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「人って変わるし、変わることは進むこと」吉川ひなのと語る【移住】ライフ

  • 2025.5.12

毎回自由に内容を変え、お送りしているひなの連載。ハウオリはハワイ語でHAPPYの意味です。

「早坂さんと移住について語り合う」

ミューズ界隈は“みんな多動”説

—今回はゲストに、メイクアップアーティストの早坂香須子さんをお迎え。早坂さんは2024年夏に東京から長野へ、ひなのさんは今年ハワイから沖縄へと移住。共通点である移住について、お話を伺いたいです。
 
早坂さん(以下)いや〜、ひなのちゃんの移住にはびっくりしたの。
 
ひなの(以下)わたしもびっくり(笑)。
 
計画していたわけじゃなくて?
 
全然! わたしっていつもどこかに行きたいの。
 
(笑)。すごく分かるよ。
 
長女を産んで、まずハワイに引っ越したときに、ちゃんと暮らしていけると思ったら、いろんなところに住んでみたい気持ちが芽生えたの。ノマドライフをしたくて、1年間LAに住んでみたこともあったし。その後、子どもが増えて、学校が始まったり、子どもにも友だちができたりもして。本音をいえば、1年ごとに住む場所を変えたい気持ちもあるけれど、なかなか難しくもあって。ハワイは大好きだけど、いつでもどこかに行きたい思いは常にあったんだよね。
 
この業界、多動しかいないよね。特にオトナミューズ界隈は。移住していない人は、週末は東京にいないことがほとんど。
 
—たしかにみなさん、今どこにいるのか分からない方ばかりです(笑)。
 
仕事でも海外ロケにたくさん行かせてもらって、この暮らしが続いていくのかと思ったんだけど、長野に移住してみて、今のところはもうどこにも行きたくない、ここにいたいって思っているの。自分でも驚いているのだけど。
 
分かるなぁ。どこかに行きたい一方で、わたしはハワイで暮らしたことで根づいていく気持ちよさみたいなものを知ったかも。小さいころから転々として暮らしてきたから、ハワイのお家が人生で43軒目なのね。でも、ハワイで10年間暮らして、“帰る場所”といわれて思い浮かべるのはハワイ。わたしも子どもたちにとっても、帰りたい、いつか戻ろうと思える場所になってる。
 
私もかなりの引っ越し魔で、東京に出てきてから30年間で15回は引っ越していて。逗子に住んだこともあったな。ひなのちゃんみたいに、根づきたい気持ちもありながら、軽やかでもありたい。いつでもどこにでも行けるっていう感覚は忘れないでいたいなと思っていて。
 
その感覚すごく分かる。子どもたちとも、ハワイが大好きだけど、いつでもどこにでも行ける自分たちでいようねって話しているの。
 
その信念どおりに移住したしね。
 
すっごい楽しくて、正解だった気がする。

©YUYA SHIMAHARA

©saikocamera

早坂香須子
メイクアップアーティスト、植物療法士。長野県にある森林との出会いから、森の再生をしながら自然の中で生きることを選ぶ。同時にKAZTERRAMORI名義で作家活動を開始。2024年10月には、文筆家・服部みれい氏との共書である詩画集『わたしの中にも朝焼けはある』(河出書房)を上梓。

土と菌に囲まれたふたりの生活

—今回のインタビューは、沖縄、長野、東京からそれぞれリモートで。大きな窓を背に座る早坂さん。その背景には雪に包まれた壮大な森林が。一方で、ひなのさんはまるで夏! なキャミソール姿でおでまし。
 
かずちゃん、逆光のはずなのに室内がすごく明るく見えるね。
 
うちは天窓もあって、360度光が回るように設計してもらったの。私は暗いところが苦手だから、建築士さんには“光の家で”と伝えたくらい。森の中にいても光を感じられるように。
 
どうして長野にしたの? 土地が決まってから、実際に家が建つまでどのくらいの時間がかかったの?
 
人によって全然違うと思うけど、私の場合は家を建てたいというアイデアは7、8年前くらいに浮かんでいたの。私、すごく冷え性で、冷えを治すために中医学やハーブを学んだり、色々模索していたけれど、そもそも暖かい家に住んだら全部解消するじゃん! と気づいて。調べていく中で、“パッシブハウス”という高断熱住宅に出会ったんだよね。効率的に陽の光を取り込んで、家の中で循環させて、エネルギーを極力使わずに暮らせる家があると。またそこで勉強をしていくと最後に森林の存在にたどり着いたの。パッシブハウスの始まりは、ドイツや北欧といった寒い地域で、森と人間の暮らしが近い。人が森林を管理して、その恩恵を受けるという暮らし方について、森林学者さんに教えていただくうちに、家を建てるなら森の中にしたいなって。
 
森には妖精がたくさんいるでしょ?
 
そう、妖精だらけだよ(笑)。私がこの場所に出会ったのがちょうど3年前。友人夫婦が近くに住んでいて、北アルプスが見えて、湖があって、まるで日本じゃないような景色が広がっていたの。ここに住みたい! と思える土地に出会って、間伐からスタートして、家が建つまでには2年半ぐらいかかったかな。
 
家を建てるってその人自身が反映されるよね。昔、沖縄の久高島に行ったときに出会ったおじさんから、“菌”と暮らすために、発酵に最適な半地下の部屋を作ったっていう話を聞いたの。人間も健康になるし、環境にも優しい。わたしもいつか、菌の家を建てたいんだ。
 
それでいうと、この家は下水道がなくて、浄化槽を使っているのね。家から出る排水は全て浄化槽に一旦溜まって、そこで微生物が分解してくれて、森に水を流していく仕組み。敷地の中に小川が流れているのだけど、その先には湖がある。そこに流れ着くと思うと、自分が使う洗剤ひとつにしても考えさせられる。海へ流れた水が、また雲になって、森に雨を降らせるわけだから、森で暮らしているとその縮図を体験させてもらえる日々です。土なんて菌の宝庫なわけだから、私の排水でいい菌を育ててやる! くらいの気持ち。沖縄だとEM菌があるじゃない? お掃除に使ったりしているよ。
 
かずちゃん、EM使ってるんだ! ハワイでもEMがすごい使われていて、世界一汚いといわれたアラワイ運河もだんだんキレイになってきたの。わたしもEMが大好き♡
—ちなみにEMとは、「微生物による発酵の力で悪臭を消したり、土や川の微生物環境を整える善玉菌の集まり」とのこと。
 
沖縄にEMのホテルがあって、ホテルの漆喰の壁にはEMが混ざっていると聞いたの。それをヒントにして、うちの壁は漆喰の下に麻の炭を混ぜてもらったし、琉球畳の部屋を作ったりしたんだよね。

本当の意味での“暮らし”は楽しい

—お二人が東京を離れて得たものは。
 
土と菌がもたらしてくれたものは、私の場合は暮らしだった。東京ではやりたい仕事をやらせてもらって、楽しいし充実もしていたけれど、今思うと暮らしではなかったんだよね。ひなのちゃんにしても、ハワイに行ってからのひなのちゃんの暮らしの立て方は見ているだけでも本当に癒やされた。
 
わたし、長女を妊娠中にハワイに来て初めて、こんな日々があるの? って衝撃を受けたの。朝起きて、深呼吸をして、窓を開けて、「今日もこんなに空がキレイ」って感動して。別にただそれだけなんだけど、こんな毎日があるだなんて知らなかったから。
 
先輩! 私、今がその真っ最中です。毎朝、「今日も目が覚めた!」と心が動くし、当たり前のことなのに、同じ日も同じ瞬間もないって実感しながら生きている感覚なの。
 
目が覚めただけでワクワクするよね? 安心して眠ることも幸せなんだけど、楽し過ぎるから本当はずっと起きていたい。生きているだけでこんなに幸せなんだって胸がいっぱい。
 
おっしゃるとおり。100%同意です。私にとって、幸せをもたらしてくれるのが、暮らしそのものだったんだなって。
数年前からなんだけど、わたし、趣味は暮らしですって言っているの。暮らしって楽しい。
おおっぴらには言えなかったけれど、暮らし系の雑誌に出てくる、丁寧な暮らしをしている人たち、絶対嘘だと思っていたの(笑)。取材のときだけでしょ? と疑っていたけれど、今なら分かります。暮らしって日々のつながりの上に成り立つものだから。
 
わたしは、沖縄でもまた畑をやりたいなって思って、移動中に空いている土地がないかチェックしてるんだ。ハワイでしていたように、鶏を育てたいし、動物のフンで土が豊かになって、植物が育って、わたしたちが食べて……その繰り返しをずっとしてきて、その生活が本当に大好きだったし、たぶんどこの土地に行ってもそういう生活をしていくと思う。沖縄で暮らし始めたのは、どこか気分転換と新しいチャレンジに導かれているのかも。何かやることがあるって。
 
ひなのちゃんの話を聞いていて、私もそうだと思う。土地に呼ばれるってあるよね。私は長野に移住して、初年度に50年に一度の大雪に見舞われて、洗礼を受けたばかり(笑)。猛吹雪のときはただただ人間はじっとしていることしかできなくて、できることがないから諦める。その時間に、絵を描くとかダーニングで靴下を繕うとか、今までやってこなかったことをコツコツ進めていて。できることをやるしかない時間なんだけど、薪ストーブの前での作業はすごく楽しくて、豊かで。東京にいると、台風であっても何かしらできちゃう。でも、どうしても敵わない大自然から享受するものも、こんなにたくさんあったんだと。
 
わたしは東京に暮らしているとき、家は待機所みたいな感覚だったの。暮らす場所ではなくて、仕事と仕事の合間に休憩するだけ。
 
分かる、その気持ち。仕事が終わって、家には帰るんだけど、家は癒やしの場所ではなかったかも。疲れ自体は、例えば旅に行って外で癒やす。その繰り返しだったかな。
 
—移住は、傍から見ると人生の大きな決断であり、転機でもあると思うのですが、東京を離れることに不安は?
 
全然! 私、東京にいてできること、主に仕事ですけど、全てやりきったんだと思います。ひなのちゃんもハワイで10年暮らして、また新たに舵を切ったわけだけど、ひとつやりきったから次に進めたと思うんです。私もメイクの仕事を30年間やってきて、もう出し切ったし、心残りもない。だから執着せずに拠点を動かせたのかも。不思議なことに手放してみると、文章を書く、絵を描くといった憧れだった仕事で依頼をいただくことも増えて、ひとつ終わると新しく始まるものがあると実感しています。
 
何があるか分からないけれど、とりあえず行ってみようって感じだよね。行ってみたら絶対に何かがあるから。わたしの場合は、ハワイでの10年間はすごくキラキラしていて、その間に見て見ぬフリをした部分に新しい場所で向き合って、解決していく時間にしていきたい。不十分だった部分に目を向けようって。
 
陰と陽、光と影の両方があってコンプリートするからね。またそれが完成したら、ひなのちゃんは次のステージに行くんだろうね。人生はやりつくさないともったいない。
 
そう、楽しく、楽しく、深掘りしていく。
 
移住したからといって全てが上手くいくわけでもないし、新しい土地で暮らせば、そこでの悩みや問題にも直面するわけで。生きている限りは、どの道を選んでも途中経過で、ハッピーで終わるほど単純ではないなって感じる。
 
本当にずっと途中のままだよね。
 
これからも何か起こるだろうし、起こるかもしれない。だからこそ執着せずに。深みと軽やかさを同時に持ちつつ、いかに自由に行き来できるかが今後のテーマかもしれない。
 
人って変わるし、変わることは進むこと。
 
分からないから楽しい。だからこそ、今の自分の心が満たされるような、最善の選択を重ねていけたらいいよね。

photograph: ©YUYA SHIMAHARA ©saikocamera ©AFLO
interview:HAZUKI NAGAMINE

otona MUSE 2025年6月号より

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