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伊勢神宮で古くから行われる「お祓い」の儀式と「御塩」の意味

  • 2025.7.31

永遠の聖地、伊勢神宮を巡る

伊勢神宮7月
神宮で行われる大祓(おおはらい)の様子。榊の枝に麻苧(あさお)を付けた大麻(おおぬさ)と呼ばれる祓い具で、神職たちを祓い清める。すべてが清らかな姿に、見ていた子どもが思わず「きれい」と声を上げた。

何度訪れても、いつ参拝しても、伊勢の神宮は清々しい。

そう思う理由の1つに、伊勢神宮の内宮に流れる五十鈴川の存在がある。清らかな流れと心洗われる瀬音、そして、内宮の御手洗場(みたらし)で手を清めるときの、ひんやりとした水の感触。五感を伴って刻まれたその清々しさの記憶は、神宮という言葉とともに鮮やかに蘇ってくる。

五十鈴川の清らかな流れ。
五十鈴川の清らかな流れ。

伊勢神宮の大祓(おおはらい)とは

 

神宮の大祓は、毎年6月、12月の晦日(みそか=月の最後の日)と、大祭が行われる前の月、たとえば、2月の祈年祭のための大祓は、前の月である1月の晦日、というように、4月、5月、9月、10月、11月の晦日の、計8回行われている。大祭に先立ち、大宮司以下の神職や楽師たちが、内宮の第一鳥居近くの、注連縄が張られた「祓所(はらえど)」と呼ばれる場所で、それぞれの罪や穢れを祓い清めるのだ。

神道でいう罪や穢れは、日常生活の中で知らず知らずのうちに身に付いてしまったさまざまなものを指す。一説では、罪は「包む身(つつむみ)、穢れは「気枯(けが)れ」を指し、人間本来の姿を包んで隠してしまうことが罪であり、「気」を枯らす、つまり、生命力を減退させてしまうのが穢れだと言われている。つまり、人間はもともとすばらしい体を持ちながら、それを覆い隠すようなものが付着するために本来の姿が隠れてしまい、病気や災難に遭うなどの好ましくない状態になってしまう、というのだ。

内宮の五十鈴川の川辺で行われる大祓を終え、斎館に戻る神職たち。
内宮の五十鈴川の川辺で行われる大祓を終え、斎館に戻る神職たち。

禊は水で身を清めること、祓いは水や火、塩、さらに祓い具などによって罪や穢れを除き去ること

 

そんな罪や穢れを除き去るため、日本では古来、禊(みそぎ)や祓いが行われてきた。

 

禊とは、水を使って身を清めること。特に海や川などの清らかな水は、穢れを浄化する神聖な力があるとされ、古くは神前に流れている川で身を清めたという。内宮の御手洗場も、本来は神宮の祭祀に関わる人々が禊をする場所だった。現在お参りの前に手水舎で手を洗い、口をすすぐのも、簡略化された禊を行っていると考えられている。

一方祓いは、水や火、塩、さらに祓い具などによって罪や穢れを除き去ること。神社で正式参拝をしたことがある人なら、神事に先立ち、神職が祓いの詞(ことば)である祓詞(はらえことば=)を奏上した後で、大麻(おおぬさ)、つまり、榊の枝や素木(しらき)の棒に、白い紙を特殊な断ち方をして折った紙垂(しで)や、麻の繊維を原料とした麻苧(あさお)と呼ばれる糸を付けた祓い具で、参列者の頭上を左右左と振る、修祓(しゅばつ)の儀式に立ち会ったことがあるだろう。

手水舎は、簡略とはいえ、心静かに身を清める禊の場所。内宮の別宮、瀧原宮で。
手水舎は、簡略とはいえ、心静かに身を清める禊の場所。内宮の別宮、瀧原宮で。

たとえ意味は知らなくても、神社でお参りすることは、参拝者それぞれが、古来重視されてきた禊や祓いを簡略ながらも行って、心身を清浄にし、その上で神前に進み出るという行為をしているわけだ。

 

ケからハレへ神社をお参りしようという思い自体が浄化作用に繋がっている

 

「祝詞では、よく『今日の生日(いくひ)の足る日』、つまり、『今日は生き生きとした満ち足りた日である』という文言が使われます。神社にお参りに来るのは、まさにそんな日で、日常であるケの状態からハレになるということです。つまり、神社にお参りをするという発想を思いつくこと自体が、自分をケからハレに変えることであり、その人の中で浄化作用である祓いを行っていると、私は思います」

神宮の広報室次長の音羽悟さんは言う。

 

興味深いのは、罪や穢れが道徳的、人為的なものだけではないということだ。

 

「たとえば落雷や大雨に遭うなど、自然界で発生するいろいろな災異を受けてしまうことも、自分の常日頃の行いに罪や穢れがあるからだと、古代人は考えていたのです」と音羽さん。

 

古代においての罪や穢れは、個人の問題だけでなく、共同社会の幸福発展にとっても障害となると考えられていたようだ。

大祓の儀式も、もとは国家の神事として行われるものだった。8世紀に制定された『神祇令(じんぎりょう=国家祭祀の根本的な事柄をまとめたもの)』によれば、毎年6月と12月に、恒例の神事として大祓を行うことが定められていたという。

大祓では、まず神職それぞれに榊の枝が手渡される。
大祓では、まず神職それぞれに榊の枝が手渡される。
権禰宜が大麻の前
権禰宜が大麻の前で、細かく切った白い紙(切麻=きりぬさとも呼ばれる)と米粒を左右左と散ずる「銭切(せんぎり)」、「散米(さんまい)」の所作を行った後、大祓詞を微音で唱える。その間、神職たちは榊を手に平伏。

「古代人はサイクルをとても大事にしていました。繰り返すという循環の中で、節目節目に祓いを行って原点に立ち返る。つまり、本来祓いとは、人間が社会生活を営む上で、必要最低限守らなければならない規範であり、原点回帰でもあって、ものごとが秩序正しく循環していくために規則正しく行っていく、そこに意義があると私は考えています」

 

加えて、災害や天変地異など、もろもろの忌まわしいことが起こったときも、臨時で大祓が行われることがあったという。それによって、国土上の一切の罪や穢れが祓われて、災いを除け、吉祥を招くことができると信じられていたのである。

 

祓い具で祓い清められた後、神職たちは低頭して小さく2度、柏手を打ち、榊に息を吹きかける。
祓い具で祓い清められた後、神職たちは低頭して小さく2度、柏手を打ち、榊に息を吹きかける。

神話から紐解く、祓いが吉祥を招く理由

 

だが、ここで疑問も起こる。なぜ祓いをすることで、吉祥を招くことができるのか。

その答えを導くヒントは、神話の中に記されている。

 

『古事記』によれば、イザナギノミコトが、亡き妻のイザナミノミコトに会いたくなって黄泉(よみ)の国を訪れた際、穢れに触れ、それを祓うために、身にまとっていた衣類や所持品を投げ捨てて海水に浸かったとされ、これが禊のはじまりと言われている。だが、神話はそこで終わらない。イザナギノミコトは、それを機に次々と神々を生み、最後に天照大御神と月讀命(つきよみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)の3貴神を生んだ。つまり、最も貴いとされる3柱の神々は、イザナギノミコトが罪や穢れを除き去った後に生まれたのである。

 

では、国家の神事である大祓とは、どのようなものだったのだろう。

 

奈良時代に朝廷で行われていた6月と12月の恒例の大祓では、平城京の正門である朱雀門の前に官吏などの男女が集まり、まず大祓詞(おおはらえのことば)が読み上げられた後、祓いを受けたとされている。さらに、各々が自身の身代わりとなる形代(かたしろ)の木製の人形(ひとかた)を撫で、もしくは息を吹きかけて、罪や穢れを人形に付着させ、川や溝に流したという。

 

現在6月の晦日に、各地の神社で行われる「夏越(なごし)の祓え」は、そんな大祓の儀式が民間に定着した行事。広く「茅の輪くぐり」で知られているものの、神社によっては、氏子が人形で体を撫で、神社に納める風習が今も根強く残っている。人間が知らず知らずのうちに身に付けた罪や穢れを除き去るという禊や祓いの風習は、さまざまな形で一般にも広く浸透し、今に受け継がれているのだ。

 

榊が用いられる神宮の大祓と大祓詞の謎

 

一方、神宮で行われる大祓では、人形ではなく、榊の枝が用いられる。

大祓が始まるのは、午後3時(1月、4月、10月、11月、12月)、もしくは4時(5月、6月、9月)。五十鈴川の瀬音が聞こえる祓所で、まず榊を手渡された神職や楽師たちは、権禰宜が大祓詞を微音で唱える間、榊を手に平伏(へいふく)。終わると、大麻による祓いを受け、各々手にした榊に息を吹きかける。その榊は、儀式が終わった後で五十鈴川に流されるのだ。

 

ちなみに、大祓詞とは、平安時代中期に編纂された『延喜式』に記載されている、28篇の祝詞の1つ。千数百年以上も前から唱えられてきた、日本最古の祝詞と言われている。なかでも注目したいのは、その後半部分。人々が知らず知らずのうちに犯した罪事(つみごと)は、祓戸(はらえど)4神と呼ばれる4柱の神々のはたらきにより、山から川へと流れ落ち、さらに大海原へ持ち出されて潮の流れに乗り、海底に進んだ後、最後は根の国底の国で消滅するという内容になっている。

 

神宮の大祓の儀式が川辺で行われるのも、それぞれの罪や穢れを移した榊を川に流すのも、すべて大祓詞に則ってのことなのだ。

 

「大祓詞には意味がわからない部分が多々あります。たとえば、冒頭部分に登場するカムロギノミコトとカムロミノミコトとは、どんな神様なのか。『古事記』や『日本書紀』には記載がなく、大祓詞にしか登場しないため、具体的なことがわかりません。もっとも、大祓詞は呪言(じゅごん=呪的な目的を果たすために唱える言葉)であり、唱えるということが、何より大事なのだと思います」

祓いに塩が用いられるのは、罪や穢れを消滅させる海のエキスが詰まっているから?

思えば、修祓などの祓いで、塩や塩湯(えんとう=塩を溶かした湯)が用いられるのも、大祓詞によるのだろう。日本の塩は、海水を採取して作られている。つまり、罪や穢れを消滅させる海のエキスが詰まっている、とも言えるのだ。

 

神宮では、神事に用いられる塩を御塩(みしお)と呼び、内宮鎮座当時から、二見浦(ふたみがうら)の御塩がお供えされたと伝えられている。現在は、五十鈴川の川水と伊勢湾の海水が混じる、汐合(しおあい)と呼ばれる地に設けられた御塩浜で、日本の伝統的な製塩法である入浜(いりはま)式塩田法を用いて製塩されている。

 

さまざまな工程を経て、最終的に、三角錐の形に焼き固められた堅塩(かたしお)は、祓い清めに用いる際は砕いて粉状にし、神饌としてお供えするときは、砕いた塊を用いるという。

お塩つくり
神宮では入浜式塩田と呼ばれる伝統的な製法で御塩作りが行われている。まず潮の満ち引きを利用して海水を塩田に入れ、砂に塩分を付着させて天日で乾燥。砂をかき起こして鹹水(かんすい=濃度の濃い塩水)を採取する。
採取した鹹水を煮詰めて塩を精製。
採取した鹹水を煮詰めて塩を精製。

「神事で塩が用いられるのは、海そのものがすべての原点になっていることも大きいと思います。『古事記』でも、イザナギノミコトとイザナミノミコトが、天の浮き橋から海に矛を下ろし、海水を『こおろ、こおろ』と掻き鳴らして矛を引き上げると、その先から海水がしたたり落ち、塩が固まって島ができたと記されています。つまり古代人は、海からすべてが生まれるという考え方を持っていたと、私は思うのです」

祓い清め
御塩はさまざまな場面で用いられる。おまつりに先立ち、修祓で神饌や神職を祓い清めるのはもちろん、月次祭の由貴夕大御饌(ゆきのゆうおおみけ)の翌日、勅使が天皇陛下の幣帛(へいはく)を奉る奉幣の儀でも、内宮の第二鳥居で、幣帛が納められた辛櫃(からひつ)の御塩での祓い清めが行われる。

たしかに塩や塩湯でお清めされるのは、大麻による祓いを受け、罪や穢れを除き去った後のことである。『古事記』の中で、イザナギノミコトが禊や祓いを行った後で3貴神を生んだように、人も祓いを受けて原点に立ち返ることで、何か新たなものを生むことができるのかもしれない。

 

長い歴史を持つ禊や祓いの世界。知れば知るほど奥が深い。

 

Photograph by Akihiko Horiuchi

Text by Misa Horiuchi

伊勢神宮

皇大神宮(内宮)

三重県伊勢市宇治館町1

豊受大神宮(外宮)

三重県伊勢市豊川町279

文・堀内みさ

文筆家

クラシック音楽の取材でヨーロッパに行った際、日本についていろいろ質問され、ほとんど答えられなかった体験が発端となり、日本の音楽、文化、祈りの姿などの取材を開始。今年で16年目に突入。著書に『おとなの奈良 心を澄ます旅』『おとなの奈良 絶景を旅する』(ともに淡交社)『カムイの世界』(新潮社)など。

 

写真・堀内昭彦

写真家
現在、神宮を中心に日本の祈りをテーマに撮影。写真集「アイヌの祈り」(求龍堂)「ブラームス音楽の森へ」(世界文化社)等がある。バッハとエバンス、そして聖なる山をこよなく愛する写真家でもある。

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