1. トップ
  2. 恋愛
  3. “世界3大美女”のウソ。じゃあ“現代3大美女”は一体誰か?

“世界3大美女”のウソ。じゃあ“現代3大美女”は一体誰か?

  • 2025.5.6

“世界3大美女”の基準にハマる“現代3大美女”とは一体誰か?

誰が言ったか「世界3大美女」。クレオパトラに楊貴妃に、小野小町……ただこれはあくまで“日本的解釈”で、世界レベルで認識されているのは、小野小町の代わりに、ギリシャ神話のヘレネーが入ってくる。ヘレネーとは、いわゆる“トロイのヘレン”、ゼウスの娘で絶世の美女。スパルタ王の妻となるが、トロイアの王子パリスとの仲を王が疑い、嫉妬から10年も続くトロイア戦争が起こっている。おそらくはどこかの歴史学者が言い始めたのだろうが、ヘレネーを入れた3大美女には、実は絶対の共通点がある。“傾国の美女”であることだ。

つまり、その美しさが災いして国を滅ぼしてしまうほどの美女、という意味。そういう意味で、宮中に仕えた歌人であった小野小町は、確かに一人だけ浮いている。研究者によれば、明治中期の新聞の社説に、日本ならば小野小町か?という記事が出た頃から、3大美女のメンバーの一人になってしまったとか。ただそれでも通ってしまうほど、国が変われば美人の基準も変わるという主旨の記事だったと言われる。正直、3大〇〇なんて、そのぐらい根拠なきものなのである。

物議を醸した「世界で最も美しい顔100人」も、ほとんど個人の主観で1位から100位までの順位が決められていると言われるように、そもそも人の顔の造作に公平に順位をつけること自体に無理があるのだ。

とはいえ、何百年も生き続けて、誰もが地球の常識だと思っている“世界3大美女”日本版、そこに何らかの説得力ある理由を見つけたくなった。大体が、クレオパトラについては“知的で優雅で、魅惑的な声の持ち主だった”という記録はあるものの、美形であったという記述はないとされる。今やむしろ、クレオパトラは特段美人じゃなかったという説の方が有力なのだ。

ただ、クレオパトラはあらゆる古典的な美容法のシンボルのような存在。ロバのミルク風呂に入り、死海の塩で体を洗い、薔薇を煎じて飲み、孔雀石を砕いてアイシャドウにした。地球初の美容フリークだったのは間違いないのだ。楊貴妃に至っては、歴史上の人物というよりも、美容の大家としての方が有名。よもぎの蒸し風呂に入り、ロバの乳や桂花陳酒を飲み、ライチに白キクラゲ、ツバメの巣を食したとされる。

じゃあ小野小町は、なぜ世界規模の美女とされたか? 諸説あるものの、核心をつく説明はない。ただ、歌人として「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」と詠んでいる。小倉百人一首でもっとも有名なこの和歌は、花の色があせていくことに自分の身が老いていくことのはかなさを重ねて詠んだ歌。それは作者が美しかったこと、美しくありたいと強く望んだ女性であることを物語るのだ。

結局のところ、美に対し、どれだけ情熱を持っていたか? それこそがこの人たちを歴史的な美女に押し上げたのである。美容フリークこそが、美人の正体、それは現代にも通じる話。だからズバリ“現代の3大美女”は、田中みな実さん、神崎恵さん、石井美保さん……あたりでいいのじゃないか。どれだけ美と本気で対峙し、美と寄り添って生きているか? そうしたアティチュードそのものが人々の心を動かすのだから。

人を許せる美人は、徳を積みさらに美しくなるから、新3大美女!

美人は幸せになれる……ルッキズム批判が終わらぬ中、おとぎ話の昔から揺らぐことのなかったこの命題を、今は否定しなければいけないのかもしれない。いや、否定する前に、それは幻想にすぎないという見方もある。

たとえば、美人コンテストの優勝者がみんな幸せになるかと言ったら、まったくそんなことはなく、波瀾万丈の人生になってしまうようなことの方が多いとされるから。一方で、美人が得をするのは確からしい。これは脳科学的にも証明されていること。人間はどうしても、容姿の良いものに加担しがちであるというふうに。だから、美人がいい思いをするのは紛れもない事実なのだ。

ただ逆に、美人だからこそ背負わなければいけない不幸もある。その一つが、浮気な男をパートナーにしてしまいがちなこと。いや本人が悪いのではなく、美人に目がない男を吸い寄せてしまうがゆえの宿命。そういう男子は、他の美人も大好きだから当然目移りしやすい。本命視するからこそ、結婚までした女性を往々にして苦しめてしまいがちなのだ。

でも、そういう不幸に見舞われた時の身の振り方の違いから、美人にもハッキリ2タイプあることがわかってくる。美人の私をコケにして恥をかかせてフザけんな、男なんていくらでもいるんだからと、あっという間に浮気男の元を去るプライド重視の美人と、怒りは怒りとして、何とか関係を修復しようと、逆に浮気夫を支えてしまう愛情深い美人との2種類いることが。

そういう意味で絶賛されたのが、佐々木希さん。そのいきさつは、もはや説明するまでもないのだろう。どん底の夫を支える健気さも含めて、再評価され、引っ張りだこに。“〇〇の深情け”とのことわざもあるが、私たちは逆に“美人の深情け”にいたく感動してしまうのだ。

そして今や、政治コメンテーターとして破竹の勢いを見せている金子恵美さん。こちらは政治家同士の夫婦だから、問題はさらに深刻だったが、夫の不倫が発覚するや否や、速攻の謝罪会見、及び“議員辞職”を夫に指示するという気丈さを見せた妻は、その時なんと出産直後であった。妻としての慟哭より政治家としての倫理を優先させたわけで、世間はそれをもっと評価すべきなのに、その後の選挙で金子さんは落選。不倫夫と別れないことが災いした。夫は夫、妻は妻、政治家こそ個人の資質を見るべきで、むしろ尊敬を集めてもいいところ、日本の古い因習的な価値観から地元で冷遇されたのだ。

しかしそこは超美人。マスコミが放っておくはずはなく、あっという間に政治評論家への道が開けた。しかも若く美しい唯一無二の評論家の道が。

そしてもう一人、俳優としての高い評価から大きな問題にはならないものの、最強モテ夫の度重なる浮気報道に結婚前からずっと悩まされてきたはずの山田優さんも、必死で家庭を支え、4人の子どもをもうけながら、モデルや女優として活躍。夫の不倫と離婚危機報道のたびに、出産でやり返してきたビクトリア・ベッカムのような体幹のしっかりした美人妻ぶりは、やっぱり尊敬に値する。

世の中、美人など掃いて捨てるほどいる時代、ルッキズムに目くじらを立てるのではなく、今こそ改めてそういう“愛情深く徳のある美人”を、評価する発想の転換があってもいいのではないだろうか。人を許せる美人は、徳を積み、積むほどに美しさを増すのだから。

美容医療的な美人に目が慣れて、今や“美人”より“美しい人”

そもそも今、“美人”の捉え方が変わってきている。言うまでもなく、美容医療が加速度を増しながら年々ポピュラーになっているから。劇的に美人になることも若く見せることも、お金をかけさえすれば可能という現実があるからに他ならない。少し前まで、その部分を差し引いて、美しいかどうかを考えていたが、今はもうそういう感覚も薄れてきて、この人は驚くほど若いけれど、一体どこにどのぐらいお金をかけているのだろうとの見方になってきた。人間の目はすぐ慣れる。だから美容医療的な美しさにも目が慣れてしまって、いくら美しくても、心が動かなくなってきている段階なのかもしれない。

じゃあ逆に今、心が動かされる美しさとは何か?

なぜか往年の俳優が自らのブログで、日本の小学生がメイクすることを批判し、今こそ美しさの本質を知ってほしいと、具体的に名前を挙げたのが大谷翔平選手の夫人、真美子さんだった。それがちょっとした話題になるくらい、印象的な発言だったのだ。日本のオスの圧倒的な頂点にいる大谷選手の選んだ人が、誰も文句が言えないほどの“日本女性の理想像”だったなんて、あまりにもドラマチック。話が出来すぎだけれど、現実にそういう見方が濃厚になってきたのは確か。真美子さんが現れて以来、どこか曖昧だった美の本質がいきなり明快になった気はする。実際に今、物言わぬこの人がアラサー女子の絶対のカリスマになっていると言われるのだ。超が100個ぐらいつく玉の輿に乗ったからではない。それでも嫉妬されないくらい、清らかで、聡明で、しかも分別があり、控えめ。総合的に正しい人、だからなのだろう。

一方で今、本当に美は何でもあり。どんな手段を使っても美しい方が勝ちという価値観だってもちろんあるわけで。だから良いか悪いかは別として、今や美しさ自体が混沌とし、清廉潔白なものではなくなっているからこそ、清潔感あふれる真美子さん的美しさに、今一度戻ろうよという意識になっているのだ。

言い換えれば“美人”というより“美しい人”の時代。それこそ芦田愛菜さんも、本質を突く“美しい人”。子役時代から芸能界のトップにいて、成人してもこの清らかさは、やはり尋常じゃない。基準はさまざまだから、異論反論もあるかもしれないが、なんだかいつまでも眺めていたいという気持ちにさせられるのは、未来につながる唯一無二の“美しい人”である証だ。

じゃあ、もう一人は? 清らかで知的で、正しいからこそ嫉妬させない、誰にも嫌われない、ずっと見ていたい……究極、雅子様とか? ただこれは、あくまで私自身が行き着いた答え。ここは自らの判断で自らの美意識で、もう一人を選んでみてほしい。美人の基準は今むしろ一人一人の中にある。今はそういう時代なのだから。

世の中、美人など掃いて捨てるほどいる時代、ルッキズムに目くじらを立てるのではなく、今こそ改めて“愛情深く徳のある美人”を、再評価する発想の転換があってもいいはず。人を許せる美人は、徳を積み、積むほどに美しさを増すのだから。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

元記事で読む
の記事をもっとみる