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人の種類は喜怒哀楽の4タイプ。顔にはいずれかの感情が貼り付いている。

  • 2025.8.10

あなたは、喜怒哀楽のうちどの感情が一番顔に出ているのか?

喜怒哀楽が激しい。喜怒哀楽が乏しい……どちらもネガティブなニュアンスを孕んでいる。感情の起伏が激しいことも、感情をあまり表せないことも、人としてどうだろうというような。言うまでもなく、喜怒哀楽は一時的な感情の移り変わりを示しているわけだけれども、ふと思ったのは、喜怒哀楽って人間を4タイプに分ける究極の要素だとも言えるのではないかということ。

つまり人間は、どれか一つの感情に寄りやすい生き物だと言いたいのだ。そしてその特定の感情が、いつの間にか貼りついてしまっているのが人間の顔。だから人は、喜怒哀楽どれかのイメージを宿して生きていると言ってもいいのである。

だとしたら、あなたは一体どのタイプなのか? いやたぶん、自分ではわからない。イメージを正確に自覚するのは難しく、自分自身が思っているイメージと、他者から見たイメージって意外なほど違うもの。そのギャップを知っておかないと、思い通りの人生にならないかもしれないから、早いところ気づいておきたいのだ。自分の顔に貼りついている感情を。

そう、一番ありがちなのは、自分ではいつも朗らかに笑顔で生きているつもりでいる人が、他者の目から見るとむしろいつも怒っているようにしか見えなかったりすること。それってとても不幸なことだ。顔立ちの問題もあるし、もちろん心の問題もある。しかし、️顔が示しているイメージは、どうにも否定してまわることができないものだけに、そうしたギャップも誤解も、早いところ解いておきたいのである。

さぁ、あなたは喜怒哀楽どのタイプだろう。まずは自分の感情を覗いてみてほしい。一日に一番感じる感情は喜怒哀楽のどれなのか、知らず知らず自分を支配しているのはどんな感情なのか。そこで瞑想みたいに目を閉じて頭を空っぽにした時、自然に浮かんでくるのはいかなる感情か? ちょっと占ってみてほしい。次々に浮かんでは消えていくたくさんの思考で、一番多かったのは、喜びか、怒りか、哀しみか、はたまた楽しいことか、ざっくりでいいから、その割合を出してみる。そういうふうに自分の感情を見つめることはなかったはずだから。

ちなみに、喜怒哀楽という言葉の起源がある中国には、五情、および七情という感情のカテゴリーがある。五情は喜怒哀楽+怨、あるいは喜怒哀楽+欲、と定義されている。確かに怨みや欲も、顔に貼りつきやすいが、これらはもっと人生が深まってからやってくる感情だけに、さすがにイメージを支配するほど顔に表れている人は少ないはず。

でも稀に、全身に5つくらいのハイブランドを身につけまくっている人は、やっぱり顔に「欲」が貼りついている。他の感情が全然見えなくなるほどに金目のもので固めているから。内面が顔に出るって、要はそういうことなのだ。

感情が貼りつき、価値観が貼りつく。そして時には誰かに対する怨みだって貼りついてしまう。さて、あなたの顔には、一体何が貼りついているのだろう。

怒っていないのに「怒」顔の人、顔立ちそのものが「哀」顔の人

こんな人がいた。あの人って笑顔がない人だね。いつも怒っているみたいに見える……そんなふうに噂するその人自身にも、実は笑顔がなく、正直、笑わない人だなといつも思っていた。人柄をよく知っているから、怒っているとは思わなかったが、知らない人は、彼女を「怒」の人と思うのだろう。もっと表情が柔らかならば、本当に素敵な人なのに。それこそ、人って自分のことはわからないのだ。もちろん、ということは自分も? と我が身を振り返ってみたりしたけれど。

問題は、自分は笑っているつもりなのに、他人から見ると笑っているようには見えない、不完全な笑顔で毎日を生きてしまっている人が多いこと。うまく笑えない人は、さらに顔の筋肉が固まって、もっと笑えなくなる。だから今すぐ意識して口角を大げさに上げて笑うくせをつけてほしいのだ。それだけで人間関係は明らかに変わるはずだから。

人間は笑わないと、なぜか「哀」ではなく、「怒」の顔になってしまう。「怒」も「哀」も、体のまわりに負のオーラを放ってしまうが、そのオーラで人を凍りつかせるのは、「怒」のオーラだけ。だから無意識に怒りを顔に貼りつけてしまう人ほど、人生で損をするのだ。

一方、自分の笑った顔が嫌いだから、笑わない人もいる。だから必然的にいつも怒っているように見えるのが、ヴィクトリア・ベッカム。かつて一世を風靡したスパイス・ガールズ時代も一人だけ笑わず、逆にクールで気取った印象が人気だったりもしたから、堂々と今も同じ顔で人生を生きているのだろう。実は“怒って見えること”も人の魅力の一つという見方もあるし、そういう女性が好きというマニアもいるのは確か。しかし極めてリスキーだ。そこを狙って笑わない選択はあるけれど、中途半端だと損をするだけ。人間は笑いながら怒れない。怒りながら笑えない。ともかくそういうメカニズムになっていて、年中怒っていると必ず顔に険が表れるのは、一つの罰なのかもしれないから。

そして、喜怒哀楽の「哀」。哀愁やら影やらがあることの魅力もなくはないが、これが顔に貼りついていると、不幸そうに見えるからやっぱり人を遠ざける。人を遠ざけたいから、あえてそういう顔で生きているならいいけれど。理屈ではなく、喜びが見えない顔立ちってあって、自分がそういう顔印象であるのに気づかないのもまた不幸。

ある研究で、頰に肉がないと幸せ顔に見えないというデータがあったが、そういう傾向にある顔は意識して、頰高に微笑み顔をつくるようにしてほしい。頰に丸くチークを塗るのも一つの手。そして、必要以上に痩せすぎてはいけないのも、「哀」顔にならないためなのだ。

ちなみにイギリスのヴィクトリア女王は、夫が亡くなった後、40年も喪服を着続けて国民にも無言で哀しみを強要したとされる。周囲への影響力が大きい立場の者が「哀」のオーラを出すと、その不幸感をまわりに伝染させてしまうことだけは覚えておきたい。

喜怒哀楽があるのは悪いことではない。でも感情は一時的なもの、「怒」と「哀」を固定化させてはいけないのだ。

見る人を喜ばせる「喜」の人、見る人を楽にさせる「楽」の人

喜怒哀楽を何一つ感じさせない顔もあって、ある意味それは印象のない顔。何度会っても覚えられない顔ってたぶんそういう顔なのだ。無表情という意味ではなく、喜怒哀楽のどれも感じさせない顔という意味で。そこでできるならば、「喜」と「楽」を多少とも感じさせる顔立ちをつくりたいのだ。常にプラス思考である人には必ず「喜」と「楽」が多少とも貼りついているはずだから。

ただよく言われるのは、「喜」と「楽」の差がわからないということ。ならばこう考えてみてはどうか。「喜」が宿った顔は、見る人を喜ばせ、「楽」が宿った顔は人を楽にさせる……。

たとえばだけれど、いずれ劣らぬ美人女優にして若手随一の演技派、広瀬すずと浜辺美波。とてもよく似た二人だけれど、見る人を喜ばせるのは広瀬すず、見る人を楽にさせるのは浜辺美波、といったふうに……。一世代上で考えるなら、見る人を喜ばせるのが長澤まさみ、見る人を楽にさせるのが綾瀬はるか、といったふうに……。こうしてみるとわかるはず。女優として成功し、どんな役に挑んでも好感度が変わらないのは、必ず“喜と楽”、どちらかを顔に宿している。美しさの中に「喜」と「楽」が混じり込んでいることの大切さに、ぜひとも気づいてほしいのだ。美しさと、とりわけ相性がよいことも。

さらに言えば、誰が見ても“笑顔”顔と言える佐藤栞里などは、人に喜びも与えるし、人を楽にもする。見る人を丸ごとプラスに持っていく力があると言ってもいい。

ちなみに喜怒哀楽の顔印象には、肌の質も関係している。見ていて、喜びを感じたり楽になったりする肌があるということ。逆にちょっと怒っているように見える肌や、哀しみに満ちた肌もある。肌状態も感情を語っていること、きっとわかるはずだ。それこそゴワゴワと硬そうならば肌も怒って見えるし、くすんでいて不安定そうならば、やっぱり哀しく見えてしまう。顔立ちに負が貼りついていなくても、肌状態だけでそんなオーラが出てしまうこと、肝に銘じておきたいのである。

さぁ、あなたは自分の顔に喜怒哀楽の何を宿しているのか? 意図しない何を貼りつけているのか? 本気で精査してみてほしい。一つの方法は外出先でいきなり鏡を覗くこと。鏡を見つけたら、表情を変えずに近づいてみて。その時に見えた表情は客観的に、自分が普段どんな感情で生きているかを示している。ちょっと驚くぐらい怒っていたり、すごく哀しそうだったり。さっそくこの話を思い出し、意識して「喜」と「楽」を宿す顔づくりを始めよう。よりよい人生のために。

外出先で、いきなり鏡を覗くこと。鏡を見つけたら、表情を変えずに近づいてみて。その時に見えた表情は喜怒哀楽のどれだったか? 怒っていたり、すごく哀しそうだったりしたら、さっそく「喜」と「楽」を宿す顔づくりを始めよう。よりよい人生のために。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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