1. トップ
  2. 「声に惚れ惚れする」30年後も心を打つ“不器用な愛のロック” ハーフミリオンを超えた“脱力系ソング”

「声に惚れ惚れする」30年後も心を打つ“不器用な愛のロック” ハーフミリオンを超えた“脱力系ソング”

  • 2025.9.25

1995年の冬。街にはひんやりとした空気が漂い、人々は新しい年に向けての期待と同時に、どこか落ち着かない気持ちを抱えていた。駅前の雑踏ではコートに身を包んだ若者たちが足早に行き交い、カフェやカラオケでは仲間同士の笑い声が響く。けれどもその一方で、心の奥底には「これから先どうなるのだろう」という漠然とした不安が隠れていた。そんな空気の中で、過剰な飾りや虚勢を排し、むき出しの言葉をそのまま投げかけるようなロックナンバーが放たれた。

奥田民生『息子』(作詞・作曲:奥田民生)——1995年1月15日発売

ユニコーン解散後、ソロとしての活動を本格化させた奥田民生の第2弾シングル(ユニコーン時代のソロ名義をいれる3枚目)にあたる作品である。

ぶっきらぼうな声に宿るやさしさ

『息子』というタイトルには、家族を想わせる響きがあるが、実際に描かれているのはもっと身近で、誰もが一度は感じたことのある日常の情景だ。口ごもるような苛立ち、うまくいかない自分への照れ、そして周囲から投げられる軽い皮肉。そんな空気を、奥田民生は大げさに飾ることなく、そのまま口にしてしまう。

ラフに転がるようなボーカルは、不思議と聴く側の肩の力を抜き、同時にどこか笑ってしまうような痛みを残す。まるで友人が居酒屋でぼやいているのを聞いているかのような親密さと、ふと胸に突き刺さる鋭さが同居していた

説教臭さも開き直りもなく、ただ“そのまま”を歌う姿勢こそが、この曲を多くの人に自分のことのように響かせたのだ。

undefined
奥田民生-2007年撮影 (C)SANKEI

力を抜いたロックが描く日常

音楽的には決して派手ではなく、淡々と転がるリズムとシンプルなコード進行が基盤になっている。そこに奥田民生特有の脱力したボーカルが乗ることで、不思議なユーモアとリアルさが同時に立ち上がる。

力いっぱい叫ぶのではなく、あえて力を抜いて歌うことで、逆に耳に残る強さを持っていた。ユニコーン時代のカラフルさや遊び心を引きずりつつも、この曲では“日常のひとコマをそのまま差し出す”ような等身大のロックが示されている。

大げさなドラマ性はなく、むしろどこかの居間や食卓にそのまま流れ込んでくるような親しみやすさがあった。

じわりと広がった共感の証し

このシングルはハーフミリオン(50万枚)を突破するヒットを記録した。90年代半ば、音楽シーンは小室ファミリーやビーイング系アーティストが席巻していたが、その中で“飾らないロック”がこれほど広く支持されたことは特筆に値する。日常を切り取った言葉とサウンドが、リスナーの生活に自然と溶け込んでいったのだ。

特に、カラオケ文化が定着していた当時において、『息子』は「歌ってみると妙に盛り上がる」「大声で歌うとスッキリする」といった声を集め、じわじわと広まっていった。数字の上では一見派手さがないように見えても、その浸透力は確かなものがあった。

いまも残り続ける“等身大の余韻”

時代が変わっても、『息子』の歌詞やサウンドは、妙にリアルに響き続けている。完璧じゃなくていい、格好つけすぎなくていい。そんな“普通”を肯定してくれる強さが、この曲にはある。だからこそ、リリースから30年経った今も、多くの人がふと耳にすると、当時の自分を思い出してしまうのだ。

たとえば学生時代の迷いや、社会人になったばかりの不安——『息子』はそうした“通過点の記憶”を思い出させるトリガーのような存在であり続けている。

30年経った今も「息子に贈りたい曲」「涙が止まらんかった」「愛がギュウギュウに詰まった曲」「声に惚れ惚れする」など心動かされる声が止まない。

——ぶっきらぼうに見せながらも、実はとても人間くさい1曲。『息子』は、奥田民生のソロキャリア初期を彩った異彩の一曲として、今も鮮やかに記憶に刻まれている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。