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51歳で若年性アルツハイマーと診断【YAYOIさん・55歳】が歌で見つけた生きる楽しみとは?

  • 2025.9.12

51歳で若年性アルツハイマーと診断【YAYOIさん・55歳】が歌で見つけた生きる楽しみとは?

北海道在住のアーティスト、YAYOIさんが若年性アルツハイマーと診断されたのは、51歳のときでした。「私はいったいどうなってしまうんだろう?」大きな不安の中から唯一見いだした光は、歌を歌うことでした。

お話を伺ったのは
YAYOIさん(55歳)

やよい●1970年北海道生まれ。
高校2年生のとき、ヤマハポピュラーソングコンテストのジュニア部門で銀賞受賞。翌年のさっぽろ雪まつりでは、テーマソングの歌唱を担当した。
2021年に認知症の診断を受けて音楽活動を再開。
ほっかいどう希望大使として、情報発信にも力を注いでいる。

軽い気持ちで受けた検査で認知症を疑われる

前向きに認知症と向き合い、さまざまな活動を発信する––––「ほっかいどう希望大使」は、そんな認知症の方を任命する北海道独自の制度だ。3名いる大使のひとりがYAYOIさん。診断を受けてから本格的に音楽活動を始め、今もエネルギッシュにライブを続けている。

「51歳のときでしたか、すごく大切な仕事の約束を忘れてしまって。絶対に忘れるはずがないのに、どうしたのかと不安になりました。同じ頃、いきなりカーッと頭に血がのぼって息子に暴言を吐いてしまいました。何が原因だったのか……。もうね、『ブチ切れる』という言葉そのもの。そんなことは初めてで、すごくショックでした」

知り合いのカウンセラーに相談すると、WAIS(ウェイス)検査をすすめられたという。これは、大人を対象にした知能検査の一種。認知症を診断するものではなく、発達障害の診断などに使われることが多い。

「自分にはどんな傾向があるのかな、自分はどんな人間なのかがわかればいいなと、軽い気持ちで受けたんです」

ところが。結果が出ると電話がかかってきた。認知症と診断された人の傾向と似ているから、きちんと調べてもらったほうがいいというのだ。いくつかの検査を受けて最終的にくだされた診断は、若年性アルツハイマー型認知症。驚きはしたが、妙な納得感もあったという。

「その頃夫から、『今までと違う』『どうしちゃったの?』と言われていましたから。ああそうか、認知症だからなのか、と腑に落ちた」

自分の役割としてできること。それは歌を届けること

けれど、病気をすんなり受け入れられたわけではない。記憶がなくなるなどの認知症のイメージは、YAYOIさんをひどく苦しめた。

「夫とは子連れ再婚同士で、子どもが3人いるんです。彼らが家庭をもち子どもをもったら、たくさんサポートしてあげたいと思っていました。そういうこともできなくなるのか、自分はどうなってしまうんだろうと、とても不安でした」

買い物に行けば何を買うのか忘れてしまう。冷蔵庫には、在庫を忘れて買ってしまった食材がいくつも。落ち込む日々を過ごしながら、「何をしているときが楽しい?」と夫に聞かれて思い立ったのは、大好きな歌を歌うことだった。

「今のうちに歌っておかないと!って。歌っていると楽しいんです。歌詞の世界に入り込むと、自分じゃないもうひとりの自分になれる。これなら自信をもってできる。認知症の自分が何かできるとしたら、歌を届けることじゃないのか。そう思いました」

悔いなく生きたい。その強い気持ちが、YAYOIさんを音楽活動に導いていく。地元のよい指導者に出会い、ライブハウスで歌ううちに、少しずつお客さんも増えてきた。

認知症になってから楽しい仲間に巡り合う

現在YAYOIさんは、月に1回ほどのペースでライブを行っている。高校時代にはヤマハのポピュラーソングコンテスト(ポプコン)で入賞経験もあるYAYOIさん。ライブで歌う歌は、好きなシティポップを中心に選曲している。

「アンコールを入れると12~13曲。歌詞は忘れてしまうので、譜面台を置かせてもらっています。歌詞を指でなぞりながら歌います」

お客さんにはちょっと失礼かしらねと言いながらも、音楽の話をするYAYOIさんはとても楽しそうだ。理解あるお客さんに恵まれています、と感謝を口にする。

歌を通して前を向けるようになり、音楽活動を始めてから、YAYOIさんの周囲には支えてくれる人が次々と現れた。

「今日の取材にもサポートの方が同行してくれています。自分のスケジュールを忘れてしまうので、いつも『明日は○時に××のイベントがあります』『持ち物はこれとこれです』などと、記録が残るよう前日と当日に連絡をくれるんです。彼女たちがいなかったら、ライブ活動も続けられないと思います」

取材をそっと見守っていた、支援者のおふたりにも話を聞いてみる。

「YAYOIさんは、話していてとにかく楽しいんです。一緒にいて、いつもワクワクさせてもらって面白がっています」

「サポートは、まったくのボランティアとして活動しています。YAYOIさんは、この人の力になりたい、支えたいと思わせる魅力のある方なんです」

認知症になったら何もできなくなってしまう。社会生活は送れない––––そんな偏見をすべて打ち砕いて、YAYOIさんとお仲間たちは生き生きとしている。みんなでおしゃべりしながら、「これをやったら楽しいね」「こんな商品を作ってみない?」と、歌以外の企画が次々に打ち出されていく。

「一緒にワイワイできる方たちの存在は、本当に心強い。病気にならなければ、彼女たちとこんなふうに活動することもなかったんですよね」

認知症の私だからこそできることがある!

ほっかいどう希望大使の役割は、認知症でも希望をもって暮らせると発信すること。YAYOIさんは支援者とともに、商品プロデュースも行っている。写真の841(やよい)コーヒーは伝七珈琲の代表オーナーが、活動を応援して3種類の豆を絶妙にブレンドしてくれた自信作だ。他にもクッキーやポシェットなど、仲間たちと次々に企画を練っている。

できないことがあっても認めてもらえるんだ

現在、夫は牧師の勉強のために東京で暮らしており、YAYOIさんは一番下の息子さんと北海道でふたり暮らしだという。家事の分担などは特に決めていないが、今のところ暮らしは問題なく回っている。

「私の場合、一番の課題は時間管理なので、とにかく何ごとにも余裕をもって動くようにしています。忘れちゃいけないことは、ふせんに書いて貼っておく。忘れることを前提に行動しています」

夫は東京へ行く前に、ライブスケジュールなどを調整して支援者の方に伝えておいてくれたという。それを受けた心強い勝手連サポーターたちが、しっかりYAYOIさんのスケジュールを管理している。

認知症になって多くの人に支えられる日々を過ごすうち、YAYOIさんは考え方が変わったという。

「私はずっと、『頑張らなくちゃ』と思って生きてきました。何でも自分でできなきゃいけない、自分がしっかりしなきゃいけないと思っていました」

その思い込みはときに重荷となり、気持ちが追い詰められることもあったという。けれど病気になってから、誰かに助けを求めることに罪悪感を抱かなくなった。

「助けてもらわなければできないこと、困ることがたくさんあるから。支えてくれる方に申し訳ないと思ったこともあるけれど、皆さん喜んでいろいろやってくださる。ああ、いいんだ。できないことがあっても認めてもらえるんだって思えるようになりました」

認知症という厳しい現実を受け入れながら、YAYOIさんは周囲を信頼し、周囲から認められるという幸せな関係を紡いでいる。

今、私にできるのは歌うこと。いつか大貫妙子さんとコラボするのが夢です

幼い頃から歌うことが大好きだったYAYOIさん。長い間、歌は仕事ではなく暮らしの楽しみだったが、認知症の診断を受けてから本格的にライブ活動を始めた。SNSなどでの告知を忘れるとお客さんの数に影響するから、忘れないようにしないとねとほほ笑む。実はYAYOIさん、ひそかにあたためている夢があるという。

「学生時代、落ち込んでいるときに救いになったのが大貫妙子さんの歌。いつか大貫さんと一緒に歌うのが、私の夢なんです」。去っていった恋人が街に戻った情景を歌った『突然の贈りもの』が特にお気に入り。「あれは完結していない物語のように思います。これからどうなるのか想像しながら、しみじみと歌わせていただいています」

撮影/守澤佳崇 撮影協力/三岸好太郎美術館

※この記事は「ゆうゆう」2025年10月号(主婦の友社)の記事を、WEB掲載のために再編集したものです。

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