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“コスギの住民”への取材をもとに小説化!『武蔵小杉のタワマンに、マウント合戦なんてない。』

  • 2025.7.8

東横線の中でも独自の進化を遂げる武蔵小杉。そこに住む人々の行動原理を知るべく、複数名の在住者へのヒアリングを敢行。

見えてきたのは特有の生態系と価値観。そんな彼女たちの日常を小説にしてみた。

「多摩川を越える=東京というステージから一段降りる」気がしていたけど…
東京カレンダー


武蔵小杉に引っ越してきてから数年が経つ。この春、息子の陸は小学生になった。

エレベーターホールで、登校していく背中を見送りながら、ふとこの街に来てからの日々を思い出したのだった。

夫の耕太に「武蔵小杉のタワーマンションに引っ越さない?」と相談されたときは、正直複雑な気持ちだったのを覚えている。

私は地方から大学進学をきっかけに東京に出てきて、そのまま就職した。職場は赤坂で、住んでいるところは麻布十番。独身時代からずっと港区で暮らしてきたのだ。夢も希望もあれば、残酷さもある──そんな東京という街で“戦う”ことが、負けず嫌いな自分の性に合っていると思っていた。

30歳にもなると、仕事も遊びもそれなりに楽しくなり、東京になじんでいる自分が嬉しくもあった。だから結婚してからもずっと都内に住むのだろうと漠然と思っていたのだ。

耕太の実家が東横線の元住吉にあり、将来子育てを考えると実家に近い方が安心だというのが理由。

子どもがいるいまでこそ、この判断は本当に正解だったのだが、当時の私は、子どもを産み育てることがあまり想像できなかった。そして、“多摩川を越える=東京というステージから一段降りる”ような気がしていて、素直にうなずけない自分がいたのだ。

それでも耕太に促されて内見に行くと、駅からすぐのタワマン29階に心は躍った。抜けのいい眺望にホテルのようなエントランス。小奇麗な内廊下に共有スペース。想像していなかった生活がここで始まる──。

私の自尊心は意外にもすぐ満たされた。悪くはない。半分、自分に言い聞かせるように引っ越しを決めたのだった。

武蔵小杉のタワマンに暮らし始めると徐々に“暮らしやすさ”や“便利さ”を実感。各階に設置されている、24時間いつでも出せるゴミ置き場、外に出れば役所やスーパーなども近くにあり、想像していたより生活は快適だった。

だが、都内で飲むときには、電車の時間を気にしなければならないし、かといってこの街で惹かれるような星付きレストランや、洗練されたバーはまだ見つけられていない。その点は少し不満に思っていた。

ジャージ×バーキンを近所のカフェで見ることはもうない


同じマンションに住む人々は内見でも思ったとおり皆感じがよく、服装はカジュアルな人が多い。ブランドずくめのギラギラ感もなくて頑張りすぎず、かといって無頓着でもない。そんな程良い感じが街の雰囲気を物語っていた。

耕太によると、タワマン内で行われているワイン会で知り合った武蔵小杉に住む人々は、士業やパイロット、大企業勤めのサラリーマンなど、安定した職業に就いた人が多いらしい。

港区で遭遇した“ジャージにバーキン”のような、主張が強めの富裕層は見かけなくなった。散歩をすれば、ベビーカーを押す夫婦がたくさんいる。そんな光景はいままで暮らしていた都心とは世界が違って見えて、軽いカルチャーショックを受けた。

しばらくしてから、私たちは幸運にも子どもを授かることができた。とはいえ、やはり自分が子を持つ親になることが、何だか信じられなかった。

そして妊娠5ヶ月が過ぎて安定期に入った頃、マタニティ&子連れヨガに通うことに決めたのだ。そこで出会った理沙さんは、いまでも子育ての相談をし合ったりできる、貴重なママ友のひとりだ。

彼女は、うちからすぐ近くのタワマンの最上階に住む2児の母で、元々は客室乗務員、旦那様は弁護士というドラマに出てくるようなスペック。だけど、いわゆる“最上階マウント”をするようなマダムとは真逆の、堅実で等身大なところに好感を持てた。

慣れない街で、いろんな話ができる友達ができたことは何よりも救いだ。

週末のクラブ通いを経て週3のグランツリー通いが板についた
東京カレンダー


港区に住んでいたころの私は、自分がどう見られるかをとても気にしていて、周りの女性たちに、何かにつけて勝とうとしていた。

そんな名残もあって、赤ちゃんグッズなどはあえて“グランツリー”では買わずに、都内の高級デパートまで買いに行っていたのだ。

あるとき、理沙さんと“グランツリー”に一緒に行った事がきっかけで、初めて『アカチャンホンポ』で買い物をした。あまりにも完璧な品ぞろえとコスパの良さを知り、いままで見栄を張って買いに行かなかった自分を恥じたのだった。

星付き店のディナーもいいけど、近所のイタリアンが心地良い


無事に陸が生まれてからは、初めての子育てに右往左往する毎日。そんな傍ら、耕太は子どもが生まれる前と変わらず遅くまで仕事をし、家事も私任せだった。その姿にイライラが増し、キツくあたっていた。

子育ても夫婦仲も微妙で疲弊していたとき「たまにはパパに預けてちょっとだけリフレッシュしようよ」と、理沙さんに誘われて久しぶりに夜に出かけることになった。

とはいえ、昔みたいな夜遊びではなく、すぐに帰ることができる近所のイタリアンでのママ会だ。それでも久しぶりの解放感に、気分は爽快だった。

「ここ近いしコスパもいいし最高だよ。まだ授乳中だから泡は飲めないけどね!」

ノンアルコールで乾杯しながら、早速話を聞いてもらうと驚くほど心が軽くなっていった。そのときリフレッシュタイムは、いまの自分にとても必要だったんだと知る。

何よりも理沙さんの気遣いと優しさがありがたかった。自分でもびっくりするほど、誰かに弱みを見せられるようになっていた。昔の自分は、年を取るほどなかなかバリアをはずせなかったはずだ。子どもを産んだことがそうさせたのか、またはこの街特有の、安心感からなのか……。

どこの街にでもあるママ同士のコミュニティ(情報網)は、武蔵小杉にもたくさんある。“グランツリー”や近所のカフェにはいつも、さまざまなママ軍団がいる。

子どもを産むまでは、そんなママの集まりには何となく偏見もあったけれど、武蔵小杉のママ同士は、マウントの取り合いや“敵意”を感じることはなかった。お互いを探り合うというよりは、純粋に子育てにまつわる情報を共有し合い、助け合うという“同志”に近い感覚だ。

子どもが成長すれば、中学受験や塾選びなどにまつわる話も出てくるため、口にせずとも「隠れヒエラルキー」なども存在しているだろう。それでも、ギスギスとした関係性がないのは、港区のような見えを張る文化がなく、突き抜けた洗練や極端な富裕層がここにはいないからだろう。

ほどほどに余裕のある層であり、所得の格差が大きく開かない、だから肩肘張らずに生きられる。マウントをとる必要も、張り合う必要もないのだ。

武蔵小杉という街で、地に足をつけて暮らすことの心地良さを、徐々に知ることができた。

この街で自身に必要なのは、競争心より安心感だと知った


信頼できるママ友ができたことで、ときにリフレッシュをしながら子育てに励んだ。気持ちに余裕ができてきたことで、耕太との関係性も改善していった。

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土日は陸をベビーカーに乗せて、等々力緑地や多摩川河川敷までお散歩するのが定番。耕太の提案でよくミニピクニックをしたり、子どものおかげで何だか懐かしくほっこりする時間が増え、すっかりこの街の暮らしが好きになっていた。

平日、陸のスイミングスクールのお迎えの帰りに、“グランツリー”の1階にあるお鮨屋さんで夕飯を食べて帰るのも楽しみのひとつだ。

気がつけば、週3で“グランツリー”に行くときもある。港区のバーやクラブに通っていた数年前の自分には、こんなにショッピングモールに通うなんて想像すらできなかっただろう。

陸がこの春から入学した小学校は、数年前にできたばかりの、この辺りでは人気の学校だ。最新の設備や学習教材で“私立のような公立小学校”と言われていて、ほとんどの生徒がタワマンに住んでおり、中学受験をする児童が多い。

まだまだこの先、子どもの成長とともに、武蔵小杉の新たな一面を知ることになるだろうが、それもまた楽しみのひとつだ。

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引っ越ししてきたばかりの頃は、この街の空気に抗うように、どこか“自分は違う”という俯瞰的な気持ちで過ごしていた気がする。でもいまは違う。

この街には、この街にしか流れていない幸せの空気がある。それは、競争や虚栄から一歩引いた場所にしかないものかもしれない。

武蔵小杉のタワマン29階から眺める景色には、あの頃にはなかった“確かな安心”がある。きっとそれが、私にとっての“次のステージ”なのだ。

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