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【黒柳徹子】小さい頃の私の夢は、スパイになることでした

  • 2025.6.18
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第37回】俳優 マレーネ・ディートリッヒさん

小さい頃の私の夢は、スパイになることでした。でも、小学校の友達から「君はスパイには向かないよ。スパイは、顔が綺麗で、とびきり頭が良くて、いろんな国の言葉が喋れないとダメなんだ。君みたいなおしゃべりな子には無理だよ」って。それで、スパイになることは諦めたのですが、大人になって、マレーネ・ディートリッヒの出演したスパイ映画にはワクワクしました。たとえば、第一次世界大戦中にスパイ容疑でフランス軍に捕えられ、処刑されたオランダ人のマタ・ハリというダンサー。若い方でも、たぶん名前を聞いたことがあると思うのですが、スパイの代名詞となった彼女をモデルにしたとされる「間諜X27」は、洒落たエピソードの宝庫です。

愛する敵方のスパイを逃がした罪に問われ、銃殺刑になるスパイ・マリーは、銃殺刑の判決を受けると、独房を訪れた教誨師に、「この汚らしい洋服を着て死ぬのはいや。私自身が選んだ服を着させて」と懇願します。刑が執行される前には、若い将校に、「サーベルを貸していただけない?」と言って、そのサーベルに自分の顔を映して、口紅を直す。そのシーンが気高く悲しくて。将校は、「こんなに美しい人が死ななければいけないなんて」と泣くのです。でもマレーネ演じるマリーは、将校が持ってきた目隠し用の黒い布で、「泣くんじゃないのよ、大したことじゃないんだから」と言って、将校の頰の涙を拭く。木に縛られて、ババーンと撃たれた後も、「きゃあ」とか声を上げるわけじゃなく、ガクッと頭を下げるだけ。その姿は悲しくて残酷なんだけれど、すごくリアリティを感じました。

監督は、当時「女を撮らせたら天下一品」といわれていたジョセフ・フォン・スタンバーグ。マレーネの恋人とも噂されていた人で、『嘆きの天使』や『モロッコ』なんかも撮っています。銃殺されるシーンをどう演じたらいいか迷っていたマレーネが、監督に、「どうやって死んだらいちばんいいかしら?」と訊ねると、「自分で研究したら?」と言われてしまいます。マレーネは悔しくなって警察に相談しました。当時は、人が撃たれてどういうふうに死ぬのかが、警察の資料として残っていた。それで、スタンバーグに「調べてきました」と伝えると、監督は、「好きにやりたまえ」と言ったそうです。もしかしたら、スタンバーグほどの人でも、どういうふうに死んだらいちばんいいのか、わからなかったのかもしれません。映画のマレーネの死に方はとてもエロチックで、映画を観た人全員にショックを与えるものでした。

代表作の一つである『上海特急』は、内乱時の中国が舞台でした。北京発上海行きの特急列車で繰り広げられるサスペンスで、マレーネが演じたのは列車の中で将校と再会する元恋人の役。上海リリーという名で謎めいた女性で、彼女の帽子につけるネットの大きさを決めるのに、監督は、ハリウッドの衣装部屋いっぱいのネットを集めたそうです。さて、その結果どんなネットが選ばれたのか。ぜひ、『上海特急』をご覧になって確認してください。私は観ました。

マレーネの魅力として話題になるのが、なんといってもその美貌。「100万ドルの脚線美」「セックスの化身」「世紀の女優」など、いろんな異名を持っています。でも私が魅力的だなと思うのは、マレーネの持つ“信念の美しさ”です。戦前、ハリウッドで、ユダヤ人であるスタンバーグとの黄金期を築き、公私にわたる関係が解消されると、ヒトラーからドイツに戻るように要請されます。でも、マレーネはそれを断ってアメリカ市民となり、ドイツでマレーネの出演映画は上映禁止になってしまうのでした。戦前は、ドイツの多くの若い女性がそうだったように、マレーネも政治にとくに関心はなかった。それが、ハリウッドで多くの知識人と交流するうちに反ナチスになり、アメリカ軍兵士の慰問にヨーロッパ各地を回るようになったのです。

50年代は、歌手としての活動が多くなって、アメリカやヨーロッパを巡業します。1960年、祖国ドイツでリサイタルを開いたときは、「裏切り者!」という罵声とともに、温かい歓待も受けたそうです。そうそう、今、大阪で万博をやってますけど、マレーネも1970年の大阪万博の年に日本を訪れて、コンサートを開いています。

私も、「マレーネ」という芝居で、歌手になってからのマレーネを演じたことがあります。そのとき彼女のことをいろいろ調べて、本当に、気高い人だと思いました。

マレーネ・ディートリッヒさん

俳優

マレーネ・ディートリッヒさん

1901年ドイツ帝国プロイセン(現ドイツ・ベルリン)で、警察中尉の父の元に生まれる。1920年代に歌手となり、ドイツのサイレント映画にも出演。渡独していた米監督ジョセフ・フォン・スタンバーグの『嘆きの天使』でヒロインに抜擢される。同監督とハリウッドに渡り『モロッコ』(30)に主演、アカデミー賞主演女優賞にノミネート。俳優や芸術家と浮き名を流す一方、30年代後半には一時ヨーロッパに戻った。39年、ナチスに抵抗して米国の市民権を取得。戦後は主演作『情婦』(57)がアカデミー賞作品賞にノミネートされたほか、同賞受賞作『80日間世界一周』(56)やナチスの罪を問う『ニュールンベルグ裁判』(61)などに出演。歌手としても成功したが、アルコール依存に苦しみ、晩年はパリの自宅で寝たきりの生活を送った。92年、90歳で亡くなった。

─ 今月の審美言 ─

「セックスの化身」「世紀の女優」などの異名を持つ彼女ですが、私が魅力的だなと思うのは、信念の美しさです

取材・文/菊地陽子 写真提供/Getty Images

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