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【黒柳徹子】昭和の作家の文章は、やっぱり「うまい」んだと思います

  • 2025.7.13
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第38回】小説家・劇作家・演出家 有吉佐和子さん

今回は、作家の有吉佐和子さんについてお話しします。といっても、有吉さんと私とはそんなに深い親交があったわけではありません。ただ、テレビにはあまりお出にならなかったという有吉さんも「徹子の部屋」には出ていただいていて、その前後に偶然、宝塚劇場の前あたりでお会いして、立ち話をした記憶があります。あとは、タモリさんが司会をしていたお昼の番組「笑っていいとも!」で、なぜか私と有吉さんが電波ジャックをしたことになっていて……。

なぜ今更そんな40年以上も前のことが蒸し返されているんだろうと調べてもらったら、2年前にタモリさんが放送文化の向上に貢献したことを表彰されて、その贈賞式で、「『笑っていいとも!』で全部のコーナーをぶち壊して、最後まで一人で喋っていったゲストが2人いる。有吉佐和子さんと黒柳徹子さんだ。ひどい人たちです」とスピーチしたことが発端みたい(笑)。私は、電波ジャックをしたつもりなんてなくて、タモリさんが「うんうん、それで?」って話を聞いてくれたから、いつも通りに私が面白いと思った話を披露しただけだし、多分有吉さんもそうだったと思うの。だから、タモリさんは、生放送のハプニングを懐かしむ意味で話したんじゃないかしら。でも、当時の番組をご覧になっていた方からすると、有吉さんと私は、「よく喋る人」という印象があるんでしょうね。

私が有吉さんに直接会ったのは2回ぐらいですが、そのときは「よく喋る人」なんて思いませんでした。お会いしたときの雰囲気以上に、私にとって印象的だったのは、やっぱり有吉さんの書かれた作品のほうです。ご自身の家系をモデルにして書いたとされる『紀ノ川』という小説を読んだときは、登場する女性たちの心情が、生まれ育った環境や時代に影響されながらも、川の流れのように起伏を持って鮮明に描かれていて、「うまいな」と思いましたし、とても感動しました。小さな女の子が自我を持つようになって「自分らしい人生を生きたい」と願うとき、最初に強く影響を受けるのは女親の考え方なのでしょう。有吉さんも、作家になってから実質的に秘書の役を務めていらしたお母様の影響を強く受けていたそうです。そこは、有吉さんと私のわかりやすい共通点。今、NHKのBSで私の母をモデルにした朝ドラ「チョッちゃん」が再放送されていますが、あの魂の自由な、朗らかでたくましい母がいなかったら、今の私はなかった。それは間違いないです(笑)。

今、有吉さんの『青い壺』という小説が再評価されて、すごく売れていると聞きました。あいにく、その作品を私は読んでいないんですが、向田(邦子)さんにしても、森茉莉さんにしても、昭和の作家の文章は、やっぱり「うまい」んだと思います。「お上手」っていう感じのうまさじゃなくて、自分の感情を見透かされたような気分になって、「うまいなぁ」ってしみじみする、いつの時代にも、人の心にズシンと響く、そんな感じのうまさ。

有吉さんには社会派のイメージもあって、認知症の問題を文学作品の中でいち早く扱って、森繁久彌さん主演で映画化もされた『恍惚の人』や、化学物質の人体への影響に言及した『複合汚染』なんかは、50年も前に書かれたものなのに、テーマが全く古くなっていないのがすごい。実際、「主題は常に私の中から湧き出たもので、どれもこれも現代を生きている私と関わりがある重大な問題なのだ」「男が書き漏らしているところを、女が書き改めなければならないという意識は常に持っています」などと語っていらしたようです。ただ、20代でデビューした当時は、「大した苦労もしていないのに、頭の中だけで書きやがって」みたいな、男の作家や大御所の評論家からの嫉妬や偏見もあったんですって。

有吉さんは1984年に53歳の若さで亡くなりました。でも、遺された作品は、これからもずっと読み継がれるでしょうし、手がけた戯曲は、この先も演じ継がれていくと思うのです。だってそれは、普遍的な、本物の感情を描いていますから。

有吉佐和子さん

小説家・劇作家・演出家

有吉佐和子さん

1931年生まれ。和歌山県出身。1956年『地唄』が芥川賞候補となり文壇に登場。理知的な視点と旺盛な好奇心で、日本の歴史や伝統芸能のみならず、環境問題、高齢化社会などの社会問題に切り込んだ多彩な小説世界を開花させる。代表作に、生まれ故郷・紀州を舞台にした年代記『紀ノ川』『有田川』『日高川』の三部作、一人の外科医のために献身する嫁姑の葛藤を描いた『華岡青洲の妻』(1967年女流文学賞受賞)など。また劇作家としても活躍し、『華岡青洲の妻』『ふるあめりかに袖はぬらさじ』『三婆』などは令和の現在も上演されている。84年、杉並区の自宅にて急性心不全で死去。享年53。

─ 今月の審美言 ─

昭和の作家の文章は、やっぱり「うまい」んだと思います。いつの時代にも、人の心にズシンと響く、そんな感じのうまさ。

取材・文/菊地陽子 写真提供/KODANSHA・アフロ

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