼が「所帯を持ちたい」「俺 ちゃんとしてえんだ」という思いをきよとの再会をきっかけに抱くようになりました。

歌麿(染谷将太) きよ(藤間爽子) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」35話(9月14日放送)より(C)NHK

二人の最初の出会いは歌麿が石燕との再会前、“歌麿ならではの絵”を描くためにもがいていたときでした。歌麿が絵を描いているときに母の幻が現れ、混乱して取り乱しているとき、きよは落ちた歌麿の絵を拾い、渡してくれました。この日以降、出会うことはなかった二人でしたが、雨の日に洗濯物を急いで取り入れるきよを歌麿が偶然見かけ、再会を果たしたのです。

 

歌麿は「きよが 何 考えてんのかよく分かんないんだけど…。顔つきや動きから 何 考えてんのか考えんのが楽しくて」と、きよについて蔦重らに話していました。きよの隣で、彼女について話す歌麿の表情はやわらかく、嬉しそうです。

 

歌麿の心の変化は絵にも現れ、彼はこれまで描けなかった笑い絵を描けるようになりました。生き生きとした男女の絵には生命を感じられます。表情がにこやかで、幸せそうに笑う男女…。

歌麿の絵 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」35話(9月14日放送)より(C)NHK

歌麿は幼少期に恵まれなかったかもしれませんが、義兄の蔦重や、父や祖父のように理解し愛情を注いでくれる石燕と出会い、石燕の庭で昆虫の命に触れ、生きることの素晴らしさに目覚めました。

 

幼少期に傷を負った者は人生に絶望し、簡単には回復できないことが多いと思います。しかし、自然の中で生命を感じ、他者から愛情を注がれる中で未来に希望を抱けるようになり、生きる力が少しずつ湧いてくることがあります。心の状態や人生観が突然にして大きく変わることはあまりないかもしれませんが、時間とともにゆるやかに変わることはあります。

 

歌麿ときよは言葉でコミュニケーションをとることが難しいからこそ、世間の喧騒から一歩置いた暮らしを営み、互いについて気付き合えることがあると思います。

 

元記事で読む
の記事をもっとみる