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寝室はひとつなのに、もう10年一緒に寝ていない…。妻との会話が子育てしかない45歳夫婦の苦悩

  • 2025.7.7

男という生き物は、一体いつから大人になるのだろうか?

32歳、45歳、52歳──。

いくつになっても少年のように人生を楽しみ尽くせるようになったときこそ、男は本当の意味で“大人”になるのかもしれない。

これは、人生の悲しみや喜び、様々な気づきを得るターニングポイントになる年齢…

32歳、45歳、52歳の男たちを主人公にした、人生を味わうための物語。

▶前回:美食三昧だったCAが医者と結婚。子どもが生まれ「こんなはずじゃなかった」と思ったワケ

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Vol.11 七夕、渋谷川を越えて 外資コンサル勤務の45歳、椎名朋之の場合


「─それでね、木村コーチが言うには、ちょっとでもいいからタカユキには海外留学をさせてみたらって。

でも、そうは言ってもタカユキも、もう6年生とはいえまだ目は離せないところはあるじゃない?あの子ってしっかりしてるようでいて、やっぱり早生まれだし──」

朝食を取る食卓の向こうで、妻の梨沙は朝からお得意のマシンガントークを繰り広げていた。

ナントカとかいう美容成分入りのパックが顔に張り付いているせいで、言葉はモゴモゴと聞き取りづらい。

「だれだっけその、木村コーチってのは」

「やだ!サッカーの木村コーチだってば!もう〜信じられない、ヒロユキの時だってさんざんお世話になったのに。

それでね、ヒロユキはユウスケくんがもう将来お医者さんになりたいって夢が決まってるのがプレッシャーみたいで。まだ中2だし焦ることないじゃない?って私は言ってるんだけど─」

「ユウスケくん…?」

「うそでしょ!ヒロユキの、初等部の時からの親友のユウスケくんよ!」

「ああ、小林ユウスケくん」

「あ〜びっくりした、息子の親友を忘れちゃったのかと思った。あなたにとっては白川くんみたいな、そういう存在でしょ。

それでね、ヒロユキいざとなったらパパと同じ仕事でいいとか言ってるんだけど、そうじゃないぞ、そんな簡単なことじゃないぞって。まずは自分のやりたいことをゆっくり考えてって私──」

「ああ、白川といえば。今夜あいつと飲みに行ってきていいかな?」

「ええっ、うそ!あんなことがあってもまだ飲むつもりなの?」

「ちょっとだけだから。そこそこにするよ」

「もう〜信じられない。絶対ちょっとにしてよ!入院したときだってあなた、先生の方が具合わるそうですよーなんて言い出して、あの時は私本当にどうしたらいいかって──」

コロコロと方向性を変えながら所構わず乱射され続けるマシンガンを前に、僕はボンヤリと心の中で考える。

45歳。どうしてこんなことになってしまったんだろう…と。

梨沙が作ってくれた朝食を食べ終えると、僕は玄関へと向かった。

「じゃあ、行ってくるよ。さっきも言った通り、今夜は白川と飲んでくるから」

「わかったぁ、いってらっしゃーい。絶対飲みすぎちゃダメよ!」

見送りはない。

自分の喋りたいことを喋るだけ喋ってしまって気が済んだのだろう。遠くキッチンの方から声が聞こえて、それで朝の夫婦の時間は終わった。

今の梨沙は、ペットの2匹のトイプードル・ピノとポコの世話をする時間か、もしくは体型をキープするためのピラティスの時間に入ってしまったのだ。

― 息子は2人とも早朝から部活でいないし、朝は夫婦でゆっくり過ごせる時間なのにな。

少しだけ寂しく思いながら自宅を出ると、マンションのエレベーターを降りたあたりでスマホが震える。見ると、梨沙からのメッセージだ。

― おっ?

一体どんな内容かと思い、いそいそとLINEを開く。けれどそこにあったのは、やっぱりこんな内容のメッセージだ。

<梨沙:ヒロユキ用のプロテインがない!渋谷に行くなら大きいドラッグストアで帰りに買ってきてもらえる?>

僕はため息をつきながら、味気ない気持ちで「了解」のスタンプを送るのだった。

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梨沙とは、2年付き合って結婚し15年になる、つまりトータル17年過ごしている。

出会いはごくごく平凡なものだ。新卒で就職した、大手インターネット関連サービス会社の同期同士。

何年かは一緒に飲み会をするだけの仲間でしかなかったけれど、ある時、梨沙が当時の彼氏と別れて涙を流す姿を目にして「守ってあげたい」と感じた。

そこからアタックして、何度かデートして、告白して、付き合って…トントン拍子に結婚して、あっという間に15年。

子どもは息子が2人で、上が13歳、下が11歳。それから、トイプードルが2匹。

15年の間に、外資コンサルに転職してシニアマネージャーになった。

渋谷寄りの広尾、國學院大學近くの低層マンションを自宅として構えた。

梨沙も子育てが少し落ち着いて、ペット用ジュエリーだかなんだかの販売を始めて充実しているらしい。

つい先日、世間一般の45歳らしく健康診断でひっかかり、肝機能障害の疑いで少し前に検査入院するというちょっとした事件はあったけれども、僕の人生はおおむね順風満帆と言えるだろう。

だけど、たったひとつ。たったひとつだけ、満たされない部分がある。

それは──僕が、妻に片想いしているということだ。


片想い、と言うと、少し語弊があるかもしれない。

まがいなりにも15年も夫婦をしているのだから、妻に愛されていた時だってないわけではないはずだ。

会話だって十分すぎるほどにある。毎朝美味しい朝食を作ってくれるし、疎まれているわけでもない。寝室だって一緒だ。

だけど、でもとにかく…僕の方は、今でも妻を愛している。

女性として、愛している。

あんなに明るくて、一緒にいて楽しい人は他にいない。見た目だって、45歳の割には相当にイケてる方だと思う。

だけど、45歳にもなってこんな気持ちを妻に抱いているのは、白川に言わせればおかしいことらしい。

その実感はあった。妻の方は、もうとっくに僕に対してそんな気持ちは失っているだろう。

なぜなら、梨沙が僕に話す内容は、9割が息子たちの話だからだ。そして残りの1割は、犬の話。

あっちのほうは、なんと10年もご無沙汰だ。レスどころかデートすらもしていない。子どもと犬の話しかしない妻が、そんなことの相手をしてくれるわけがない。

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職場は、渋谷だ。

入院以来、健康のために家から会社までは歩くようにしている。

渋谷川を渡って出勤する途中、渋谷ストリームの店先には大きな笹の葉と七夕飾りが掲げてあった。

― そうか、七夕か。織姫と彦星は、こんな悩みとは無縁なんだろうなぁ…。

45歳同士。もう、男と女には戻れないんだろうか?昔みたいには、戻れないんだろうか?

笹の葉の前で立ち尽くす僕に、生暖かいビル風が吹き付ける。じっとりとした汗が、Tシャツを僕の背中に貼り付けた。



お酒を口にするのは、約1ヶ月ぶりになるだろうか。

梨沙に今朝やめとけと言われたものの、やっぱり今日だけはお目こぼしいただきたい。

付き合わないわけにはいかないのだ。

なにせ今夜は隣の席で、青学初等部からの幼馴染・白川が、マッカランのボトルを抱き込むようにしてクダを巻いているのだから。

「何が不満だったんだよぉ…」

20時半。賑わうセルリアンタワーの『ベロビスト』で白川が渋谷の夜景を前に頭を抱えている理由は──家族を失ってしまったからだ。

ちょっとした火遊びのつもりだった女性関係が、実は筒抜けだったらしい。奥さんはまだ小学生のお嬢さんを連れてある日突然、離婚届を置いて実家に帰ってしまったのだという。

「娘のサマースクールの準備してるのかと思ってたんだよ、まさかそれが家出の支度だなんて…」

「辛いな」

「十分すぎる生活費も渡してたし、記念日だって祝ってたんだぞ?義両親の誕生日まで祝う男なんて、そうそういないだろ」

「まあな」

白川の愚痴に、僕はウイスキーを舐めながら当たり障りのない相槌を打ち続ける。僕の入院や、さらには妻に対する些細な悩みなどの出番は一切なさそうだ。

ヒロユキ用のプロテインはもう買ってある。今夜はあとは、こうして小さく頷きつづければいいだけだ。

けれど、次に白川が言った言葉には、僕はうまい返事を思いつくことができなかった。

「あなたからは愛が感じられない〜とか言って、あの女。贅沢な暮らしもさせてやってたし、精一杯うまくやってきたじゃないか。

それが大人の愛情表現だろ?15年も夫婦を続けていれば、いつまでも男女ではいられないだろ!気持ち悪い」

「まあ、な…」

― 気持ち悪い、か…。梨沙も僕のこと、そう思ってるんだろうか。

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もう、45歳。

こんなオジサンが愛だのなんだのというのは、普通に考えれば気持ち悪いものなのだろう。しかも、相手だって同い年だ。

今もまだ男と女でいたいだなんて、どう考えてもおかしいだろう。

それになにより白川は、これだけ奥さんを大切にしていても離婚を切り出されたのだ。

子どもの話しか話題がなくても、一緒にいてくれるだけでよしとしなくてはいけない。

そう、自分に言い聞かせようとした時だった。

「あの…」

ふと、白川の向こうに座っているカウンター席の一人客が、声をかけてきたのだ。

「あ、すみませんうるさくて」

『ベロビスト』名物のピアノの生演奏の、邪魔になってしまったのかもしれない。そう思った僕は、咄嗟に白川の代わりに謝罪した。

けれど、その男性客──50代くらいだろうか?さっぱりとした品の良い紳士は、思いがけない言葉を残して行ったのだ。

「気持ち悪くなんて、ないですよ」

「…え?」

「ごめんなさいね、聞こえちゃって。

でも、好きだ、愛してるって言葉にされるのは、いくつになっても嬉しいものですよ」

紳士は「失礼」と会釈すると、あっけに取られる僕を置いてさっさと席を後にしてしまった。

よく見れば、片手には花束を下げている。僕と白川は呆然としながら、その堂々とした背中を見送るしかなかった。



前後不覚になった白川をタクシーに押し込んでしまうと、僕の脳裏に浮かび上がってきたのはやはり、先ほどの紳士の後ろ姿だった。

― 花束、似合ってたな。貰ったのかな。

と、そこまで考えて、やはり考え直す。

― いや、あげに行ったんだ。誰かに。

なぜだか不思議とそう確信した僕は、速足でセルリアンタワーを後にする。渋谷川の手前に、確か遅くまでやっている花屋があったはずだ。

目論見通り店じまい直前の花屋に漕ぎ着けた僕が手に入れられたのは、少し萎れた七夕の売れ残りの、葉がクルクルと巻いてしまった笹の葉だった。

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目当てのものは手に入れられなかったものの、渋谷から自宅へと向かう僕の足取りは軽かった。

あの紳士が、花束をだれかにプレゼントしに行くところであってほしい。

なぜって、信じられないほどにカッコよかったからだ。

45歳。今さら「愛してる」と言葉に出すなんて、気持ち悪い。ダサいに決まっている。

そんな諦めにも似た気持ち──いや、年齢の“呪い”を解く力が、彼の背中にはあった。

なんだか今夜なら、この15年間の結婚生活でも言えなかったような言葉が、梨沙に言えるような気がした。

渋谷ストリームを越えて、渋谷川を渡る。

すると、横断歩道を渡り切ったその先に…信じられないことに、梨沙がいた。犬を2匹とも連れて、Tシャツ姿でこちらに手を振っている。

「あれっ、梨沙」

「びっくり、早いのね!ピノとポコのお散歩、夏はこれくらいの時間の方が涼しいじゃない?今日は広尾方面じゃなくて渋谷の方まで来てみたの。

だってもしかしてあなた、久しぶりにお酒飲んで倒れでもしてたら困っちゃうと思って」

「俺が倒れたら困る?」

「あたりまえじゃない!この前の入院の時だって私、気が気じゃなかったんだから!先に逝かれたら困るーって、まだまだ一緒にいてもらわないと困りますーって私もう──って、それはいいのよ。…ねえ、なんで笹持ってるの?」

どうして僕は、こんなに簡単なことを難しく考えていたのだろう。

「もしかしてプロテインと間違えちゃった?」と僕の酔い具合を伺う梨沙の顔は、本当に心配そうだった。

昔みたいに戻る必要なんて、きっとない。

僕はもう45歳だ。それならば、45歳の今の気持ちを伝えればいいだけなのだ。

「笹は、梨沙にだよ」という言葉こそが、僕たちの新しい話題になる。

息子の話でもない、犬の話でもない。

僕たちだけの花束の話をしながら夫婦で歩く帰り道は、それだけで、45歳らしい大人のデートだ。


▶前回:美食三昧だったCAが医者と結婚。子どもが生まれ「こんなはずじゃなかった」と思ったワケ

▶1話目はこちら:2回目のデートで、32歳男が帰りに女を家に誘ったら…

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次回最終回。渋谷のバーで愛について語った、52歳の物語。

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