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34年前、日本中が憧れた“三刀流のカリスマ” 90年代後半に輝いた“時代の象徴”

  • 2025.5.21

「90年代のはじめ、日本中を席巻していた“キラキラしたスター”って誰だった?」

そんな問いに、当時を知る人なら多くが思い浮かべるのがーー観月ありさ。

1991年、わずか14歳にして『伝説の少女』で歌手デビューを果たし、同時に“女優・モデル・歌手”すべてを兼ね備えたマルチな才能で一気にスターダムへと駆け上がった彼女。その存在はまさに、バブルがはじけた日本に舞い降りた希望のアイコンだった。

「背が高くて、顔が小さくて、元気で、かっこよくてかわいい」

そんな言葉がぴったりな、誰もが憧れた“三刀流のカリスマ”を、改めて振り返ってみよう。

元気で前向きな“時代の象徴” 90年代後半ドラマを牽引した存在

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(C)SANKEI

観月ありさが時代の象徴となった大きな理由の一つが、90年代後半のドラマでの活躍だ。『ナースのお仕事』シリーズ(フジテレビ系)では、ドジだけれど一生懸命な看護師・朝倉いずみ役を好演し、当時の女性たちから圧倒的な共感を集めた。

他にも『ボーイハント』『天使のお仕事』『いちばん大切なひと』など、彼女が出演したドラマはいずれも高視聴率を記録し、「観月ありさが出るドラマ=間違いない」という信頼感すら生まれていた。

元気で前向き、それでいて視聴者の心にそっと寄り添うようなヒロイン像。それは観月ありさという存在が持つ空気感と重なっていた。

女優だけではない。歌手としても輝いた“時代が求めたカリスマ”

観月ありさは単なる“女優”にとどまらず、音楽でも確かな足跡を残している。デビュー曲『伝説の少女』はオリコン初登場5位、続く『TOO SHY SHY BOY!』や『happy wake up!』もヒットを記録。ポップで元気なナンバーと、彼女の明るさがぴったりと重なり、多くの若者のプレイリストに加えられた。

“モデル出身”“女優メイン”などの色眼鏡を一切感じさせないほど、歌手としての完成度も高く、まさに“時代が求めたカリスマ”だった。

観月ありさが残した“時代の空気”

観月ありさの魅力は、作品やヒット曲の数だけでは語り尽くせない。90年代という時代の、キラキラしていて、ちょっと不安で、それでも前を向いていた日本の空気をそのまま体現していた稀有な存在だった。

ファッション、ヘアスタイル、ドラマのセリフ、すべてが“憧れ”であり“指標”だった。

そして何より、年を重ねても変わらないまっすぐな笑顔とエネルギー。彼女が長きにわたって第一線で活躍し続ける理由は、きっとその“ブレなさ”にある。

“あの頃の私”を思い出させてくれる存在

観月ありさをテレビで見かけると、ふと“90年代の空気”が蘇る人も多いはず。制服姿で走っていたあの頃、ポケベルを片手に友達と語り合った帰り道、憧れて真似したファッションーー

彼女は今でも、あの時代を生きた私たちの“記憶の中のヒロイン”であり続けている。

これからもずっと、観月ありさは“あの頃の私たち”のそばで微笑んでいるだろう。


※この記事は執筆時点の情報です。