眠れない夜を過ごしていたと思ったら、もう明日がやってきていた。
私はまた、会社に行けなかった。
「具合も悪くないのになんで身体が思うように動かないんだろう」
これが休職する前。
当時は何でこんなにつらいのか、よくわかってなかった。
今思えば、原因は明白で、職場の上司に恫喝され、執拗ないじりが数年続いたこと。それでも、「自分が我慢してちゃんと会社に行けば済む話。頑張って行こう!」と決意をしては、朝になると身体が言うことを聞かず、自分に裏切られていた。
◎ ◎
そんな日々が一週間に三、四回続いていたある日。久しぶりにちゃんと朝から出勤できた日の朝、幹部の人から「つらかったら休職して一度ゆっくり休んでみるのはどう?」と声をかけられた。
休職することで世間のレールから外される恐怖と、自分が弱い人間なばかりに周りに迷惑をかけてしまうことへの申し訳なさとで断りかけた。
ただ、当時の私の精神はジェンガのように、一本、また一本、と抜き取られていった果てに、派手な音をたてて散らばり、あるものは机上から床へ、あるものはベッドの隙間に消え、元の状態ってどんなのだっけ?というような惨状になっていた。もう限界を超えていた。
休職期間中は、心身を休むためではなく、自分を追い詰めるための時間にも近かった。周囲の人と比べては嘆いて、普通の生活の難しさにひとり落ち込んだり、誰かの何気ない一言をずっとポッケに入れてこっそりと怒ったり。
例えば、周りの「気にしないで」「大丈夫だよ」という言葉に、何を根拠にそう言っているのかわからず、その言葉たちに含まれた「なんとかなるよ」という適当な意味に憤った。「なんとかなる」には「なにかをする」ということだ。その「なにかをする」のが、当時一番難しく、なにをすれば普通になれるのかわからなかった。適当にしないでほしい。
しかし、今なら、「どう声をかけたらいいのかわからない」という意味も含まれていたのかもしれないと、切ない思いを感じながら受け取れる。
それを踏まえて、何かを気にしてしまって頭から離れない時は、「気持ちのまま、思っててもいいけど、気持ちが自然と消えるといいねえ」くらいの、やわらかくほぐれていくようなくらいに、考えてみるといいのかもしれない。人間だから何もかも完璧にとはいかないものなのでね。
私は私にしかなれないから、私の赴くまま、私らしいかたちになればいいのだ。普通イコール完璧と思って努力していた私、お疲れ様です。
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でも、当時は無駄だと思っていた休職期間中の長い年月も、今は決して無駄ではなかったとはっきり断言できる。他人よりも遠回りして、大海原のような心の揺れを感じる時間があったからこそ、忙しない毎日を送っていた時には見えなかったものがわかるようになり、他人よりも味わい深い豊かな人間になれた。
今のジェンガは、新しく積み始めたばかりの、新しいわたし色。
「身体が言うことを聞かず、自分に裏切られていた」と書いたけれど、それは間違いだったと二年経って気づく。身体はずっと、「普通」や「世間体」を気にして隠れていた自分の本当の気持ちを知っていた。言うことを聞かなかったのは、本心をないことにしていた私のほうだった。
二年前、休職を選んだからこそ、今は本当にやりたいことに挑戦し、人生で一番大事にしたいことを見つけられたのだ。子供の頃から憧れていたお店で、毎日好きなものに囲まれて好きな仕事をすることができている。
今、休職しようか悩んでいる人、休職中の人へ伝えたいのは、「あなたが好きなように過ごすことを誰も責めないから、気持ちの思うままに過ごして」ということ。
休職することは何かに挑戦するよりも難しく、勇気がいることだから、あなたの立ち止まるプロジェクトを賞賛し、応援したい。そんな人が世の中にはいることを、心の片隅に、邪魔にならない程度に置いててほしい。
そして、休み明けにどんな自分に出会えるか、楽しみにしててほしい。思ったほど悪くはないから。
■瑚彩のプロフィール
仕事中も仕事終わりも本屋さんにいる人。秋生まれ。