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学生時代には思い描かなかった政治の世界へー 震災時に抱いた直感と両親の教えとは【細川珠生のここなら分かる政治のコト Vol.35】

  • 2025.8.28

「土のにおいのする人になってほしい」。そう語ったのは、幼少期の桑原悠津南町長に向けたご両親の言葉。今、その言葉を胸に、新潟県津南町の町長として8年目を迎え、町の将来構想と、次世代の育成、そして自身のキャリアを考える桑原悠町長のお話をお聞きしました。

お話を聞いたのは…

新潟県津南町 桑原悠町長

1986年8月4日生まれ。新潟県津南町出身。2009年 早稲田大学社会科学部卒業 (2007年から1年間、米国オレゴン大学に単位交換留学)。2009年 東京大学公共政策大学院入学、2012年 東京大学公共政策大学院修了(公共政策学修士)。2011年、長野県北部地震を機に、津南町議会議員選挙に出馬し、25歳にして初当選。2018年に津南町長選挙に出馬 し、31歳で第6代津南町長に就任。

>>新潟県津南町 桑原悠町長 公式ページ

―25歳で津南町議会議員に、31歳で町長選に出馬して当選。地方の過疎の地域にはとても珍しい若い世代、そして女性の首長さんです。将来へのリアリティも実感しながら、どのような町の将来像を描いていますか。

桑原町長:「産業を引っ張っていく次世代の育成」という観点から、2点申し上げると、1つは、医療についてです。町は長年、医師不足に悩んできましたが、昨年から木村さんと宮城さんという若手医師2名の二地域居住を取り入れたんです。町立病院の経営にも参画してもらって、その働き方が話題を呼びました。今年からさらに若手医師の千手さんという方が関わって、町立病院の経営改革のアクションをしたり、地元や県内外の生徒や大学生も巻き込んで、地域医療の新たなうねりを生みつつあります。このような、若手にインセンティブやポジションがあって活躍できる場を、他の産業においても、作っていきたいと思っています。

―この医師の方々が二地域居住されているんですか?

桑原町長:昨年まではそうでした。今年からは、完全に定住していただいて。津南町を拠点に、他県でも活動することもあります。接続が良いと2時間半で都内に行けますので。

―公立の病院は経営が厳しいところが多いようですが、若手の医師に経営に参画するというインセンティブを与えられたということですね。病院の経営再建と医師不足の解消、どちらの問題から取り組まれてのですか。

桑原町長:どちらも並行してですが、環境変化が大きく、経営改革は待ったなしだったので、経営に参画してくださる若手の医師を希望するという、こちらの意思表示もありました。こういうことを、他の産業でも広げていきたいですし、実はグランゼコールみたいなものを構想していて、実際に試行中であります。

―農業などはどうですか。お米問題から、今、農業の持続性が注目されていますが。

桑原町長:農業は就任来、法人化の立ち上がりを支援してきて、現在の法人農家は36法人となりました。30代、40代の農業者が、会社経営者として農業をする形が全町に広がっています。このご時世ですが、町内の企業数の増加、税収の増加にも寄与しています。農業は大きな変革期ですので、それぞれが創意工夫をし、思いきり成長してほしいです。

―そういう方たちは、町長と同世代で、色々お話しやすいのかなと思ったりもしますが。ところで、25歳で町議になられましたが、大学、大学院は東京ですよね。

桑原町長:子どものころは、津南といえば、冬じゅうグレーな空。雪深いまちを出て、広い世界に羽ばたきたいと思う、向上心のある子どもだったと思います。親からは、「ここ(津南)が原点だということを忘れるな」、「土のにおいのする人に(現場の声が分かる人に、という意味かなと思いますが)」と言われ、育ちました。

―25歳の時に、いわゆるUターン。それも選挙に出るって、一体何が(笑)?

桑原町長:一言で言えば、「郷土愛」でしょうかね…。東日本大震災と長野県北部地震の年だったんです。東京で地元が被災しているのをテレビで見ました。私、その時、東大の図書館にいたんですが、一刻も早く帰って手伝わなきゃって、その時の直感でUターンすることにしました。

―東大の大学院に行かれたのは、政治家を志していたのですか。

桑原町長:いえ、全然。しかも、何になりたいというより、東京生活も満喫していましたし(笑)、いいお相手を見つけて、どちらかというと、自分がサポートする方に回る人生を描いていました。

―キャリア志向ではなかったのですか?

桑原町長:違いましたね。でも、結局、やりたいことを自分でやった方が早い、って思って。

―ご両親はなんておっしゃいましたか?

桑原町長:選挙に出るのは基本的には反対でした。最終的には家族も、親戚も、町の人たちも、「よく帰ってきたな」というのが8割。2割くらいは、「学卒に何がわかる」という反応でした。ただ、当時も、すでに女性議員が3分の1近くいましたし、早くに県内初の女性議長を出した議会でもあるので、そういう意味では女性が政治に参画するという土壌があったのかもしれません。

―そこからまた町長に就任するというのも、31歳ですから、とても珍しいことだと思います。

桑原町長:議員になり、結婚出産を経験して、母となったときに、子どもたちが大きくなった時に良いまちにしたい、良い形で受け継いでほしい、と思ったことが、町長に挑戦した原動力ですね。

―とはいっても、町長は、全分野について方向性を示し、行政として執行します。ご自身も子育て中ということもありますし、結構タフなお仕事と思いますが、町長という仕事の魅力はなんですか。

桑原町長:人々に最も近く、生活に密着した現場を、自治体の独自性と機動力をもって動かし、良くすることができることは、大きなやりがいです。自治体でできることもあれば、国レベルでしかできないこともあり、打ち手の規模は限られますが、変化が現れてくると、心の中で小さくガッツポーズするような気持ちになるんです。

―「都会で疲れた女性たちのための地域としての存在」を模索されていると伺っています。

桑原町長:地方創生の議論と連動させ、都会の女性の問題を、都会の中だけで解決しようとしなくても良いのではないかと思ったんです。競争が過熱し、肉体的にも精神的にも追い込まれてしまっている人たちがいます。地方の職場や生活環境を魅力的にすることで、そのような厳しい環境に陥っている人や、辛い思いをしている人たちの受け皿となれないだろうか、などと考えました。実際、ある程度の年齢になってから出身地に帰る動きや、出産や離婚など人生の転換を機に実家に戻る方もいらっしゃり、そのような方がそのまま住まわれている話もよく聞きます。「地方×女性」というように厚めの支援が受けられる仕組みにしたり、それを特定の業界や都心部で苦しい環境にある方に対して、厚めに周知するなど、よりメリハリのついた活動にすることで、男女共同参画の面でも、地方創生の面でも、施策の効果を高めることが可能なのではないかと思っています。観光は女性や若手がリードできる産業なので、活躍できる環境をさらに整えていきたいと考えています。さらにそれを広域でも進めたい。ぜひ応援してください!

取材・文/政治ジャーナリスト 細川珠生

政治ジャーナリスト 細川珠生

聖心女子大学大学院文学研究科修了、人間科学修士(教育研究領域)。20代よりフリーランスのジャーナリストとして政治、教育、地方自治、エネルギーなどを取材。一男を育てながら、品川区教育委員会委員、千葉工業大学理事、三井住友建設(株)社外取締役などを歴任。現在は、内閣府男女共同参画会議議員、新しい地方経済・生活環境創生有識者会議委員、原子力発電環境整備機構評議員などを務める。Podcast「細川珠生の気になる珠手箱」に出演中。

(細川珠生)

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