1. トップ
  2. ライフスタイル
  3. 【認知症介護19年の体験談】つらいときの乗り越え方は? 息抜き法と支えのヒント

【認知症介護19年の体験談】つらいときの乗り越え方は? 息抜き法と支えのヒント

  • 2025.9.14

【認知症介護19年の体験談】つらいときの乗り越え方は? 息抜き法と支えのヒント

介護をされる側も、する側も、ストレスのたまる認知症介護。体験した先輩たちは、どのように大変だった時期を乗り切り、どのように息抜きや気持ちの切り替えをしていたのでしょうか? 今回は、4人の「ゆうゆう」読者の体験談をご紹介します。

『ゆうゆう』への投稿が、介護中の心の支えでした(A・Iさん 68歳/愛知県)

母の介護が一段落した途端、父に認知症の症状が出始めました。隣に住む長男家族の家を夜中の2時に訪問し「お風呂に入れさせて」と言ったり、大声で学校唱歌を歌ったり……。おむつをしていてもオシッコを漏らすようになり、とうとう私は父のお尻をたたいてしまいました。私自身が精神的に追い込まれていたようです。

その後入ったグループホームでは、職員さんに手を上げていたようですが、「大丈夫です、仕事ですから」という職員さんの言葉に救われました。介護中は『ゆうゆう』に投稿することが息抜きに。誌面の介護特集のアドバイスや同じような介護体験をしている人の言葉がありがたく、支えにもなりました。苦しかったこともあったけれど、両親が逝った今は、いい思い出となっています。

見守りがあれば認知症になっても暮らせると実感(えっこさん 55歳/東京都)

現在、訪問介護ヘルパーをしており、ともに認知機能が低下されたご夫婦のケアを週3回担当しています。レンジが物入れになっている、コンロの元栓を閉めて帰っても、ときどき開いているなどありますが、炊飯器は使えるし、洗濯や近所のコンビニへの買い物もご自身たちでできているよう。ご夫婦仲よく、にこやかに過ごされています。これからは認知症を患う方も増えていきそう。ご近所さん、介護従事者、家族など、周囲の見守りがあれば、住み慣れた家で長く生活を続けられるのではないか、と思っています。

一口の甘いものと友人とのおしゃべりが癒やしに(まりもさん 75歳/北海道)

夫は若くして緑内障を患い、結婚1年目で片方の目が見えなくなりました。それでも仕事を続けていましたが、定年を迎えた60歳頃から、「電話で誰としゃべってたか忘れる」と言いだし、病院で軽度の認知症と診断されました。ですが、「先生がおかしい、俺は認知症じゃない!」と言うばかり。さらに先生からは、「目からの刺激がないので、認知症の進行が速くなるかも」と言われたんです。

何とか進行を遅らせようと、洋服は自分で脱ぎ着させるなど、夫にはできるだけ自分のことをさせようとしました。月曜は買い物、火曜は音楽を聴く、水曜はなぞなぞ&クイズ……と曜日ごとに、できるだけ脳に刺激を与える工夫をしました。

両目が見えなくなると、朝の散歩や脳トレのなぞなぞも嫌がるようになり、病気も進行。徘徊が始まり、ついには大便を手に取って投げたり、食器に入れたりも。便や尿が漏れても汚れないパンツや、下着に手を入れられないつなぎのパジャマを作りました。困ったのはおむつ替えです。夫を支えるのはすごく重くて大変でした。何より、夫が壊れていく様子を見るのが本当につらかったです。

夫が寝た後、3時間おきに寝返りを打たせるのですが、その間の短い時間が唯一の自分の時間。好きな歌を聴いたり、糖尿病ですが疲れがピークになったときは甘いものを一口だけ食べたりしました。友人とのおしゃべりなどを気晴らしに、19年の介護をまっとうできました。

最初はためらった施設利用も介護には必要だと思いました(ムラカワさん 69歳/栃木県)

母が冬、自宅の外で倒れました。何とか一命は取り留めましたが、せん妄(もう)状態に。当時は私もフルタイムで仕事をしていたので、休暇などを使い自宅で介護しました。一番つらかったのは十分な睡眠が取れないこと。時間に関係なく「トイレ」「家に帰りたい」と騒ぐので、途方に暮れましたね。ケアマネさんが手続きをしてくださり、デイサービスやショートステイを利用することで負担を軽減できました。最初は施設利用をためらいましたが、精神面で限界を感じていたので、利用するのも介護を続けるために必要だったと思います。

※この記事は「ゆうゆう」2025年10月号(主婦の友社)の記事を、WEB掲載のために再編集したものです。

元記事で読む
の記事をもっとみる