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「中川政七商店」悩まない現場づくりでV字回復…創業家以外から抜擢の女性社長「儲かっても絶対やらないこと」

  • 2025.5.30

なぜ、老舗のトップに創業家以外初の女性が選ばれたのか。中川政七商店の第14代社長、千石あやさんは「打診を受けた時、最初は一瞬、冗談だと思った」という――。

“威厳”ではなく“対話”する社長

中川政七商店といえば、「創業300年の老舗」という冠がまず頭に浮かぶ。だが今、それだけでは語りきれない変革が、静かにこの企業に訪れていた。

「いやいや、冗談ですよね?」

14代社長の千石あやさんがそう言ったのは、2018年。13代中川政七氏から社長継承の打診を受けた時のことだ。千石さんは本気で一瞬、冗談だと思ったらしい。

2011年、千石さんは大手印刷会社から中川政七商店に転職した。最初はスーパーバイザーとして小売り現場を見ていたが、その後、生産管理、社長秘書、商品企画課課長、そしてブランドマネジメント室室長と、社内を縦横に“渡り歩いた”。思えば、先代社長の次のバトンの思惑が効いていたのだろうか。

「いいえ、そんなことはありません。その時々の会社の事情で、その都度必要な場所に配置されただけです」

千石さんはそう言い切った。けれども、“その時々の事情”は結果として実を結ぶ。多様な部署を経験したからこそ見える、最適解の視点。現場と経営、ブランドと流通、ビジョンと利益。そのバランスをつなぐ目を自然に養う場となる。

「社長を中川から私に変えるというより、組織自体を変える必要があったんです。もはや一人の社長が全体を把握することは不可能な規模に組織が育っていました。ビジョンの達成に向けそれぞれの部署が理想を描き、課題を抽出し、戦略を立てて自律的に動く。そんな自律分散型の会社をつくる上での事業承継です」

社長の“威厳”ではなく、現場との“対話”で組織を動かしていくこと。そうした持続性を語る千石さんの顔には、どこか職人にも似た穏やかな表情があった。

3000点揃う商品を楽しめる中川政七商店奈良本店内の千石あや社長
3000点揃う商品を楽しめる中川政七商店奈良本店内の千石あや社長
「ビジョンが勝つ」ことが原則

社長就任後、千石さんが最も重視してきたのが、ビジョンの達成だ。

「中川政七商店は『日本の工芸を元気にする!』をビジョンに掲げています。これはお題目ではなく、会社の存在理由そのものなんです」

どれだけ収益性が高い提案でも、どんなに優秀な人材でも、ビジョンに繋がらなければ“採用しない”。社内はそう徹底されている。

「中川政七商店には、ビジョンに共感し、それに納得した者たちが集まっています。ビジョン達成に向けて、現状の課題を設定し、精度高く解決する。そうすれば、ビジョン達成のスピードが上がる。それに集中することで、判断に迷いがなくなりました」

とはいえ、いくら理想を語っても、利益が出なければ会社は潰れてしまうのではないか。

「もちろんです。ですがうちは『利益よりビジョンがギリギリ競り勝つ』ことが、会社全体の共通認識です」

千石さんが数々の現場で学んだのは、単なる美談のみでは「工芸は生き残れない」という現実だった。だからこそ、と千石さんは言う。

「会社のスタンスとして、『ビジョン:利益=51:49』と決めています。つまり利益度外視ではないのです。ただ、利益がビジョンを超えてしまうと、会社の軸がブレる。私たちのような理念型の組織では、それが命取りになってしまいます」

ダブルスタンダードが最も危ない

たとえば、デザイン監修の仕事。引き受ければ利益にはなる。だが、自分たちで責任の持てない製造、顔の見えないものづくりには、「中川政七商店」として関わらないと決めている。実際、他社ブランドのデザイン監修のようなビジネスは断ってきた経緯がある。

「もちろんご依頼いただくこと自体はありがたいと思います。でも、そこに甘えると、一度きりでもダブルスタンダードになる。それが一番危ない。社の価値判断がブレると、会社全体がもろくなる。だからこそ『利益よりビジョン』という順序だけは守り続けています」

千石さんは、こうも言う。「職人さんたちは、かつては産地問屋からの注文に応えていれば暮らしていけました。でも、安価な輸入品が増え続けたことで注文が途絶え、その仕組みが崩れました」。突然、職人たち自身に「経営」が求められる時代になった。ならば市場を知り、商品設計をし、販売ルートをつくる。中川政七商店は、そんな“工芸の経営化”をコンサルティングという姿勢でも支援していくのだ、と。

「職人さんに突然、『ものづくりだけでなく経営もしてください』と言っても無理です。だからわれわれが、その橋渡しをする。価格決定権を持つ、自分たちで販路を開拓する、工芸の作り手が“プロダクトとビジネス”の両輪を回せるようになる。その過程に、わが社の存在意義があると思っています」

老舗を率いる創業家以外初の女性社長、千石あやさん
老舗を率いる創業家以外初の女性社長、千石あやさん
「何をやるか」ではなく「何をやらないか」

だからこそ、人材採用の方針も明確だ。

「『社のビジョンに共感できるか』が最も大事な指標です。ですから、『あなたはビジョン達成のためにここに来たんですよね、じゃあそれに向かって働きましょう』と」

共通言語があるからこそ、個人ではなくチームで動ける。もちろん、社長の仕事も変わってくる。「私は、みんなが考えたことの中から、会社にとって最も良いことを落ち着いて選ぶだけです」。社長に就任して7年。社内はビジョンドリブン、いわば「志が舵を取る会社」に確実に変化していた。そして常に社内で確かめているのは、「何をやるか」ではなく「何をやらないか」だと言う。

「中川政七商店がやるべきことか? という判断軸が全ての出発点ですね。『日本の工芸を元気にする!』が基準ですから、それに対する答えが『No』であれば、やりません。『何をやらないか』の判断は時に大きな覚悟が要りますが、社内の皆がそんな覚悟を共有しています」

コロナ禍で見えてきた組織の輪郭

苦難の時期は、社長就任後のコロナ禍だった。

新型コロナ禍、2020年。中川政七商店の売上高は一時落ち込む。老舗であっても例外ではなく、日本全国の直営店、全59店舗が約1カ月間休業に追い込まれた。まるで明日が見えない暗闇の中を、手探りで進まなければならないような状況だった。

「店舗も閉まって、展示会も開催できなくなり、一方でEC(エレクトロニック・コマース)は昨対300%の伸長で出荷も追いつかないほどでした。そして非常事態が続いたからこそ、『自分たちで考えて動こう』という部署ごとの動きも生まれて、自律分散型の組織の輪郭がようやく見えてきたのも事実です」

経営的には厳しい局面だったが、ビジョンに共感し、高い視座を持って主体的に働くスタッフこそ会社の資産だと考え、休業期間中も給与を100%支給した。実際、スタッフたちは営業再開に備え、自ら学び、知識を蓄えていたという。組織として存続が危ぶまれる状況の中でも旗印となるビジョンがあったからこそ、スタッフ一人ひとりが主体的な姿勢で向き合ってくれていた。

悩まない状況づくりのためにやるべきこと

先代の中川氏が入社した当初、これまでの卸売中心の体制を見直し、自社ブランドでの直営展開に舵を切った。それは自ら消費者と接点を持ち、ブランドの世界観ごと売るという、いわば“自力で立つ”選択だった。

このSPA(製造小売)モデルへの移行は、単なる販路の切り替えではない。

自社でつくり、自社で売る。その中に込めるメッセージや背景、職人たちの技と矜持までも、店舗で語ることができるようになった。商品の質だけでなく、価値を“伝える力”が、直営の現場で磨かれていく。はたして数字は裏切らず、売上は順調に伸び続け、2025年2月期には売上高96億円と過去最高水準に達した。

「最優先事項として、『悩まない』現場づくりを心がけています。何かがうまく行っていないのであれば、その原因を見つけて取り除く。一つひとつ、そのように進めています」

難しさはある。しかし、迷いはない。これこそが、第14代社長の職人技なのだろう。思えば工芸とは、物語を織り込んだものづくりである。そこには時間が、技が、人がいる。千石あやさんは、経営というもうひとつの「手仕事」でそれらを編み直してきた。中川政七商店の底力は、やはり工芸だったのだ。

「悩まない現場づくりを心がけています」と言う千石社長
「悩まない現場づくりを心がけています」と言う千石社長

池田 純子(いけだ・じゅんこ)
フリーライター
ライター・編集者として、暮らしや生き方、教育、ビジネスなどにまつわる雑誌記事の執筆や書籍制作に携わる。新しい生き方のヒントが見つかるインタビューサイト「いま&ひと」主宰。

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